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人と向き合う土

わりとよく「土」の話をしてる。

ほとんどの人には興味関心が低い。それでも土から離れられないのは、人もいろんな土で出来てると思うからだ。

人が土で出来てるなんて、何言ってるんだろうなんだけど、ここまで人生を生きてきて少なくとも僕自身の「書いて生きる」のベースは、やっぱりいろんな人からもらった「土」の積み重なりだ。

物理的な土がそうであるように、土は決して単体では生成されない。岩石が風化し、そこに植物や動物や生きとし生けるものが土に還り、微生物たちが分解し――というくり返しが壮大な時間レベルで行われた結果だ。

人間という土も、人の一生という時間をかけて、いろんな人との出会いや触発、経験、言葉(他にももっとある)が自分に還元されて出来ていく。

そういう意味でライターという仕事を通してというか、その風土、環境で出会うことができた、様々な人からもらったもので出来た「土」は、僕自身にとっても大切な土。

音楽プロデューサー酒井政利さんに出会わせていただいたのも「言葉としての土」をちゃんと見つめるための「錨(いかり)」、アンカーのように、僕が表面的な言葉に流されるのを留めてくれている。

酒井さんに初めてお会いしたのは10年ほど前。

いろいろな縁で、いまも運営のお手伝いをさせていただいている演劇スタジオのサイトをリニューアルするにあたって、演劇スタジオの前身である伊藤正次演劇研究所に縁の深い方々にお会いしてインタビューさせていただいたのがきっかけだった。

酒井さんは山口百恵さんや郷ひろみさんなど、昭和歌謡史に輝かしく名を連ねるトップアイドル=スターを育て、数々のヒット曲、名曲を送り出してこられた伝説のプロデューサー。

いまではあたり前に使われているアイドルという言葉、概念を定着させたのも酒井さんだ。

これまで酒井さんがメディアで語ってこられたインタビュー記事などでも、プロデューサーとして手掛けられた歌手や楽曲についてのものが多く、酒井さんと演劇との関わりについてはあまり言及されてなかった。

まあ、その話は深くなってしまうのでここでは書かないのだけど、実は山口百恵さんの『プレイバック』『美・サイレント』などの楽曲は、酒井さんが個人的に伊藤正次演劇研究所に足繁く通われるようになったことで生まれたのだと教えていただいた。

なぜ音楽プロデューサーが、知る人ぞ知る演劇研究所に? 

たしか、インタビューのときもそんな疑問が浮かんだ。それに対して酒井さんがこんなふうに話してくださった。

「表現する、創作するという仕事は、水と一緒なんですよ。境目がない。歌も演劇の世界も共通。大事なのは、表現の究極は下衆の世界だということ。人間の業や生き様、そういったものを品格を上げて表現する世界なんです」

いま思い返しても、ものすごく深い話をしていただいたんだと思う。

表現の前に「人間」がある。表現を生業にする、あるいはしようとしている人間は「境目のない世界」で生きなければならない。境目のない世界とは、表現者としての自分も、そうではない自分も切り分けることなんてできないということになる。

つまり、どこまでも他者にも自分自身にも向き合い続ける覚悟がいる。その場だけうまく演じよう、うまくこなそうとしても、そんなものは所詮、浅い。

「いまの人たちは、ちゃんと人と向き合ってないね」

酒井さんは、こうも言われた。

いまの人たちはスマホもあってSNSやチャットツールもあってコミュニケーションの手段は増えたけれど、本当にちゃんと人と向き合えてる人は少ないんじゃないかと。

音楽にしても芝居、演劇の世界にしても、あるいは記事や小説を書くのでも人とちゃんと向き合えない人が、誰かの気持ちを動かしたり、表現や創作物を通してどこかに連れて行ったりなんて出来ない。

人と向き合うことに対しては、とても厳しくて優しい人だった。その証拠に酒井さんが関わられた歌手、アイドルなどで、いまの芸能界のように「消費」された人はまずいない。

もちろん、音楽プロデューサーとして自身がデビューさせた歌手、アイドルが「売れる」ように考え、プランニングし売り出すことにもプロだった。ときには意表を突くような楽曲プロデュースも行った。

その一方で、彼・彼女たちに「人間」として向き合うことも忘れなかった。いや、むしろそっちを大事にされてたと思う。

誰が歌っても同じような楽曲はプロデュースせず、その歌手、アイドルの人間の深いところまで一緒に降りていって、その人にしか歌えない、その人に表現してほしい世界をちゃんと創っていた。

その話もこれ以上僕が書くことでもないので書かないけど。

演劇スタジオのサイトに「受け継がれる想い」のシリーズとして掲載する原稿のフィードバックも、都内某所で酒井さんから直々にいただいた。

掘りごたつで原稿を広げ、すべての文章に対して最初から最後の一文まで、丁寧に「これはね」と、インタビュー時には出て来なかったエピソードや想いも交えながらお話しをいただいた時間はいまも大切に僕の中にある。

フィードバックの赤字もあたり前だけど的確で、ここはすごくいいねという箇所は本当に「いいね」という優しい笑顔と共に返していただいた。

伝説のプロデューサーと呼ばれる人が、わざわざ、そのための時間も取って僕のような名もなき人間と3時間半も向き合ってくださったのは、夢かなと思う。それだけを取っても人と向き合う「本物の人」だった。

あらためて感謝申し上げると共に、酒井政利さんのご冥福をお祈りします。