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人生はじめての登山が富士山でした(後編)

前回では「人生はじめての登山が富士山でした(前編) 」を初投稿した。

さて、本題となるのはこちらの後編。

いよいよ富士山に登る日がやってきた

私は普段、荷物は必要最低限と決めて、足りなくなったものがあれば現地調達すればいいと考える方なのだが、さすがにこの日だけは違った。

事前にインターネットで調べると、「初心者向け!富士登山入門」のような初心者に対して情報が丁寧にまとめられているサイトがあった。私はそのサイトを参考に、登山の装備や持ち物リストを確認して、一通りそろえた。

一通りそろえてみると、なかなかの荷物量になる。私は慣れないことをするものだから、リュックはもう二度と開けられないのではないかと思うくらいパンパンになった。

そして、いよいよ富士山に登る日がやってきた。
私が申し込んだツアーは「専任ガイド付き吉田ルートの富士登山ツアー」プラン内容はおおまか以下の通り。


【プラン内容】
①富士山5合目(休憩)
②富士山8合目(仮眠・休憩)
③富士山山頂・お鉢巡り(オプション)
④富士山下山(休憩)
⑤温泉・昼食

富士山5合目(休憩)

ついに富士山5合目に到着した。(5合目まではバスで移動)
標高は、2,305メートル。

まずはじめに、ここでは高山病を起こさないために体を高所に慣らさないといけない。最低でも5合目に1時間は滞在し、体を慣らす必要がある。私はiさんと記念に写真撮影などをしながらのんびり休むことにした。

5合目で少し休んでから、いよいよ出発することになった。私たちは専任ガイドのもと、十数人の男女で出発した。

出発してからしばらくすると、少し離れた場所で別のツアーに参加していた外国人女性が体調不良になり、途中で断念することになった。この光景を見て、改めて富士山に登ることは簡単ではないのだと思った。(出発してからすぐに高山病になることは可能性として低いが、その方の当日のコンディションが悪かったのかもしれない。)

そして、道はゴツゴツしていて安定感がない上に、さらに登るということをしているので、普段使わない筋肉を使っているような気がした。そんな状況ではあったが、私たちは楽しくおしゃべりをしながらひたすら登っていった。

ひたすら登って、ひたすら登って数時間・・・

ずっと変わらない景色に見飽きたと感じた頃に休憩となった。

さすがに標高が高い場所ではどんどん空気も薄くなり、気圧でビスコも破裂寸前だった。開けたら今にも破裂しそうだった。封を開けるのはやめておいた。

そんなビスコの姿を眺めていたら、私も酸素マスクをした方がいいのではないかと思い、持参してきた酸素マスクを人生はじめて使ってみることにした。だが、あまり変化したようには思えなかった。

それからまたひたすら登って、ひたすら登って、数時間経過。

徐々に標高が高くなってくるに連れて景色も変わってきた。ここでガイドさんがこれは珍しい、という口調で指を指した。

「あれ、影富士ですよ!」


「影富士」とは、富士山が影となって雲海や下界の地表に浮かぶ姿らしい。
それも様々な条件がそろわないと見れないとのこと。中には、影富士を見るために富士山に登る人もいるのだとか。今回、この「影富士」を見られたのは幸運だと言われ、なんだか少しだけ得した気分になった。

そこからさらに山頂を目指して登り続けた。

②富士山8合目(仮眠・休憩)

5合目から出発してから数時間が経過し、ついに8合目に到着した。標高は、3,000メートルを超えている。私は少しだけ8合目を警戒していた。そして、8合目では、山小屋で休憩・仮眠を取ることになった。

食事の時間になり、カレーとお水が配られた。
「数時間懸命に登り続けて食べるごはんは美味しい!」と言いたいところなのだが、正直美味しいとは言えなかった。場所も場所で仕方がないのだが、おそらくレトルトカレーでウインナーやハンバーグの味がなかった。iさんはこのレトルトカレーを「たぶん、ボ○カレー」と言っていた。

食事を済ませてから、仮眠を取ることになった。私は仮眠室に入り、すぐに眠ろうとすると、同じツアーに参加していた方から驚いた口調で「早いな」と突っ込まれた記憶がある。なぜか急に恥ずかしくなった。それくらいすぐに眠りにつこうとしていた。

しばらくしてから周りの人がポツポツと寝始めた頃、隣にいたiさんが寝付けていないことに気が付いた。どうやら高山病の症状が出てしまったようで、頭痛が辛そうだった。それから仮眠室を出て、一緒に外の空気を吸うために外に出た(と言っても、外は外で相変わらず空気は異常に薄い

周りは夜で真っ暗な中、私たちはしばらく話しながら外の空気に触れていた。

すると突然、ガイドさんがこちらへやってきた。
どのような会話だったか記憶は曖昧だけれど、会話の中でガイドさんがiさんに放った一言だけは今でも鮮明に覚えている。


「山友になろうよ」


私たちは「???」だった。

「山友」というのは、「一緒に山に登る友だち」ということなのか。その一緒に山に登る友だちにならないか?とこのガイドさんは提案しているということなのだろうか。

そのガイドさんの顔を思い出すことができないのだが、記憶の限りでは大人しそうな印象の方だった。しかし、終始口調はなんだか軽い印象だったのを覚えている。私は内心少し警戒した。会話を終えて、私たちは室内に戻ることにした。

室内に戻ると、テーブルがあり軽食を注文することができる。私はおでんを注文し、おでんを頬張りながらまた少しおしゃべりをした。そのあと、iさんも気分が少し落ち着いたようで仮眠を取ることにした。

いよいよ富士山山頂を目指して、再出発することになった。
時刻は深夜2時近くを回っていたと思う。辺りは真っ暗な中、また山頂を目指してひたすら登った。

私たちはなんだかんだで8合目までは楽しく登ってこれた。しかし、8合目から山頂までの道のりは体力が限界に近付いてくるタイミングで辛かった。周りを見ても、会話をしながら登っている人がほぼいなかった。皆、無言で登っていた。「あと少し。あと少し。」そう心の中で言い聞かせながら登った。

③富士山山頂・お鉢巡り(オプション)

そしてついに山頂に到着した。時期は9月ということもあり、尋常じゃないくらい寒かった。最低気温はマイナス。寒いというより、痛いとう感覚に近かった。

ここで念願の御来光待ちをすることになった。

もうこれだけでも景色が素晴らしかった。今でも記憶に残っている。
目に入る景色が非日常で、夢の中にいるような気分で不思議な感覚だった。

そしてついに御来光の時がやってきた

「富士山の山頂からの御来光を眺めてみたい」

これが叶った瞬間は本当に嬉しかった。これまで何時間と登り続けてきて、体力も限界だったけれど、二人とも無事に山頂まで登ることができてとても嬉しかった。写真や言葉だけでは伝えきれない達成感や感動があった。

感動のあと、私は突然何かを思い出したかのようにリュックの中に入れていたしゃけおにぎりを極寒の中、無意識に食べはじめた。これに対して、iさんはとても驚いたと言っていたが、私はなぜこのような行動に出たのかはあまり記憶がない。空気が薄かったせいにでもしておこうか。

一番の目的だった御来光を山頂から眺めることができて満足したのか疲労もあり、お鉢巡りはせずに次は温泉を目指して下山することにした。

④富士山下山(休憩)

この下山が想像以上に苦戦した。なぜなら、砂利道で足元が滑りやすく、膝に負担がかかるからだ。常に膝に力を入れていないとそのまま下まで転げ落ちてしまうのではないかと思うほどだった。正直、私は登る時よりも下山の方が辛いと感じた。

二人でゆっくり下山していたらまたあのガイドさんがやってきた。
正直、二人とも体力の限界で話している余裕などなかった。ガイドさんは何か言っていた。この辺りはもう記憶がない。ただ、iさんが何か狙われているということだけは感覚的にわかっていた。(後々、そのガイドさん視点で考えると、私は邪魔な存在だったのかもしれない。)

さらに下山途中、馬がいた。「馬に乗って下山しませんか?」とこちらへ誘惑してくる。私たちは自力で下山するべく、途中馬に引かれそうになりながら、誘惑にも負けず無事に下山することができた。

気が付いたら、もうすっかり気持ちの良い朝だった。

私たちは無事に富士登山を終えて安堵した。

⑤温泉・昼食

下山後は休憩したり、お土産を買ったりしてのんびり過ごした。それから富士山を離れて、温泉を目指すことになった。登山後の温泉はとても気持ち良いものだった。

私たちはバスに乗り、東京を目指した。バスで眠りながら数時間が経過し、東京に戻ってきた。

私たちはバスから降りようとして、荷物をまとめていると、またあのガイドさんがこちらへやってきた。ガイドさんは小さな紙を取り出して、ボールペンで何かを書いている。それをiさんに渡した。

それを見ると、携帯番号が書かれていた。

私たちはバスを降りた。

私は彼女が持っていた小さな紙を見ながら、「それ、どうするの」と聞いてみる。すると彼女は、「ああ、特に何もしないよ。たぶんあの人は他の人にも同じようなことをしていると思うからね〜。」と、とても冷静な口調で言った。

それを聞いて、私は改めて思った。

やはり彼女に声をかけて正解だった。私はそう確信した瞬間だった。

そして、本当の山友になれたのは、そのガイドさんではなく、私の急な誘いにもかかわらず、一緒に富士山に登ってくれたiさんだったと確信したのだった。

fin



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