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【9章 寝ること食べることが〇〇になる?】

この記事は「耳で聞くやさしいYOGA哲学フミママラジオ」の原稿です。本編が気になる方は、下記のラジオをご視聴くださいませ。
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〇〇の答え

寝ること、食べること、行いをすることは、

すべてが自然の摂理との繋がりを深める儀式になる


ヨーガスートラでは、「自然の摂理イーシュヴァラは、私たちの知性に宿る」と書かれていました。


まさに目から見るもの・・・

耳から入ってくるもの・・・

口から入ってくるもの、皮膚に触れる物、自分の中のイーシュヴァラに捧げていこう!!

そういう気持ちで、日々の生活を一つ一つ大事にしていく。


そう思うと、

心地の良いものを自分の中にいる、尊いものに、捧げた方がいいですよね。

自分の五感から体験するすべてが儀式になり得ます。

形式的な祈りや儀式以外に、日常の全てに自然とのつながりがあることを理解する


儀式と聞くとかしこまった気がしますが、例えばお寺にいって祈る以外に、私たちは、もっともっと多くの時間を、日常を”小さな出来事の連続”で過ごしています。

その日常が”儀式”になっていったら、どれだけ心を磨くチャンスができるか?ということです。

然とのつながりがこうして、息をしているときも、誰かと会話する時も、ご飯を食べる時も、全てイーシュヴァラ自然の摂理とのつながりがあるんだ!ということを理解していくことが、この儀式をする以上に(お寺で祈りをすること以上に)大事なことなんだよ。ということです。

これが、バクティYOGA、カルマYOGAとは、そういうこと。
形式的な儀式にこだわる必要はなく、

私たちは何を語るか?どういう風に人と接するか?
どういう行いを世界に投げかけていくのか?そして逆に世界から入ってくるものをどうやって自分の中に捧げていくのか?

世界から入ってくるものは、いいものばかりではないですね。

※ちょっと思い出したエピソード(ラジオで話しています)

この一つ一つ見る物、食べる物、触る物すべてが儀式になりえますので、

私たちが行いとしてするなら、良い空気を吸う、伸び伸びとすう、困っている人がいたら助ける、そういうような儀式ですね。

私たちが現代社会でするとしたら、心を磨くチャンスをもってください。それが自由につながりますよ。

今日一日も皆様にとって素敵な一日になりますように。

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