【短編小説】甘くて苦いクリスマスイブ
今年のクリスマスイブは土曜日である。
茜は陰鬱な気持ちで周囲を見回した。
今日はその12月24日。そして時刻は日も落ちてきた夕方である。
自宅最寄り駅前のロータリーに降り立った茜は、街路樹や店の壁などに飾り付けられたイルミネーションと、周囲を徘徊するカップルたちに戦々恐々としていた。
どうして世界はこんなに華やかなのに、自分は休日出勤の上、たった1人でここに立っているのだろう。
茜の心中を暗い雲が覆っていた。
茜の今の服装は仕事用のフォーマルなものである。周囲とは完全に浮いている。
休日出勤だったとはいえ早めにあがれたのはよかったのだが、中途半端に早い時間だったせいでまともにこの幸せオーラ全開な空気を味わう羽目になってしまったのである。
(まあいいや、さっさと帰って寝よう)
茜は全ての情報をシャットアウトし、何も見ず、何も聞かず、何も言わず、を誓ってこの帰り道を乗り切ろうとした。
クリスマスイブ? 明石家サンタの日でしょ? そう自分に言い聞かせる。
だがその時、進行方向の正面から女の子の声が聞こえた。聞こえてしまった。
「す、すいませ〜ん、クリスマスケーキいかがですか〜?」
思わずそちらを見る。
そこにはサンタクロースのコスプレをした女の子がクリスマスケーキの街頭販売を行なっていた。
おそらくすぐ横のコンビニのバイトの子なのだろう。周囲の明るい雰囲気と全く馴染まない悲壮感漂う声である。
年齢は大学生くらいだろうか。20代半ばの茜と比べても若く見える。もしかしたら高校生かもしれない。
(ノルマでもあるんだろうなぁ)
同類の匂いを茜は勝手に感じ取っていた。
そして、その哀れみを誘う声に思わず視線を向けていた茜だったが、その女の子がこちらに気づいてしまった。
しまった、と茜が思った時には既に遅かった。
「お、お姉さん! クリスマスケーキいりませんか!」
凄く食い気味に女の子が聞いてくる。
「ごめんなさい、私、甘いもの苦手だから」
愛想笑いを浮かべながら茜は断ろうとした。1人なのにホールケーキなど冗談ではない。
だが女の子は食い下がってくる。
「そう言わずに。もしかしてホールケーキって大きいものだと思ってませんか?」
そう言いながら小さめの箱を茜に見せてくる。
「ほら、この4号サイズなら彼氏さんと2人で食べるのにピッタリですよ!」
その瞬間、茜の心に悪意のない言葉の刃が突き刺さる音が聞こえた。
辛い。
何の悪意もないと茜は分かっているが、そうは言っても傷ついてしまうものは傷ついてしまうのだ。
「あ、あはは。私、彼氏とかいないから……」
そう言って茜は視線を逸らす。
それを見た女の子も地雷を踏んでしまったことに気がついたのか、慌ててフォローを始めた。
「お、お友だちと一緒に過ごすクリスマスも楽しいですよね!」
「トモダチ……? トモダチなんていない……」
茜の声のトーンがどんどん落ちていく。
茜の地雷をさらにもう1つ踏み抜いたと気づいた女の子はさらに慌てた。
「だ、大丈夫ですよ、1人で過ごすクリスマスも楽しいですよ! それに、きっといい人が現れますって!」
「……そんな人、現れないわよ」
はあ、と茜は大きなため息をつく。
「黙ってても王子様が迎えに来るなんて童話の中の話だけだわ。自分から動かない人なんて誰も見てくれないものよ」
思わずそんなことを言ってしまった。
こんなことを今会ったばかりの女の子に言ったってしょうがないのだが、茜もどうやらこのクリスマスイブの毒気にあてられているらしい。
一瞬の気まずい沈黙が流れる。
何やってるんだろう、と自己嫌悪に陥った茜が帰ろうと思ったその時。
「そんなことありません! だって私が今お姉さんのことを見てます!」
女の子が真剣な表情でそんなことを言った。
茜は思わずキョトンとする。
「今日も休日なのにお仕事して、みんなのために頑張ってるお姉さんは偉いです! そしてクリスマスケーキを買ってくれたお姉さんのことを私は忘れません!」
いつの間にか茜がケーキを買う前提で話が進んでいる。そんなことを言った覚えは全くこれっぽっちもないのだが。
もしかしたら思った以上にちゃっかりしている子なのかもしれない。
それに恋人云々の話をしているのに、なんとなく話がずれている気もする。
だが、茜は思わず笑みを浮かべる。
いつも上司には怒られて、何をやっても褒められることはない。
給料は増えないが、責任と仕事の量だけは増えていく。
誰も自分のことを見ていないのではないかと思った。そんな日々に嫌気が差していた。
だから、その女の子の言葉で少しだけ救われたのかもしれない。
「セールストークが上手いわね」
笑いながら茜はそんなことを言った。
「え? セールトーク?」などと女の子は戸惑っている。
茜はそんな女の子の様子は気に求めずに言葉を続けた。
「じゃあその4号のケーキをちょうだい」
「あ、ありがとうございます!」
茜の言葉に女の子の顔がぱあっと明るくなる。
「その前にちょっと待っててもらっていい?」
茜はそう言うとすぐ横のコンビニの中へ入って行き、そしてすぐに戻ってきた。
茜は女の子にケーキ代を渡す際に、先ほどコンビニで買ってきたものを一緒に手渡す。
「私もあなたのことを見てるわよ。頑張ってね」
そう言って1本の温かい缶コーヒーを渡した。
「あ……ありがとうございます!」
女の子の顔が笑顔に綻ぶ。
そうだ。与えてもらったのならお返ししなければいけない。これでチャラということにしておこう。
茜はケーキを受け取ると、「ありがとうございました!」という女の子の声を背中に家路を急ぐ。
きっとこのケーキは私好みの甘さだろう、そう茜は確信していた。
その夜、みんなが寝静まる頃。
サンタクロースとトナカイは子どもたちへのプレゼントを運ぶ準備をしていた。
ソリの中へプレゼントを運び終えたサンタクロースは一息つく。
「トナカイさん、そろそろ出発しましょうか」
「そうですね。そろそろ時間もいい頃合いでしょう」
トナカイがそう返事をする。
「あ、そうだ。その前にちょっとだけ待ってもらっていいですか?」
そう言うとサンタクロースはゴソゴソと懐からあるものを取り出した。
「サンタさん、コーヒーなんて飲めましたっけ?」
サンタクロースの手には1本の缶コーヒーが握られていた。
「昨日までは苦くて飲めませんでしたけど、今日から私の好きなものになりました」
サンタクロースは笑顔を浮かべてトナカイにそう返事をする。
そして缶を開けてコーヒーを飲む。
その味はいつもの苦いコーヒーだったが、今日はただ苦いだけではない。優しい味だった。
缶コーヒーは既に冷えてしまっていたはずだが、サンタクロースの体の中を温かなものが駆け巡っていく。
「さあ、今年も子どもたちにプレゼントを渡しに行きましょう!」
そしてサンタクロースはトナカイと共に飛び立つ。皆に笑顔を届けるために。
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