見出し画像

ポートランドという街の記憶 【アメリカ旅日記】

32歳の春、恋人と別れたばかりの私は二度目のポートランドをひとりで旅をしたことがある。

付き合い始めてちょうど2年の記念日に、プロポーズされた。
その時になってはじめて、私には「この人と一緒に暮らすイメージが全くなかった」ということに気がついてしまった。私はその1週間後に、彼に別れを告げた。
彼はありえないというようなことを何度も言って、私を色々な言葉で罵った。当たり前だ。もうすでに、心は別のどこかにあった私は(最低だ)逃げるようにして、その場を去った記憶がある。

今、あの頃を思い返してみても、なんだか遠い国の、どこかの誰かの話だったようにさえ感じる。
過去の恋愛なんて、多くの人にとってそんなものなのかもしれないが。


2017年の5月、とにかく私はひとりで成田からデルタ航空の直行便でアメリカ、ポートランドへ向かった。

「旅先には、過去の思いや後悔を全て置いてくることができる」

というどこかの誰かの言葉を私は少しだけ信用していた。

何故ポートランドだったのかと言えば、昔、中学生だった13歳の時にたった一人で短期留学をしたことがあったからだ。自分にとっては、ずっと原点だと思える大切な場所だ。とにかく、あの土地にもう一度訪れたい。そうすれば、絶対に何かいい方向に物事が進むだろうと、私は思っていた。

約9時間のフライトで到着したポートランド国際空港は、少しだけ「廃れた」印象がする空港だった。ニューヨークやロンドンなどの大都市のそれとは違い、規模も小さいし人も少ない。日本からの直航便にも関わらず、その大半はアメリカ人で、私のような旅行目的で来たような風貌の人など、一人もいなかった。

でもその時の私には「ちょうどいい」感じがしていた。

入国までの待ち時間も少なく審査もあっさりとしていて、なんだか肩透かしを食らったほどだった。

見るからにフレンドリーな審査官の男性が、パスポートの顔写真と私の顔を交互に見た。

「うーん。今の髪型の方がずっと似合ってるよ。その髪型、素敵。もう変えちゃダメだよ。」

唐突に目の前のアメリカ人に軟派なことを言われた私は、つい最近、短く切った髪を触りながら笑った。

「久しぶりにどうでもいいことで笑ったな」などと思いながら、私はまだニヤついたままの顔でアメリカの土地を踏んだ。

そう、こんな風に何の意味もない会話を、ずっとしたかったのだ。


まず私は、空港から出ている「マックスライトレール/レッドライン」に乗り、40分ほどかけてホテルのある街の中心まで向かった。ポートランドはこじんまりとしたサイズの「コンパクトシティ」でありながら、公共交通機関が充実している。街歩きにも最適の街で、全米で最も自転車政策を推進している都市でもある。
何から何まで私のようなひとり旅には、ぴったりだった。

窓の外を見ると、空は曇っていて今にも雨が降りそうだった。
後から知ったことだが、この曇り空こそがポートランドらしい気候らしい。

枯れた草木に、廃れた工場ばかりの殺風景な土地がしばらく続いた。20分ほどすると、日本の郊外にもあるような典型的な大型ショッピングモールや、いかにも田舎町といった郊外の住宅地の風景に変わり、次第に、洗練されたポートランドの中心地の街の姿が見えてくる。この、どこにでもありそうな普通の景色というものが、不思議と私を「本当に」異国に連れてきてくれたという感じがして、ワクワクしていた。

それはこれまでに行った他のどの国のどの都市の感覚とも違っていた。

まるでそれは、レイモンド・カーヴァーの小説の世界だとか、ガス・ヴァン・サントの映画作品だとかの中に、突然飛び込んだような気分だった。




私が泊まったのは「ACE HOTEL PORTLAND」というホテルだ。数年前から、日本の雑誌でも表紙を飾ったり、一時期は特集を組まれたことのある「ポートランドの顔」とでもいうべきアイコニックな場所だ。

90年前の古いホテルをリノベーションしたここは、年月による古着的な味わいと、空間の隅々までに行き届いた現代的なセンスの良さが絶妙なバランスで共存していた。入り口を入ってすぐに目に飛び込んでくるこのロビーが象徴的だ。

このホテルは、私にとってこの旅の目的地であり終着地でもあった。

ただ誰かと待ち合わせをしているだけの人、コーヒーを飲んでいる人、パソコンを開き、仕事をしている人、新聞や本を読んでいる人。その土地に暮らしている人々をここで眺めながら、のんびりと過ごす1日を、夢見ていた。


自分が今暮らしている世界とは、全然違う人の暮らしの一部を、のぞくだけでいい。

夜は、このホテルの狭い部屋で、部屋に置いてあるレコードをかけて、ひとりでお酒を飲んだり、時には踊ったりしながら、日記でも書きたい気分だった。実際にそうするには、ACE HOTELは最高で最適な場所だった。

(本当はUSのNetflixにアクセスして日本では公開されていないドラマを観るといういうロクでもない夜の過ごし方をしてもいたのだが。)


ポートランドが際立って他の都市と違うのは、おそらく周囲の環境だろう。
森に囲まれ、清流が流れ、雄大な山々を背景にしている街だということだ。


旅の2日目、私は早速ダウンタウンのすぐそばのフォレストパークへ歩いて向かった。

ダウンタウンから、たった30分ほどでその森への入り口はあった。だいたい東京の港区と同じぐらいの広さがあるらしい。ハイキング、ランニング、サイクリングからバードウォッチングまで、そこに訪れる人たちが、各々自由にこの森で過ごしている。

しばらく歩き続け、近くにローズガーデンがあったので少しだけ立ち寄ってみた。

外国に旅に来て、「ただ森の中を一人で歩く」という過ごし方をしたのは、この時が初めてだったが、これはとても良い経験だった。

広い森の中を、木々や土、花の香りに誘われるようにしてわたしは歩き続けた。途中、何度か地元のランナーやハイカーにすれ違い、互いに声を掛け合ったりした。

そういえば街中にはマウンテンパーカーを着た人や、スポーツウェアに身を包んだラフな雰囲気の人を多く見かけたが、日常の暮らしとアウトドアがごく自然に融合した暮らしをしているからなのだと気がついた。

この街ではハイヒールを履く人など、ほとんど見かけなかったような気がする。
こういう暮らしが、私はすごく好きだったのだなと思った。


ポートランドの街は、「歩く人」のことを1番に考えられた設計になっている。

どんなに歩いていても人が体感的に飽きることがないちょうどいい区画で設計されているのだという。外で休憩できるベンチや公園、広場などがそこら中にあり、街の中にも緑が多く、歩道もとても広い。

私は、街のざまざまな場所へ、バスや、マックストレイル、徒歩などで回遊した。

私は外国に来ると、街の素敵な本屋に立ち寄るのがとても好きだ。 

「Powell‘s Books」はこの度で何度も訪れた場所だ。中にはカフェがあったり、この土地ならではの、おしゃれな土産物なども買うことができる。ここもこの街にとってなくてはならない場所のようでたくさんの人達が集っていた。


別の日に、「アルバータ・アートディストリクト」というエリアに行った。

私が最もこの旅で気に入った場所だ。

名前の通り、この街で最も文化的で多様性に富んだ街である。
起業家やクリエイティブな精神を持つ人や若い世代の家族や学生が中心となってコミュニティを形成している。

通りには、個性的で魅力的なお店が多く立ち並んでいた。東京で言えば中目黒や祐天寺あたりの雰囲気だろうか…。いや、やはりそれとも少し違うかもしれない。


私は都会の暮らしが好きだが、私にとって東京は少し「過剰」だった。

ポートランドは、どこに行っても、この街の大きさと人の数、都市として必要な機能がちょうどいいバランスを保つ密度になっているように感じ、それがとても心地よかった。

ポートランドのことを「ワンダフルワンダーランド」と形容する人がいたが、きっとそれが最も的確な言葉だと思う。

便利で自立した都市でありながら、ゆったりとリラックスして過ごせる場所。すぐそばに緑があり自然に浸ることが容易にできる。
このバランスがおそらくこの土地に住む人の、どことなく穏やかで、かつ自立した独特のコミュニティ作っているのだろう。こんな場所が他にあるだろうか。

ここは、アルバータストリート沿いの地元産の安全なオーガニック原料を使った、ハンドメイドのアイスクリーム屋さん「Salt &Straw」というお店だ。

10代の女の子たちが気怠そうにアイスクリームを食べているのが可愛い。私も昔はこんな感じだったんだろうか。
ひとりでアイスクリームにかじりつきながら彼女達を見つめていたら、「写真撮って」と声をかけられたのでわたしはそれに応じ、何枚か写真を撮ってあげた。

「入る?」と言われたので一回だけそれにも応じた。まさか同世代だと思ったのだろうか。いやいや、そんなはずはない。
とにかく、ティーンの関心事は、どこの世界も共通だ。


ポートランドでは、きちんとその土地の材料を使って、その土地の人が作り、その土地の人が届ける、というシンプルな流れの中が街の生活にしっかり根付いているようだ。

それだからか、この土地をここに住む人がとても大切にしている感じが、どことなく伝わってくる。


旅の最終日、私は風邪をひいてしまった。
朝起きたら喉が痛く、頭痛がして、明らかに微熱もある感じがした。

午前中はベッドの中で過ごし、お腹が空いたので、午後に少しだけ外を歩いた。

曇り空の多いポートランドにしては、この日は奇跡とも言える快晴だった。半袖でも心地よくすごすことができる。

外は、夏の手前の、私が1番好きな季節の、緑色の風の匂いがした。

熱のせいか、はたまた強い日差しのせいか、軽い目眩を覚えながら、半分夢心地の中で可愛らしいパン屋さんを見つけ、少し休憩した。

私は、温かいカモミールティーと、サクサクに焼かれたクロワッサンを食べた。
中にはアーモンドクリームが挟まれていて、思わず笑みが溢れるぐらいに美味しくて、ほっぺたがきゅっと痛くなった。

テーブルごとに違った花が挿してあり、それがとても美しくて、私はとても癒されていた。
ハーブティーのおかげか、喉の痛みも少しだけ和らいだ気がする。

私も、帰国したら食卓には毎日花を飾ろうと思った。

ポートランド製の、ワイルドな草の味がしたハーブティーを、自宅用にいくつか買って帰った。

ホテルにもう一度戻り、私は中二階にある、このテーブルで、日記を書いた。この旅で感じたことや、これまでの恋人との関係性などについて、思いを巡らせてみた。
下のロビーを見下ろしながら、この瞬間の自分が思っていることを書き留めておこうと感じたのだ。


私のポートランドでの7日間の旅は、そんな風にして、あっという間に終わった。

街や森を歩き、ホテルのロビーでくつろいだり、本屋をぶらぶらとしたり、熱が出てベッドで横になっていただけの旅だ。

でも、これは私の思っていた通りの旅だった。

***

日本に帰国して3ヶ月後の8月のある日、私はある男性に出会った。
たまたま私がiPhoneの待受画面にしていた写真が、彼の目に止まった。

「あれ?それってポートランドのエースホテルですよね。嬉しくなってしまってつい思わず。もしかして、あなたもポートランドに行ったことがあるんですか?」

私は気がつけば、ポートランドでの旅のことを話していた。
誰か別の人に話してみることで、気がつくこともあるものだ。

食卓に花を飾り、自然と近い場所で、時々本屋に行って長い時間を過ごすという、普通だけれど日常を大切にできる暮らしがしたい。

今の夫は、この時のことをちゃんと覚えてくれているだろうか。


ポートランドは、訪れるたび私にとって大切な場所になる。
本当に、「ワンダフルワンダーランド」。不思議な場所だ。

2021年の今、あの街の様子はどんなだろうか。
昨年、偶然BLM運動のニュースで、見覚えのある通りを見たときには心が苦しくなった。それと同時に、自由を求めるあの街の人らしいなとも、思った。

あのアメリカ西海岸独特の、乾いた空気、街にまで香る森の緑の香り、付かず離れずの距離感の住民達。穏やかで自由な街。

今もあのままだと、良いなと思う。

三度目は、夫と2人できっとまたあの街を旅したいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?