【短編小説】ごめんなさいの言葉をあなたに

「また来たの? 何度お願いされても無理なものは無理なのよ」
 私は目の前に立つ彼にそう告げる。
 彼の手には花束が握られている。女の子へのプレゼントとしては悪くないが、私の好みではない地味な花ばかりだった。
「花をくれるのは嬉しいけど、もう少し私の好みも知っておいて欲しいわ」
 彼の顔には感情というものが宿っておらず、無機質そのものだ。もう少し嬉しそうな顔をしてくれてもいいだろうに。
 とはいえ、堅物の彼らしいといえば彼らしい。
 私は一つ息を吐いてから続けた。
「私はもっと鮮やかな花が好きなの。薔薇とか、あとはクレマチスもいいわね。高貴な私のイメージに相応しくないかしら」
 そう言いながら私は冗談っぽく笑った。だが、彼の顔には一分の笑顔もない。
 少しは笑ってほしいのだが、どうしたものかと私は迷う。
 だが、これまで黙っていた彼が突然その沈黙を破った。
「優香さん、もうすぐ一年になるね」
「うん、そうだね」
 彼の言葉は平坦であり、事務的に淡々と紡がれているようだ。
 まったく、女の子の扱いを少しは覚えてほしいところである。こんな話し方をされて喜ぶ女の子がいるはずないではないか。
「やっぱり僕は、優香さんのことが諦めきれないんだ」
 私はため息をつく。どうしてそうなってしまうのだろうか。
「あのね、無理だって言ってるでしょ。あなたはもう別の女の子を探すべきなの。私に執着されても困るのよ」
 困ったような顔で私は伝える。それはかつての光景の焼き直しだった。しかし、彼は私のことを諦めてくれない。
「それにその格好は何? アイロンもかけてないヨレヨレのシャツにスラックス。無精髭も生えてるし髪の毛もボサボサ。ちゃんとお風呂に入ってるの?」
 そこまで言ってもなお、彼は無表情を貫いている。
 私と彼の間に沈黙が流れる。
 私も彼もお互いを見つめ続けている。だが、私の視線と彼の視線が交わることはない。
 すると、蝉の鳴き声が周囲から聞こえ始めた。
 まだ朝と言っていい時間だろうに蝉というのは気が早い。
 いや、短い一生だからこそ、精一杯の鳴き声を発し続けるのだろうか。
 蝉の大合唱が私と彼を包み込み、次第に鳥たちの鳴き声もそこに加わり始める。
 だが、その大自然のオーケストラ鑑賞は、彼の背後から突如かけられた声で中断した。

「お父さん、お水持ってきたよ」
「……ああ。優太、ありがとう」
 水をいっぱいに入れたバケツを持つその子供の姿を見た私は動揺する。
「……そうか。一年も経てばこんなに大きくなるんだね」
 私はそう呟く。だがその呟きは誰にも聞こえることはない。
「お母さん、喜んでくれるかな?」
「優太が会いにきてくれただけで喜んでくれてるさ」
 その彼の顔には、先ほどまではなかったわずかな微笑みが浮かんでいた。
 二人は目の前の墓石へと柄杓で水をかけ、墓の掃除を始める。
 私は二人の横へ移動し、その様子を眺めていた。
 彼が持っていた菊の花束が墓に供えられ、線香の煙が周囲へと広がり始める。
 私はただそれを見つめることしか出来ない。
「ごめんなさい、あなた」
 彼に届かないと分かりながら、私は言わずにはいられなかった。
「どんなに頼まれても、私はもうあなたと一緒には生きられないの」
 私は息子の顔を見る。
 一年前からだいぶ男の子らしくなった。もう十歳になるのだからそんな時期なのかもしれない。背もだいぶ伸びたようだ。
 でも私は、もう息子の成長を見守ることは出来ないのだ。
「ごめんね」
 私は涙を流せない。もう涙を流す体は燃やされ骨となり、この墓の下にあるのだから。
 涙の代わりに、私はただ懺悔の言葉を繰り返し続ける。
 命を燃やす蝉の鳴き声がいつまでも周囲に響き続けていた。

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