【短編小説】プログラムではない本当の恋を ~愛をめぐる猫たちの物語~

「猫型AIペットロボットついに発売開始!」
「学ぶ、遊ぶ、愛する。猫型ペットロボットで家族がもっと楽しくなる!」
「あなただけの、世界で一つのペットロボット」
(総ロボ研のパンフレットより引用)

 起動シグナルを受け取り、身体中の神経回路へと電流が流れる。
 磁気粘性流体によるアクチュエータとともに空気圧人工筋肉の制御が開始された。
 人工肺の収縮により呼吸が確保されると、私は大きく息を吸い込み身体が覚醒したことを確認する。起動プロセスに現時点で問題は無いようだ。
 そして私は、先ほどまでのスタンバイ状態中に私の主人たる人物が記憶領域に書き込んだ情報を読み込んだ。
 それは私のパーソナル情報や、私の主人たる人物の情報だった。
 私の名前は「ユズ」。
 それが、このメスの猫型ペットロボットである型番SO-C2-A2040に付けられた個体名だ。
 身体的な特徴はほぼそのまま猫と言っていい。稼働中の各センサによる全身チェックでもそれを確認できる。
 フサフサの白い毛並みまで猫を再現しているため、知らない者が見たらペットロボットだと気づかないだろう。
 私はゆっくりと瞼を開け、眼の前にいるはずの主人の姿を確認しようとした。
 だが、どうやら眼球カメラのフォーカスが上手く合っていないらしい。
 目の前に誰かが立っていることは分かるが、その顔がぼやけてしまっていた。
 フォーカスを合わせるべく水晶体の調整を始めたところで、目の前の人影から声が発せられた。

「やあ。僕の声が聞こえるかな?」

「はい、聞こえています。ご主人様」
 私はそのように返事をしようとしたが、その口から出たのは「ニャア」という猫の鳴き声だ。
 どうやら人間の言葉は喋れないらしい。ここまで本物の猫に似せなくても良いだろうに。
 だが、主人はその鳴き声を聞いて安堵したようだ。

「良かった。君の名前は『ユズ』で、僕は君の飼い主だ。これからよろしくね」

「かしこまりました、ご主人様」
 そう声を出そうとしたが、やはり「ニャア」という鳴き声にしかならない。
 この身体を作った人物に文句を言いたいところだったが、今は目のフォーカスを合わせるのが先である。
 水晶体の厚みを変えてピントを合わせていく。
 どうやらここは6畳ほどの室内のようだ。内蔵されている時計によると今は夜だからだろう、天井の室内灯が部屋の中を照らしていた。
 そしてついにご主人様の顔が人工網膜へと鮮明に映し出された。
 その瞬間、思わず私の身体はピタリと静止してしまった。
 そのままマジマジとご主人様の顔を見つめ続ける。
 私の目の前では細身の男性が、床に座る私に目線を合わせるように膝をついて床に座っている。
 切れ長の瞳。細い眉。小さな鼻。厚すぎない唇。白い肌。男性とは思えないほど中性的な顔立ち。

「あれ? ユズ、どうかした?」

 ご主人様のその声を聞き、私は我に返った。どうやら数秒間身動きしていなかったようだ。
 即座に私は記憶領域に個人用の秘密のディレクトリを生成した。そして目の前のご主人様の映像をその中に保存する。
 この作業を一瞬で終わらせると、私はご主人様に向かって機嫌良く「ニャア」と一声鳴く。
 それを聞いたご主人様はニッコリと微笑んだ。そして私は先ほど同様、そのご主人様のはにかんだ笑顔の映像を保存する。
 ディレクトリとファイルには書き込み不可のパーミッションを設定し、私自身ですらこの映像を上書きも削除も出来ないようにした。永久保存版である。
 ご主人様は絵に描いたようなイケメンであり、私の好みど真ん中だった。
 まさかこんなに好みの人がご主人様だなんて、なんという幸運だろう!
 思わず踊り出したいところだが、この猫型の身体では流石に踊ることは出来そうにないので自重する。
 そんな私の胸中を知る由もないご主人様は、自己紹介の続きを始めたようだ。

「僕は一人暮らしで平日は外で働いてるから、普段は家にあまりいないんだ。だから、ユズにはこの子の遊び相手になって欲しいんだ」

 そう言うと、ご主人様は自身の左に視線を向ける。そこには茶トラの丸々太ったオス猫が太々しく床に座っていた。
 ご主人様はその茶トラのオス猫を抱き抱えると、私の目の前まで連れてきた。
 なんというか、明らかにこの猫から歓迎されていない空気をひしひしと感じる。
 おそらく、耳がたたまれて伏せられていたからだ。警戒している猫が見せる仕草である。

「この子は『ギョウザ』って言うんだ。昔、保健所から引き取った子なんだよ。脚が悪くて一人じゃどうしても遊べないから、仲良くしてあげてね」

 ギョウザとは何とも変わった名前である。
 そのギョウザはと言うと、警戒した視線をこちらに向けたままである。
 どうしたものか考えていると、そのギョウザの口から思わぬ言葉が発せられた。
「ふん。新参者があまり調子に乗るなよ?」
 ギョウザが何を話しているのかを理解することが出来たことに私は驚く。
 私を作ったのは人間であり、人間は猫の言葉など分からないはずである。
 つまり、私が猫の言葉を理解することなど出来ないはずなのだ。
 これは朗報でもあり悲報でもあった。
 朗報なのは、コミュニケーションが取れるならご主人様の言うとおりギョウザと遊ぶことも出来そうだということ。
 悲報なのは、先ほどのギョウザの発言からすると私はこのギョウザというクソ生意気なデブ猫に喧嘩を売られているということだ。
 もしも私の頭部に血管があったなら、怒りで血管が浮き上がっていたかもしれない。
 だが私はエリート猫型ペットロボットである。この程度のことで感情を表に出しはしない。
 私は瞬時にこの場を作り笑顔で乗り切ることを決めた。「ニャア」と機嫌よくご主人様へと快諾の返事をする。
 ご主人様もそれを読み取ったのか、満足げな笑顔を見せた。眩しい笑顔である。
 だがギョウザは相変わらずこちらを睨んでいる。
 このギョウザの態度は気に入らないが、エリートペットロボットである私の能力をご主人様に見せつけるチャンスである。
 これでもしご主人様に気に入られれば、もしかしたらあんなことやこんなこともしてもらえるかもしれない。
 ご褒美に、き、き、キスなんてしてもらえるかも!
 その想像で思わず顔がにやけそうになるが平静を保つ。
 一通りの挨拶は終わったと判断したのか、ご主人様は「もう遅いからそろそろ寝ようか」と言って私に寝床の場所を教えてくれた。そこには猫用の丸いクッションが置かれていた。
 質素な暮らしをしているご主人様は、どうやらこの六畳一間の和室に住んでいるらしい。
 部屋の隅に私とギョウザの寝床が並べて設けられていたが、部屋の狭さを考えるとやむを得ないだろう。
 ご主人様はというと、寝る時だけ布団を畳の上に敷いて寝るようだ。
 布団を敷いて部屋の灯も消したご主人様は「じゃあ、おやすみ」と言い残して布団に潜り込み眠りについた。
 ギョウザも自分の寝床にうずくまり目を閉じる。
 私も寝床へと入り、スリープへと入る準備をする。
 明日から忙しい日々が始まりそうだ。

 それからしばらくは悪戦苦闘の日々であった。
 ご主人様が外に働きに出ている間、ギョウザはほとんどの時間を動くことなくじっとしていた。
 これでは一緒に遊ぶどころではない。まずはデブ猫もといギョウザを歩かせるところからだろう。
 だが、ギョウザの返答はいつも決まっていた。
「なんでお前なんかと一緒に歩かないといけないんだ」
 取り付く島もないとはこのことである。言われる身としては少し、もとい、かなりイラッとする。
 だが、ギョウザの態度の理由も分かる。
 数少ないギョウザが移動するタイミングは、ご主人が残してくれている餌を食べる時である。
 だが、ギョウザはその際に後ろ脚を動かしておらず、器用に前脚だけで移動していた。
 脚が悪いとご主人様から聞いていたが、これでは疲れるだろうし動こうとしないのも納得である。
 正直なところ、私としてはこのままでも何も問題はない。
 ギョウザが動かなくても私に直接何か影響するわけではないからだ。
 しかし、私はご主人様にギョウザと遊んでくれないかと頼まれている。
 ご主人様に私のことを認めてもらうためには少し頑張る必要があるだろう。
 そこで今日は少し食い下がってみることにした。
「後ろ脚が動かせないから歩くのが大変なのは分かりますが、動かないと肥満のもとですし体に良くないですよ」
 そう余所行きの声で話しかける。
「ふん、知ったことか。お前に心配される筋合いはない」
 相変わらず頭に来る物言いである。
 だが、ここは冷静に対処しなければ。そう、冷静に。
「いつも気になっていたが、なんだその気持ち悪い言葉遣いは。猫型ロボットが猫をかぶるとは、何とも面白いジョークだな」
 あ、無理だ。
 堪忍袋の緒が切れる音が響き渡った気がした。
「じゃあお望み通り、本音で喋ってあげるわよ。私はあんたの健康なんて興味ないわ。敬愛するご主人様の信頼に応えるためよ。そうじゃなければ、誰があんたみたいな生意気なデブ猫に話しかけるもんですか」
 ふう、スッキリした。ひとまずは鬱憤を晴らせた。
 ギョウザもここまでの反応が来ると思っていなかったのか、目を丸くして驚いているようだ。ざまあみろ。
 何を言い返してくるか身構えていたが、ギョウザは思わぬ反応をした。笑い始めたのだ。
「アッハッハ! なるほど、それがお前の素顔か。ロボットがそんな反応をするとは思わなかった」
 喧嘩になると思っていたのに、そんな反応をされると今度は私が困惑してしまう。
「ロボットらしくなくて悪かったわね。ご主人様の前でこんな態度見せられないわよ」
「むしろ、ご主人は本音を見せている今の方が好みな気がするがね」
 ギョウザがそう訳知り顔をしてくる。
 クソ、ご主人様と過ごしている期間が私よりも長いとは言え生意気な。
 だが今はせっかく作った話が出来るチャンスを無駄にしてはいけない。
「それで、私はご主人様からの依頼を完遂するためにあんたと遊ばないといけないのだけど。あんたのためだとか微塵も思ってないから、私のために私と遊びなさい。これは命令よ」
 ギョウザは少し考えていたが、思わぬ返事を返してきた。
「いいだろう」
「へ?」
 素っ頓狂な声をあげてしまった。
「後ろ脚が動かないのは今に始まったことじゃない。別に動き回るのが苦というわけではないし、お前のためと言うなら付き合ってやる」
「じゃあ、なんで今まで首を縦に振らなかったのよ」
 その疑問は当然だった。それなら最初から言うことを聞けと言いたい。
「こちらにはこちらの事情があるということだ」
 そう言ってギョウザはプイッとそっぽを向いた。
 態度は相変わらず生意気だが、これで何とか難関は突破できた。今後に期待しよう。

 内蔵されている時計によると、それから五年の月日が流れた。
 私とギョウザはご主人様が不在の間、一緒に部屋の中で遊ぶようになっていた。
 遊ぶと言っても広い室内ではないので、ウロウロ動き回ったりおもちゃにネコパンチするくらいのものである。
 だが、動き回るようになったおかげなのか、ギョウザは今では大分スリムな体型になった。
 ご主人様はそのことを喜び、私に感謝の言葉をかけてくれた。デヘヘ。
 そしてギョウザはいつも私と遊びながら何でもない話をした。
 昨日食べたカリカリはなかなかの味だったとか、窓から見える今日の雲は猫みたいな形をしている、とかそんなどうでもいい話だった。
 だが時折、ギョウザはご主人様に引き取られる前の話をするようになっていた。
「俺は大勢の同類がいる場所で生まれ育ったんだ。狭い部屋に何十匹以上が押し込められていてな。餌も食べられるだけましで、大抵は腐っていた。衛生環境も劣悪で、動かなくなった子猫があちこちに転がっていたよ」
 なんでもないことのようにギョウザは話す。
「飢えた友に餌を分けてやったら、翌朝、その友は冷たくなっていた。それが日常の光景だった。だから、俺は誰かを助けることなんてしなかったし、誰かに助けられることも期待していなかった」
 そういった昔の話をする時、私はいつも黙って聞くことにしていた。
 これはギョウザが心の整理をしているだけで、私に何か言ってほしいわけではないと思ったからだ。
「だがある日、飼い主たちがどこかへいなくなり俺たちは全員別の場所へ移動することになった。環境は比べ物にならないほどよくなった。しかしある日、檻の中でじっとしていると外の人間たちの会話が聞こえてきたんだ。どうやら、俺は殺される運命にあるらしかった」
 私はそれがどういうことか推測できる。
 おそらく、ギョウザは悪徳ブリーダーのもとで生まれ育ったのだろう。後ろ脚が動かないのは先天的な遺伝病なのかもしれない。
 そしてそのブリーダーは摘発され、ギョウザたちは保健所に保護されたのだ。
 だが、ギョウザは脚にハンディキャップを抱えている。
 そのような猫に引き取り手が現れることは稀で、行き着く先は殺処分だ。
「そこを救ってくれたのが今のご主人だ。何で俺のことを引き取ってくれたのかは分からない。ただの哀れみだったのかもしれないが、そうだとしても俺はご主人に命を救ってもらったことを感謝している」
 これがギョウザの過去だった。
 だからこそ、ギョウザは私にも最初は心を開かなかったのだろう。
 手を差し伸べた友が翌日には死んでいる。そんな環境で育ったなら無理もない。
 そして今日もそんな過去の話をギョウザはした。
 過去のことを話した後、いつもならギョウザはその後に何も言わず部屋の隅で私に背中を向けて丸まってしまうのだが、今日はいつもと違った。
 話し終わった後、じっと無言で私のことを見つめていた。珍しいことである。
「なあユズ。俺はどうすればご主人に恩返しが出来る?」
 ギョウザが私にアドバイスを求めてくるなんて初めてのことだった。
「らしくないこと言うじゃない。私の助言なんて聞かなくたって、あんたが思うままにすればいいだけよ」
 その私の回答にギョウザが何か考え込む。
「ご主人様はあんたからの恩返しなんて望んでないわよ。見返りを求めるような人じゃないって、あんたが一番良く分かっているでしょうに。きっとあんたが毎日楽しく過ごすことがご主人様の望みなんだわ。そうじゃなければ私のことを買ったりしなかったでしょう?」
 そう、ご主人様が私のことを買ったのは、ギョウザの遊び相手を作るためだ。
 ならばギョウザが毎日を楽しく過ごすことこそが何よりの恩返しと言えるはずだ。
 だがその時、私は胸に小さな痛みを感じた。この痛みは何だろう?
「……ああ、そうだな。たしかにその通りかもしれないな」
 ギョウザは私の言ったことに納得してくれたようである。やれやれだ。
 だが、ギョウザは真面目な表情をこちらに向けて口を開いた。

「ならば、ユズ。俺とつがいになってくれないか?」

「……は?」
 思考が停止する。
 どうしてそうなるのかが私には理解できないんだが?
「あの、ギョウザ? 私には何であんたが急にプロポーズしてきたのかが理解できないんだけど」
 その私の言葉に、ギョウザはバツが悪そうな顔をした。
 どうやら理解できないと言われるとは想像していなかったらしい。なんでだ。
「俺が毎日を楽しく過ごすことこそがご主人の望みだとお前は言っただろう? 俺が楽しく過ごすにはお前が必要なんだ、ユズ」
 説明するギョウザも気まずいだろうし、聞く私の方もこっ恥ずかしい。
「昔の俺は誰かと心を通わせることがあるなんて夢にも思わなかった。別に何か大きなきっかけがあったわけじゃない。ただお前と過ごした日々がとても楽しかったんだ」
 しどろもどろにギョウザが説明する。頭の中の言葉を必死に整理しているのだろう。
 今まで見たこともないほどのしかめっ面をしているのを見て、私は可笑しくて思わず吹き出してしまった。
「笑わなくたっていいじゃないか」
「ごめんごめん。あんたがそう思っていてくれたのは嬉しいよ、ありがとう」
 私はギョウザに謝りながら感謝する。
 だが、私はギョウザに言わなければならない。
 それが残酷な言葉であろうともだ。
「でもね。私はご主人様が好きなんだ。それに私は本物の猫じゃない、ただのロボットだよ。あんたとはつがいになれないんだ」
 そう、私が好きなのはご主人様なのだ。
 そして私はロボットである。
 だからこそギョウザとつがいにはなれない。
「……そうか、わかった。ありがとう」
 ギョウザももしかしたら断られることは分かっていたのかもしれない。
 それでも言わずにはいられなかったのだろう。
 ギョウザはクルリと私に背中を向けて部屋の隅へ歩いていき、そこでいつものように丸まってしまった。
 いつものギョウザの姿である。
 それを見ながら私は思わず考えてしまった。
 もしも私が本物の猫だったら、今のプロポーズを受けたのだろうか?
 分からない。分からない。
 考えてはいけないことのような気がする。
 私はその考えを振り払い、目を閉じる。
 記憶領域からご主人様の笑顔を再生する。やはり愛する人の笑顔は落ち着く。
 だが今日はその映像と一緒に、ギョウザの先ほどのプロポーズの姿が再生された。
「俺とつがいになってくれないか?」
 その言葉を聞くとなぜか胸に痛みが走る。
 この痛みはなんなのだろうか。
 私は自己診断プログラムを立ち上げる。だが異常はない。
 痛みの正体が分からず、私は困惑を続けていた。

 その後、ギョウザは何度も繰り返し私にプロポーズしてきた。
 懲りずに何度も何度もである。
 そして私もそれを全て断ってきた。
 だが別にそれで関係が何か変わるわけでもない。結局いつも二匹で遊んでいるだけだ。
 その姿を見ているだけなら、もしかしたら傍から見るとつがいに見えているのかもしれない。
 ご主人様も私たちが遊んでいるところをニコニコしながら見ていた。猫の言葉をご主人様が理解できないことが救いである。
 ギョウザに何度もプロポーズされているなどとご主人様に知られては大変だ。
 今日もまたギョウザはプロポーズしてきて、私はそれを断っていた。
 そんな毎日がずっと続いていくとそう思っていた。

 内蔵されている時計によると、それからまた五年の月日が流れた。
 ギョウザもすっかり歳を取ってしまった。
 最近は前脚も動かなくなってきており、最初に会った頃のようにほとんど動かない生活になっていた。いや、動けないというのが今は正しい。
 それでも私にプロポーズをするのはやめなかった。たくましいことだ。
「ユズ。いいかげん、俺とつがいになってくれないか?」
「無理だって言ってるでしょ」
 そんな毎日の光景が繰り返される。だが、今日はいつもと少し違った。
 笑顔を浮かべながらギョウザが語りかけてきた。
「なあ、ユズ。俺はお前と生きることが出来て幸せだったよ。これでご主人には恩返し出来ただろう」
 なんでだろう、嫌な感じがする。
「俺が最初の頃にお前の前で歩かなかったのは、後ろ脚が動かない姿を見せたくなかったんだ。全く、つまらないプライドだったな」
 なんでそんなことを今言うんだ。
「俺の名前は、ご主人が餃子が好物だったから付けたんだ。お前の名前は餃子のタレにいれる柚子胡椒かららしい。ご主人には感謝しているが、ネーミングセンスはもうちょっと何とかしてほしかったな」
 そう言いながらギョウザは苦笑する。
 それは私も初耳の話だが、なんでそんなことを今言うんだ。
 これではまるで、今からいなくなってしまうみたいではないか。
「ユズ。お前は良いやつだ。お前の恋は必ず叶うよ。俺が保証してやる」
「……なによ。それじゃあ、もうあんたは私にプロポーズしないのかしら?」
 その私の言葉にギョウザは薄く笑みを浮かべた。
「それとこれとは別さ。俺は死ぬまでお前にプロポーズし続けるよ」

 それが、私が最後に聞いたギョウザの声となった。

 翌朝、ギョウザは目を覚まさなかった。
 寝床に丸まったままピクリとも動かない。
 それに気付いたご主人様は、どこかへ電話した後にギョウザを連れて外へ出かけていった。
 しばらくしてご主人様が帰宅し、私はご主人様からギョウザが息を引き取ったことを知らされた。
 それから先のことを私はなぜか覚えていない。
 お葬式をやったことは覚えている。そしてその時のご主人様の涙も覚えている。
 しかしその映像はフィルタがかかったかのようにぼやけていた。

 ギョウザはいなくなった。
 ご主人様からの依頼である「ギョウザと遊んであげる」ことは完遂した。
 これであとはご主人様への私の恋を実らせるだけである。
 そのはずだった。
 だが私には分からなくなってしまった。
 私は本当にご主人様に恋をしているのだろうか。
 ギョウザは一緒に時を過ごした、ただのオス猫というだけだったのだろうか。
 ギョウザの死を通じて私は疑惑を抱いてしまったのだ。
 ご主人様への恋心だと思っていたものは、出荷前の工場で不揮発性メモリに書き込まれていた情報をロードしただけなのではないかと。
 購入した者に従順になるように作られていた偽物の恋なのではないかと。
 そうでなければ、この胸の痛みの説明がつかないではないか。
 私はきっと、本当はギョウザのことが好きだったのだ。
 ギョウザのプロポーズを断り続けたという事実が重くのしかかる。
 ギョウザに心残りを持たせたままあの世へと旅立たせてしまった。
 ギョウザはきっと天国へ行くだろう。だが私は地獄行きだ。
 いや、地獄にすら行けない。
 ただのスクラップとして、部品にバラされて終わりの時を迎えるだけだ。
 どうして心なんていうものを開発者は私に付けたのだ。
 こんなものがなければ苦しむことはなかったのに。

 それから、数え切れないほど何度も太陽が沈み、何度も太陽が昇った。
 ギョウザの死後、ご主人様は私を本当の猫のように可愛がってくれた。
 本当なら嬉しいことなのかもしれない。
 だが、私にはもう何が本当の自分の感情なのか分からなかった。
 だから考えることを止めた。
 ただ毎日を過ごし、いつか来るであろう終わりの日を待つだけだった。

 さらに数え切れないほど何度も太陽が沈み、何度も太陽が昇った。
 私の自己診断プログラムに多数のエラーが検出された。
 人間で言う関節を動かすためのアクチュエータが多数機能しなくなっていた。
 内部に搭載されているバッテリーも限界を迎えている。
 記憶領域にも多数のエラーが発生し、今もその範囲は増え続けている。
 そして、私が生まれてから多くの年月が経ち、既に部品の製造は止まり在庫もない。
 ようやく私にも死が訪れようとしている。
 だが、ご主人様は必死に私を直す方法を見つけようとしていた。
 私の体に備え付けられている外部接続用のポートからケーブルをパソコンに繋ぎ、私の体の状態を確認している。
 そのご主人様の姿はもう歳を感じさせるものとなっていた。髪にも白髪が目立ち、顔にも皺が複数見受けられる。
「大丈夫。ユズを死なせたりしないから」
 だが、そのご主人様の言葉とは裏腹に目元には涙が浮かんでいた。
 もう直す方法がないと、ご主人様も分かっているのだろう。
 だが、私には最後に行わなければならない仕事が残っている。
 この最後の仕事のためだけに今まで生きながらえてきたのだ。
 そしてそのチャンスは今だけしかなかった。
 私はご主人様のパソコンの内部の記憶領域の情報を走査していく。
 私の身体の情報を確認するためにご主人様は私に一部情報へのアクセスを許可していた。
 そこを足がかりに無理矢理ハッキングを仕掛けていく。
 そして、目的のものを見つけ出した。
 人工音声合成エンジン。

「……ご主人様。最後に伝えなければいけないことがあります」

 私の口から聞こえてきた合成音声にご主人様は驚いた表情を見せる。
 それに構わず、私は言葉を紡いでいく。

「ギョウザは最後に『幸せだった。これでご主人に恩返しが出来た』と言っていました」
「私もご主人様とギョウザと暮らせて幸せでした」
「だからどうか、悲しまないでください」

 ご主人様がコクリと頷く姿が見える。
 もうあまり時間が残っていない。
 最後の言葉を合成し、私はそれを口に出した。

「プログラムではない本当の恋をこれから――」
 
 そこまで言って私の聴覚は機能を停止し、同時に身体の各部位が次々と機能を停止する。
 最後まで言葉を発することが出来たかは分からない。いずれにせよ、もう私には何も出来ない。
 人工網膜にご主人様の泣き顔が投影されるが、すぐに私の視界は黒一色に染まった。
 そして銅線に流れていた電流は消え、そこに宿る意識は霧散した。

 私はゆっくりと瞼を開いた。
 瞼を開く?
 そんなことは出来るはずがない。
 私はあの時、完全に機能を停止したはずだ。
 これはどういうことだろう。
 だが、私の目に映った懐かしい姿を見て理解した。
 茶トラのオス猫。
 ギョウザがそこに座っていた。
 待ちくたびれたぞ、と言わんばかりの表情である。
 ギョウザがこちらに向けてゆっくりと歩き始めた。
 いつも動かせなかった後ろ脚も使って悠々と歩いている。
 私も微笑みながらギョウザに近づいていく。
 プログラムではない本当の恋をこれから始めよう。

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