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なぜメディアは華麗な掌返しをするのか

最初に断っておくと、べつに五輪に物申したいnoteとかではない。

いつも書いてるけど、アスリートの世界と腐海のように誰も制御できない五輪の世界、多くの人々の日常はどれも別のレイヤーで、一緒くたにしたものを書くことはできない。

いや、書きたい人は書けばいいのだけど、個人的には書かないだけの話。じゃあ、これは何を書いてるのか。

メディアの五輪文脈(あるいはそこにある空気)についての個人的な思索であり類推。あ、つまんなそうな匂いしますよね。でも生きるリテラシー的に大事なこと。

あるところで五輪開幕前に書いたけど、やっぱり多くのメディアが華麗な掌返しの技を魅せてくれている。鮮やか。

五輪開幕前は散々「緊急事態下で本当に開催すべきなのか?」「混迷度を増す五輪」トーンの報道や情報番組を流してたのに、開幕してみたら「日本のメダル獲得なるか?」「史上初の快挙」「涙のメダル感動の舞台裏」「がんばれニッポン」の絶叫大声援。

そして、どんな種目でも「負け」れば一気に熱が冷め関心の潮が引いていく。

それでもメディアは世の中に五輪以外の話題もニュースもないかのように、朝から夜までそれ一色。五輪だから5色だけど。

こういうことを書いたりすると、かなりの確率で「せっかく盛り上がってるのに水差さなくても」「いまだけなんだからいいじゃん」「アスリートは4年に一度の舞台目指してきたんだよ」とかの反応がある。

いや、そのとおりだと思う。くり返すけど、アスリート個人のドラマや挑戦を否定したい気持ちなんて1ミリもない。僕も彼らへの取材なんかでもそうだし、個人的にもアスリートだから出てくる「フィジカルな言語や文脈」は好きだ。

だからこそ、本来「個人的」な意味合いの強い(チーム、団体の中にだって個がある)いろんな想いや言葉にならない、する必要もない内面と結果がシンクロする瞬間その他がメディアに掬われて「日本中に感動と勇気を」みたいな大きな文脈に乗せられるのが(それも込みでアスリートという存在だっていう人もいるけど)、純粋に「つくられた感がすごい」と感じてしまう。

大きなこと(のように見える)文脈の前では小さな大事なことは波間に消える。
大きな波にもまれながら水中の「小さな大事なこと」を拾い上げていくのは難しい。

波が収まるまで待つしかないんだろう。でも、それで本当にいいのかなとも思う。

五輪やアスリートを軽視してるとかではなく「現実」として、他の多くのひとは五輪の有無に関係なく、それぞれの(しかも2年になろうとしてる禍の中の)現実を生きてる。

なのに、そこはメディアからは見えにくくなる。

メダル至上主義に異議を唱えながら、一方ではメダルを追いかけ煽るメディアの典型的なダブルスタンダード。いまに始まったことではないのだけれど、今回の五輪ではこういう状況だけに殊更、そのダブスタが光って見えるのも事実。

で、大事なのはこれは五輪に限らないこと。何だって基本的にメディアは同じ文脈が流れ続けるものだから。

冷笑的にではなく、そもそも純粋なメディアってほぼ無い。このnoteだってそうだと思う。

なんらかの目的、意図、空気、文脈、それぞれの政治の中でメディアも運営され存続していく。マスの大きなメディアであれそうでないものも。

もちろん中の人に尊敬できる人もたくさんいる。でも、それもアスリートと五輪の文脈の違いあるいは関係性と同じで、彼らの純粋で尊敬できる部分とメディアの存続≒五輪の存続は同じレイヤーでは語れないのが現実。

メディアの宿命的な文脈は多勢になびくことにもある。数字(大きな意味での利益も含め)が取れないと存在できない。そのためには、そもそも白でも黒でも、感動でも悲劇でも何だっていい。大勢の人を引き寄せられるのなら。

ときにはブルシット・ジョブのような本来は無意味で無用で逆に弊害ありそうなものを「いかにも意味ありげで、有用で必要」なふうに見せることだってある。それでも多数が乗っかればそれは「意味」になっていく。

そこをハンドリングしていくのがメディアのある意味、政治力になってくる。

たぶん「政治」っていう言葉を出した時点で、結構、拒否反応というか「なんか嫌」と思われるのもわかってるのだけど、そこを見て見ぬふりしてると、いつまでもメディアのダブルスタンダード、つまり鮮やかな掌返しの根本原理が見えないと思う。

もう少しだけ言えば、メディアを動かす「政治」も国を動かす「政治」も根本は一緒なんだ。

カール・シュミットが『政治的なものの概念』で著したように政治の本質は「政治とは敵と味方を峻別すること」。その対象が善きものでも悪しきものでも構わない。自分の敵なのかか味方になれるのかが大事。

そして自分の味方(メリット)になるものなら何でもいいから利用するのが「政治」。メディアだってそこは良い悪いではなく、そういうものなのだとわかった上でいろいろ観ていくと別の興味深さがあるのだけど。