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だれも知らないレオ・レオーニ展

 ちっちゃな魚たちが一緒になって、大きな一尾の魚に立ち向かう。教科書の題材にもなっている「スイミー」や、ねずみのフレデリック・シリーズなどで知られるレオ・レオーニは、2019年の夏に、新宿の損保ジャパン日本興亜美術館で絵本の原画などを中心とした展覧会があったばかりだが、今回は「だれも知らないレオ・レオーニ」。
 全部で37冊の絵本を出版したレオ・レオーニが1959年に初めて「あおくんときいろちゃん」を発表したのは49歳のときだったという。この展覧会では、彼の絵本以前の仕事と、絵本以降ー絵本の代表作品に加え、若い頃からずっと続けてきた創作、と、まさに知らなかったレオーニのさまざまな顔に出会うことができる。

 高校生の時に、当時住んでいたジェノヴァから単身ミラノに赴き、カンパリ社に自らデザインした広告案を売り込みに。え?カンパリ?高校生!???残念ながら不採用となったそうだが、小粋でセンスよく、ちょっとレトロな感じがするデザインは、今でも使えそう。
 最初の仕事は、ミラノの製菓会社モッタの広告宣伝部門のアシスタント。パネットーネの広告などを制作していた。今でこそイタリアのクリスマスケーキといえばパネットーネがあたり前になっているけれど、元々1919年創業のこのモッタがイタリア全国に広めたためとされる。・・・ということは、パネットーネ普及の元にレオ・レオーネもいた!???

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 1939年にアメリカへ。戦後1年間のイタリアでの充電期間を挟んでグラフィックデザイナーとして活躍する。この時期を代表する仕事が雑誌”FORTUNE” のアートディレクター、そしてもうひとつが、イタリアのタイプライター、オリヴェッティ社の米国での広告やショールームの空間デザインだった。オリヴェッティ(Olivetti)の「O」やピクトグラムを使ったシンプルでモダンなデザイン、美しい色と折りで遊んだ案内カードやパンフレットなど、はっと人目をひき手元においておきたくなるものばかり。1950年代といえば、ヴェネツィア出身の建築家カルロ・スカルパがヴェネツィアのサン・マルコ広場に面するオリヴェッティの店舗を丸ごとデザインした時代と重なる。当時オリヴェッティの店舗は、ちょうど現在のアップルストアのように製品と展示空間の両方を体験できる場として捉えられていたというのもなるほど納得できるし、スカルパとレオーニの交流があったのかどうか、なども気になる。

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 さまざまなアイディアやデザイン、仕事のための試行錯誤に加え、油彩や彫刻、同僚のためのスケッチ・・・まるで、レオ・レオーニという名の玉手箱から、次々に色とりどりの宝物が出てくるかのよう。
 そして、満を持して、といった具合に登場する絵本の数々。絵本についてはいまさらここでわざわざ語るまでもないだろう。ただし、2冊目の絵本「はまべにはいしがいっぱい」を制作した1961年にアメリカからイタリアのトスカーナに拠点を移したことは、その後の創作活動に大きく影響したことは間違いない。

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 この絵本と並行するようにレオーニが取り組んできた「平行植物」は、油彩、特に得意とする細密な鉛筆画、ブロンズ彫刻とさまざまなアプローチで自身の中にある、架空の植物たちを実現している。スタンプや貼り絵といった二次元ならではの世界で表現を試みた絵本と対峙するように、ここではリアルな肉感、三次元性が強調されている。

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 最晩年の作品、たくさんの鳥の絵を集めたインスタレーションは、奇妙な植物たちの間を飛び交うようでもあり、また二次元と三次元の間をさまようようでもある。49歳で大きく舵をきったレオーニはやはり、生涯、飽くなき創作の人なのだった。

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だれも知らないレオ・レオーニ展
2020年10月24日〜2021年1月11日
板橋区立美術館
https://www.city.itabashi.tokyo.jp/artmuseum/4000016/4001385/4001386.html

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Fumie M. 01.10.2021

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