炭素繊維とツイッギーの時代

ミニスカート流行のきっかけとなったツイッギーブームだが、1967年に東レの名物宣伝部長、遠入昇が来日を企画している。当時、ナイロン繊維を販売拡大させようとしており、パンティストッキングの素材であるナイロン繊維の拡販に有効と閃いたためである。当時、膝上までのストッキングが主流であったが、ミニスカートではそれを吊るものが見えてしまって格好悪く、一大買い替え需要が期待されたためである。

この時代は3大合繊と呼ばれる、ナイロン、ポリエステル、アクリルが日本に導入された時代である。東レはナイロンについて事業化ができていたが、1969年にユニオンカーバイド社とナイロン工場の診断について討議するときに、炭素繊維用にアクリル繊維の提供(東レ側)と炭素繊維の焼成技術の提供(ユニオンカーバイド側)の技術交換の話をまとめた。ユニオンカーバイドから提供された技術はそのまま使えるようなレベルではなかったものの、このような外国からの技術輸入で日本の産業が花開いていったのである。

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