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終わりはいつもあっけない

今年入ってから、割と身近な人が亡くなったりすることが多く。
昨日も、通夜にいったところです。

改めて、時間の使い方や、優先順位を見直すことも痛感するこの頃です。

先日、「時間」と「注意」についてまとめてみて、「そうだな」と思った次第ですが。通夜に参加しながら、「終わりはいつもあっけない」という言葉を思い出しました。

そう、そう書いてあったのは、こちらの志村けんの「変なおじさん」という本でした。

志村けんの自伝的なエッセイ本ですね。私が中学生の時に初版がでたんですよね。

当時、エッセイが読みやすくて、好きで読んでてその中でこの志村けんのエッセイはワクワクして読んだ記憶があります。今だに、この言葉が印象に残ってるくらいなんで。


「終わりはいつもあっけない」とは?


この本で、終わりについて書いてあったのは、視聴率に低迷による打ち切りなどの話からだったと思います。全員集合の終わりの時とか、終わりのあっけなさを志村けんさんが痛感していたことを書いてあったのがすごく衝撃的だったのを覚えてます。

カトちゃんケンちゃんご機嫌テレビで花々しくしていたイメージもあって、終わりついてそんな感想を出してるのが生々しく感じたものだった。


なので、その本を読んでからは、その視点ももちながらTVをみてた。そのバイアスがかかってか、もちろん亡くなった時も非常にコロナでこんなに突然に亡くなったことも、幕引きも終わりはいつもあっけないという言葉がよぎった。

その年は朝ドラマも出演したり、さらに特集もある予定だったらしいのに。ほんと、残念だったなぁと。

友人も色々頑張っている奴だったので、とてもまだ道半ばでもあるので、非常に残念です。


なにはともあれ、「生きてこそ」


諸行無常。

どんな取り組みも、発言も生きてればこそです。
死んだら何にも出来ませんし、美味しいものも食べれません。

通夜で久しぶりの人に会って話しながら、呆気なさを感じつつも、今この場にいる大事を感じます。

私たちも、遅かれ早かれこの世を去らなければなりません。

100年後には誰もいないという言葉がありますが、100年後には子供達もいない可能性もあるわけで、この時間の大切さを痛感する次第です。


木下所長の記事にありますが、すべての所有物が実は自分が生きている間だけという期間限定のレンタルでしかないということもあらためて。


今生きてる時間を大切にしたいなと、1月早々何度も思う機会が度々あり。

来月、高野山に行こうと思ってる次第です。





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