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友達以上、恋人未満の彼女

学生時代からの友人である加藤は、現在連絡をとっている私の唯一の友人だ。もちろん数年に一度ぐらい、ライフステージに変化があった時に連絡をくれる過去の友人や同級生が今でも数人いなくはないが、胸を張って「この人は私の大切な友人だ」と言える人間は今は「加藤」という女1人だと思っている。だが、友人というにはあまりにも軽い気がする。なので私は加藤のことを勝手に「友達以上恋人未満」だと思っている。(そっちの方が軽く聞こえてしまうのが残念でならないが)

加藤とは、今から15年以上前、私たちが大学生だった頃にアルバイト先だった新宿の居酒屋で知り合った。

私の加藤への第一印象は「おしゃれでセンスの良い子」だった。
彼女の私への第一印象は「バンドのボーカルをやっている専門学校生もしくはフリーター」だったらしい。実際に彼女は新宿の服飾系の大学に通い、現在もアパレル業界に10年以上を身を置いているので私の見る目は間違いなかったが、私は一度もバンドに所属したこともなければ、どちらかといえば清楚系の部類に属するような大学の学生だった。

いずれにせよ、過去の多くの友人たちと同じように、どういう成り行きだったかは忘れてしまったが、偶然にも同級生だった私たちはいつのまにか仲良くなっていた。だが、なんとなく互いに恋に落ちた感覚に近いような出会い方ではあった。私は彼女の働いている後ろ姿をなんとなく目で追いかけていたし、彼女の方もまた私のことをよく見ているような気がしていた。

私たちはどちらも異性愛者であるはずだが、なぜだか、互いが気になって仕方がなかったのだ。

毎日同じ制服を着て高校に通ったTも、部活動で一緒に汗を流したKも、受験勉強で切磋琢磨して涙を流しあったSも、みんなもう連絡が途絶えているというのに、新宿三丁目の雑居ビルのあんな居酒屋で出会った加藤とのこの関係だけが、15年以上たった今も続いていくとは、当時は夢にも思っていなかった。

だが、人の縁というのは、きっとそんなものなのだろう。

学生時代の私たちは、居酒屋のバイトが終わった後で終電までの数時間の間に酒を飲んだり、休みの日には一緒に原宿や渋谷界隈を歩き回り、古着屋や流行りのカフェに入ったり、週末の夜になるとクラブにハウスやテクノなどを聞きにいったりした。


私は映画と音楽が好きで、加藤は音楽や漫画に加えて、いわゆる当時のサブカルチャー界隈に精通していた。互いに好きなものが似ていたが、触れているメディアが違っていたのも刺激があったのだ。加藤からはサブカル関係の本や漫画を良く借り、私も加藤に好きな映画を勧めた。

上京して初めて「夢見ていた一人暮らしの大学生」らしいことができていると実感しはじめたのも、この頃だったように思う。実家に帰る頻度も減り、代わりに居酒屋でのアルバイトのシフトを増やした。

大学の友人たちは、大学での勉学に加えて将来のために語学留学をしたり、インターンシップなどに精を出していた頃、私は東京の、新宿の、ゲイバーの立ち並ぶ通りの裏手にあったあの居酒屋に大事な時間を捧げていた。

高校時代までは将来のことを考えて外国に短期留学までしていたタイプの真面目な学生だったのが、自分の中での何かがこの時期に弾けてしまったのだろう。将来のことを考えるよりも、目の前の、東京の大学生であるその生活に夢中だったのだ。

大学を卒業して互いに社会人になると、これまでの怠惰な学生から一変して、私たちは社会の荒波にしっかりと揉まれていった。これまでのようにサブカルだとか音楽だとか映画だとかに執心している場合ではなくなり、私たちが会う時の会話は終始仕事のことか、あるいは恋愛の話に傾倒していた。

私たちの共通点は文化的な趣味よりも、会社でのストレスを発散するためのそれぞれの刹那的な恋愛に移った。なぜだかわからないが、他の友人たちが早々に真剣交際の末の結婚を目指している期間、私たちは共通して学生時代よりもずっと決してまともとは言えないような交際ばかりしていた。時には、一方がロクでもない恋愛をしていたせいで喧嘩になり、約1年ほど全く連絡を取れなくなった時期もあった。流石にその時のことは今も互いに触れてはいけない過去として封印しているが、あと10年もすれば笑い話になりそうではある。

とは言え、私たちが仲良くなったきっかけである「NUMBER GIRL」の解散後に結成された向井秀徳の「ZAZEN BOYS」のライブには私たちは必ず一緒にいった。たとえそれぞれの恋人がZAZENが好きであっても、これだけはなぜだか2人とも一緒に行く相手を譲れなかった。20歳の頃から変わらずに共通して好きなものが唯一これだったのだ。思い返せば、2017年ごろには渋谷のシネマライズがあったスペイン坂付近のアトリエのような場所で、向井秀徳展というようなものがあり、2人でノスタルジーに浸ったりもした。懐かしい。

15年間、私たちは互いに色々なことがあった。プライベートでも仕事でも互いの知らないところで流した涙も数多くあったに違いない。
20歳の頃に比べればいろいろなことが落ち着いた。私たちの関係も、喧嘩したり言い争うようなことも昔はあったが、今は大人になりちょうどいい距離感で互いを尊重している。

今の私は結婚して忙しかった仕事もやめて地方で暮らしている。彼女は都内で一人暮らしをして忙しく働いている。互いに見ている世界も生きている場所も違うが、友人だから、長い付き合いだから、というだけでなく、互いにいつも人間としてどこかに惹かれ合うものがあるからこうやって関係が続いているのだと感じる。

友人だとか恋人だとか夫だとか妻だとか、いろいろな関係性が世の中にはあるが、加藤に関してはどこにも形容できない。

でもだからこそこうやって続いているのかもしれない。
そういうものを、私はこれからも大切にしたい。




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