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PRとアピールは違うんだという今さらの話

そういうことじゃないよな。その言葉を聞くと、反射的に思う。

思ったほど認知されてなかったり、反響が少なかったりした事象、あるいは存在に対して誰かが言うのだ。

「もっとしっかりPRしないとダメだよ」「アピールが足りないんじゃない」

絶滅危惧ワードかと思ってたのだけど、どうやらいまもわりと使われてる。

企業が何か新しいことを始めて、うまくいってない状況とかでも出てくるし、地方の自治体で「町おこし」とか「移住者を増やしたい」みたいな文脈でも偉い人がそんなことを言ってたりする。

この場合のPRとは「目立つ」だ。結構多くの人がPRを「目立って話題になること」だと勘違いしている。

なので「PRが足りない」「アピール不足」と言ってるときは、全然目立ってないからもっと目立って話題になるようにしなさいという叱咤なのだ。

まあ、たいていは「じゃあ、PRとかアピールって具体的に何をどうする?」というところもふわっとしてるのだけど。つまり、言ってるほうもあまり考えては言ってないということになる。

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本来のPRは社会との関係性をつくることだ。Public Relationsという名のとおり。社会という主語(?)が大きすぎるので、自分が関わる人たち、自分の存在が定義される環境との関係性を「いいもの」にするのがPR。

決して目立つとか、そこでうまくバズって話題性を高めるとかではない。

あれ? なんか真面目な話をしてるなと思うけど、これって企業や自治体だけの話じゃない。このnoteに限らず、何かの発信をしてる人はたいてい当てはまると思う。

そのときだけ一瞬目立ってバズっても仕方ない。むしろそれをすると本来、いい関係をつくりたい人を遠ざける。

そんなに目立ちたいなら渋谷のスクランブル交差点でみんなで名前書いたおぱんつを頭に被って歩けばいい。とりあえず目立つ。

おぱんつを頭に被って歩くのは控えめにしたいというなら、どうすればいいのか。

ちょっと前に聞くようになった(今はどうなんだろ?)
「Thought Leadership(ソート・リーダーシップ)」という考え方というかアプローチがある。

ソートは「考え方」「思想」。直訳すると「考え方のリーダーシップ」になる。わかるようでわからない。

なにしろ英語が不自由なのであれなのだけど、ざっくりいうと「自分が発信したい分野で、この先を見据えて共有したいテーマを投げかけ、プロアクティブな議論を起こしみんなで良い方向に持って行けるようにする」活動。

あほなことで自分が目立つのではなく(そんなことしても誰も幸せにならないし)、自分が関わる世界で自分が率先して「将来のための建設的議論の種」を蒔いたり、みんなで何かしらの「良きアウトプット」をつくる。

そうした行動そのもので、ごく自然に控えめに自分という存在と自分の存在する生態系が「なんかいいな」とみんなに知られる。そこからまた、「じゃあ、こんなの一緒にやりませんか?」みたいな循環も生まれる。

そういうのが今とこれからの「PR」なんだろうなと思う。

よく考えたら、もうすでにnoteの世界にはそれをやってる人もいっぱいいる。
ヤマシタ マサトシさんや竹鼻良文 / TAKEHANAKEさんの活動なんかもそんなふうに感じる。


もちろん、他にもたくさんの人が「Thought Leadership」な活動をnoteでも発信している。

そこには仕事と関係あるとかないとかそういうのを越境して、まだ文脈としては見えていない大事な何かがある気がするんだ。

「正解」ではない「良き」をみんなで探求していく。そこに入るきっかけを与えてくれる「これからのPR」は読んでいても楽しい。