【短編小説】■■転移装置

 博士は自分の研究室の中央で満面の笑みを浮かべていた。
 その視線の先には、大型のオーブンレンジのような金属製の箱のような装置が二個置かれていた。
 それは博士が長年開発を続けてきた装置であり、ついに完成したのである。
「博士、やりましたね!」
 まだ若い助手がそう博士に声をかける。
「ああ、あとは実験をするだけだ」
 博士は助手に対してそう答える。
 この装置を、博士は「物体転移装置」と呼んでいた。
 これは博士がかつて提唱し、そして学会から猛反発を受けた「物体転移理論」を証明するために作り上げたものだった。
 物体転移装置の外見は、一見すると大型のオーブンレンジくらいの四角い金属製の箱である。
 この装置を二個用意し、その間で物体転移を行うのだ。
 装置には扉が付いており、そこを開けると内部に物を入れることが出来るようになっている。
 内部に物を入れてから移動先を指定して起動することで、内部のものをその移動先の装置へ転移するのである。

「博士、それでは早速これで実験してみましょう!」
 そう言って、助手は一房のバナナを取り出した。
 それを中に入れようと、装置の扉を開けた時である。
「あれ?」
 助手は首を傾げた。
「どうかしたのかね?」
 博士が助手に尋ねると、助手は「これを見てください」と装置の中を指差した。
 装置内が何故か水浸しになっていたのである。
 装置内に水が入るようなことは博士も助手もしていない。そもそも、装置の冷却水以外には周囲に水気がないのだ。
 もしかしたらその冷却水が漏れたのかもしれないと考え、博士と助手は装置を再点検した。
 しかし、装置には異常は見当たらない。
「不可解ではあるが、装置に異常がないならまずは実験してみようじゃないか」
 その博士の言葉に、装置内の水を拭き取った助手が改めてバナナを中に入れた。
 転移先にもう一つの装置を指定する。
 助手は装置を起動する前に博士の方を振り向く。博士は無言で頷いた。

「では、実験を始めよう」

 助手が装置を起動すると、周囲に不可解な振動が発生する。
 高周波や低周波が複雑に絡み合って発生しているようだ。
 時間にして約5秒程度でその振動はおさまった。
 緊張した面持ちで助手がバナナを入れた方の装置の扉を開けると、バナナはそこから消えていた。
 興奮を抑えきれないまま、博士が転移先に設定したもう一つの装置の扉を開ける。
 そこには確かにバナナが存在した。
 バナナの形状など、外見には特に何も異常はない。
 博士と助手は笑みを浮かべた。
「実験は成功だ」

 ――前代未聞、物体転移装置の開発に成功。
 そんな見出しが全国紙の一面を飾った。
 博士が作り出した物体転移装置は、博士の物体転移理論を裏付ける証拠そのものとなったのだ。
 博士の理論は学会に認められ、この世紀の大発見と大発明はすぐさま世界中に報道された。
 それからしばらくして、メーカーは博士の理論に基づく物体転移装置の商用実用化に成功した。
 安全性を考慮した結果、生物の転移は禁止されていた。
 また、商用化した装置は試作機よりもかなり小さめのサイズであったが、物流に革命を起こすには十分であった。
 そして世界中の人々が物体転移装置を使うようになり、発明した博士と助手は巨万の富を得るのだった。

 物体転移装置が世の中に普及して数年が経った。
 事故らしい事故も起きず、物体転移装置は完全に世の中に溶け込んでいた。
 物体転移装置は、もはや一家に一台という必需品となっていた。
 そして、発明者である博士はいまだに研究を続けていた。
 あの発明により資産家となった博士であるが、研究意欲は衰えていなかったのである。
 あの助手もまた、博士と共に研究を続けていた。

 そんなある日のこと、博士は大変なことに気がついてしまった。

「あの『物体転移理論』には重大な誤りがあった」
 博士は助手にそう言った。
 それを聞いた助手は青ざめる。
「しかし、現に何も問題なくその理論を応用した物体転移装置は動作しているではないですか。失礼ですが、勘違いではないのですか?」
 そう助手が尋ねるが、博士は首を横に振る。
 そして、具体的に誤っている箇所を博士は助手に説明してみせると、確かに重大な誤りがあると助手にも分かった。
「でも、理論が誤っているのに、何故あの装置は動作しているんですか?」
 助手がそう質問するが、博士にもそれが分からなかった。
 これでは、あの物体転移装置が動作するはずがないのだ。
 理論が分からなくても動いているのだから良いのではないか。そう思う者もいるだろう。
 だが、このままではどんな危険が待っているか分からない。
 博士は決断した。
「仕方がない。物体転移装置の使用を止めるように世間に呼びかけよう」
 しかし、助手はこれに猛反対した。
「何を言っているんですか! それによってどれほど多くの賠償金を支払わなければいけないと思っているんですか。そんなことをしたら私は破産してしまいます。まだ家のローンも残っているし、子供も学校に行かせてやらなければいけないんです」
 博士もその気持は理解できる。
 だが、危険なものを野放しにはできない。
「君の気持ちは理解できる。だが、これを放置して重大な事故が起きてしまったらどうする? それこそ私たちは破滅してしまうぞ」
 博士の心は既に決まっている。
 助手がどれだけ反対しようとも、物体転移装置の使用禁止を呼びかけると決めていた。
 数時間にも及ぶ議論の末、ついに助手も折れた。
「分かりました……」
 助手は渋々と言った様子でそう答えた。
 だが次の日、助手は研究室に姿を見せず、そのまま博士の前から姿を消してしまった。

 博士は記者会見を開き、物体転移理論の誤りと物体転移装置の危険性を世間へと公表した。
 既に世間に完全に浸透していた装置の危険性をその生みの親が指摘したことで、世間は大きくざわついた。
 だがその直後、ネットではこんな憶測が流れ始めた。
「博士は既に新しい物体転移装置の開発に成功しており、それによる利益を独占したいから既存の装置を全て廃棄させようとしているのではないか」
 何の根拠もない噂だったが、多くの人がそれを信じることになった。
 なぜなら、物体転移装置はこれまで一度も事故を起こしたことがなく、博士の言うような危険性があるなど誰も信じられなかったからだ。
 そして、その根も葉もない噂はどんどん独り歩きしていった。
 特定の政治家と繋がり新たな利権を作り出そうとしているなどと言う、中傷とも取れる噂まで生まれ始めていた。
 そのため、博士の言うことに耳を傾ける者はほとんどいなかった。
 博士は悩んだ。
 実際問題として、ここまで世間に普及してしまったものを取り上げるなど、不可能に近いことは分かっていた。
 だがここまで反発が強いとは想定していなかったのだ。
 博士はいなくなった助手のことを思い出す。
 もしかしたら彼が裏で糸を引いて、この反対運動を起こしている可能性もある。だがその証拠は何もない。
 仮にそうだとしても、博士にできることは何もなかった。
 博士が研究室でデスクで今後のことを考えていたその時である。
 メールの着信があったことを示す通知がパソコンのデスクトップに表示され、博士は特に深く考えずにいつものようにそのメールを開いた。

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 お世話になっております。
 ◯△電機 第一カスタマーサポート担当の□●と申します。
 
 先日の博士の会見を拝聴し、一つ気になっていることがありましたのでご連絡差し上げます。
 それは、物体転移装置による事故が既に起きているのではないかと疑われる具体的な事例についてです。
 
 今から約一年前ですが、弊社の物体転移装置を利用されたお客様からお問い合わせをいただきました。
 その内容が、「氷を転移させようとしたのに、その氷が消えてしまった」というものでした。
 それを聞いた時、おそらく室温で長時間経過したことで氷が溶けてしまったのだろうと私は思ったのです。
 しかし、お客様はそんなことは無いと仰っていました。
 直前に冷凍庫から出したばかりの氷が、装置を起動させた瞬間に消えてしまったそうなのです。
 お客様の勘違いではないかと考え、電話口で装置内が水で濡れていないかをお客様に確認しました。氷が解ければ装置内は水浸しになるはずですから。
 しかし、お客様が言うには「装置内は濡れていない」とのことなのです。
 とはいえ、こういった場合にお客様が誤った情報をこちらに伝えるのはよくあることです。
 そのため、その時は特に気にも留めずに装置の修理を行うということで対応を終えたのですが、今考えるとあれは博士が仰っていた物体転移装置の危険性による事故なのではないかと思ったのです。
 これが私の杞憂なら良いのですが、念のため博士のお耳に入れたほうが良いかと思いご連絡差し上げました。
 
 ただ、これは私の独断です。
 上司というか経営陣は、装置の使用停止や販売停止に強く反対しておりますので、私も表立った動きが出来ません。
 このメールももしかしたら気づかれるかもしれません。
 とはいえ、まずはご一報を入れさせて頂きました。
 今後も何か参考になる情報を見つけましたらご連絡差し上げます。
 
 以上、よろしくお願いいたします。
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 最後まで読み、博士は戦慄した。
 表に出なかったと言うだけで、実際は既に事故が起きていたのだ。
 カスタマーサポートが優秀で担当者レベルで対処できてしまったが故に、それが上までエスカレーションされなかったのだろう。
 そして、事故がこの一件だけだったとは思えない。これはおそらく氷山の一角だ。
 転移させようとした物体が消えるという事故は約一年前に既に起きていた。これは由々しき事態だ。
 一刻も早く原因を究明するか、使用を中止させなければ。
 だが、そこまで考えた時にふと博士は疑問に思った。
 消えた氷はどこへ行ったのだろうか。
 これは素朴な疑問だった。だが、博士の直感はそれを軽視してはならないと言っている。
 消えた氷の行方。
 博士は様々な可能性を考えた。
 もしも転移先が違う場所になったのだとすると、さすがに事故として処理されるはずだ。何もないところに突然氷が出現すれば異常なことが起きたと気がつくはずである。
 しかし、そんな報告は聞いたことがない。
 ということは、転移先が違う場所になった上に溶けて水になってしまったのだろうか。
 そこまで考えて、博士はあることを思い出した。
 最初の試作機の実験。
 なぜか水浸しだった装置内。
「まさか、空間的な距離だけでなく、時間的な距離まで跳躍したのか?」
 あの時に水浸しだったのは、未来から転移された氷だったものが溶けたからということか。
 ということは、未来で転移される予定のものがこれからどんどん今の時代に転移してくるのか?
 そして、その状態が転移前のまま保持されているとは限らない。
 現に、氷は溶けて水になってしまっていたではないか。
 時間的な距離まで跳躍する理屈は分からないが、このままでは駄目だ。早く止めないと。そう博士は考えた。

 だが遅かった。

 博士は気がついてしまった。
 研究室内に置かれていた試作機が触れてもいないのになぜか短く振動し、そして、その後に中から強烈な腐臭がしてきたことを。
 試作機の大きさは大型のオーブンレンジくらいの大きさだった。
 この大きさは、無理矢理にでも詰め込めばあれが入ってしまうのではないか。

 そう、小柄な生物、いや人間くらいなら。

 現時点で商用化されている装置は小型な上、生物を中に入れることは禁止されている。生物だと装置が検知すれば自動で停止するようになっているのだ。
 だが、それが未来でも同じとは限らない。
 いや、未来でも同じはずがないではないか。
 利便性という誘惑に勝てる人間はいない。
 博士は自分の予想が外れていることを祈りながら、ゆっくりと試作機の方へ歩いて行く。
 一歩一歩がとても重い。脚に鉛でも仕込まれているようだ。
 そしてついに試作機の前まで到着した。
 腐臭は相変わらず続いている。
 そして博士はその扉を恐る恐る開いた。

 そこには、博士がよく見知ったものがあった。

 それから5年の歳月が流れた。
 博士は某所の研究所を訪れていた。
 そこには数多くの研究者たちが集っていた。
 今日、この5年間の開発の成果が実り、目の前の装置が完成したのだ。
 歓喜に湧く周囲の研究者たちに対して、博士は冷たく言い放った。
「この装置は失敗作だよ」
 水を差された研究者たちは、なぜそんなことを言うのかを博士に問い詰めた。
 博士は答える。
「私は5年前、その答えを見てきたからさ」
 そして博士は軽い足取りで、完成したばかりの装置の中へ入っていった。
 周囲の研究者たちがそれを制止する。だが遅かった。
「転移装置の使用を中止させるにはどうすればいいか私はずっと考えてきた。そして結論を導き出した。誰かが犠牲になれば良いのだと。それが報道されれば、どんなに便利な道具でも使用を止めざるをえないだろう」
 博士は薄く笑いながら、装置を起動した。
「では、実験を始めよう」

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 本日のニュースです。
 ついに物体転移装置の大幅な大型化に成功したと、◯△電機が発表しました。
 今までの装置の大きさでは小さな物しか転移できませんでしたが、この大きさなら人間くらいの大きさの物も転移可能との推測がなされています。
 つまり、人間を転移させることが出来る日がやってくる可能性があるのです。
 もちろん、生物の転移には厳密な安全性が保証されなければならず、実用化には慎重な判断が求められます。
 とはいえ近い将来、私たちは憂鬱な通勤の時間を無くすことに成功するかもしれません。
 なお、安全性の判断のために物体転移装置の生みの親である■■博士の見解が待たれるところですが、博士は先日から"謎の失踪"を遂げており、その行方は未だに掴めておりません。
 かつて、博士はこの物体転移装置の安全性に疑問を投げかけ、使用中止を呼びかけていたことで世間から大きな反発を受けていました。
 その後は一転、物体転移装置の大型化へ協力し、前向きに取り組んでいました。
 生物の転移にあたっての安全性の確保には博士の意見が欠かせないとも言われており、今後の警察の捜査に注目が集まります。
 それでは続いてのニュースです。
(某テレビ局の朝のニュース番組より)
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