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変わらない渋谷


「誰かをフォローするために生まれてきたんじゃないよ。」

2020年12月、書店で目に止まったその文字に思わず足を止めて雑誌に手を伸ばした。

懐かしい雑誌名に、昔と全然変わらない紙の手触り。パラパラめくるだけで分かるコンテンツのボリューム感と今の東京カルチャーの気配を感じるデザイン。

2006年に休刊したマガジンハウス社の雑誌「Relax」の1号限定の復刊号だった。当時1周年を迎えた渋谷パルコや渋谷の街についての2020年の出来事を特集しているということで実現したらしい。発刊当時relax読者の1人だった私は、もちろんそれを迷わず購入した。


2000年代前半のある春、私は大学進学と共に上京した。はじめて住んだ街は、池袋。
池袋サンシャインのある繁華街側ではなく、有楽町線の要町駅と立教大学の間ぐらいの場所で、近くには出版社の光文社がある比較的静かな住宅街だった。
当時流行っていたテレビドラマ「池袋ウエストゲートパーク」を、私は文字通り横切っていつも家路についていた。上京したての無知な多くの学生たちと同じように、ただ大学に近いからというだけの理由で池袋に住んでいたのだ。

私が渋谷に足繁く通うようになったのは、上京して1年ほどしてからだとおもう。渋谷駅を拠点に原宿から青山方面、あるいは代官山、恵比寿、中目黒へ。暑い日も寒い日も、その界隈を歩いて過ごすのがとても好きだった。歩き疲れると、適当なカフェか喫茶店に入りアイスコーヒーを飲んだ。スマホのなかった時代、多くの人と同じように持参していた文庫本の小説の続きを読んで、休んだ。渋谷界隈にはブックファーストや、パルコブックセンターなどの書店も昔から多くあり、時にはその場で本を買うこともあった。

渋谷周辺に東京若者カルチャーの多くが集約されていることは言うまでもないが、私が気に入っていた渋谷の街というのは、歩いている時に感じる街の変化の仕方だった。
たとえば路地を一本挟んだその先から突然街や歩いている人の雰囲気が変わる、といった都市ならではの絶妙なグラデーションが渋谷とその周辺の街にはあり、それこそがこの街を魅力的に見せていたような気がしていたのだ。

服飾系や美容学生が多く集まっていた原宿のギャップ前、スケーター達がたむろしストリート系のショップが多く立ち並んでいた裏原宿の細い路地。魅力的な飲食店が立ち並びラフでセンスのいい日常使いショップも多い中目黒や代官山。あとの2つはどちらかと言えば会社員になってからの方が多く足を運んだ。

学生の頃のわたしは、この界隈にはいつもどこかしらに、自分の居心地の良い場所があるような気がしていた。あるいは憧れを含む自分の目指すべき人物像というようなものを街のどこかで見出すことが可能だとも感じていたのだろう。

若者からサラリーマン、地元のご高齢の方まで、渋谷という街が纏っている刹那的な側面と独特の寛容性に私は惹きつけられたのだろう。そこに存在することで、自分がカルチャーの一部になれるとでもいうように。

実際、数年前に東京を離れることになる直前までの私は渋谷にある企業で働き、渋谷駅からわりとすぐの沿線の街に住んでいた。

飲食店に、書店、映画館にクラブにアパレルショップなど、思い出の場所やその固有名詞をあげたらキリがない。

「誰かをフォローするために生まれてきたんじゃないよ。」


私が思わず目に止めた雑誌relax復刊号のキャッチコピーは、まさに当時から私が感じていた渋谷的マインドを言い当てているようだった。

ネットばかり眺めて、ずっと、誰かをフォローしているだけの人間で、このままいていいの?と、かつて渋谷の街で過ごした自分自身に問いただされるようである。

学生から社会人、もっと大人になってからは、確かにもう渋谷という街の空気感と自分自身が合わなくなってきてもいる。

だが、それでもきっと時々私は何かを確認しに渋谷を訪れるのだろうと思う。

誰もが憧れるような誰かや、自分以外の別の誰かや何かを崇拝し、それにただ習うという生き方は何か違うのだ。

自分だけが感じる「これが好きだ」という誰にも共感されなくても構わないその感性を、見捨てないような人生の方がいい。

時代も街も、そこを歩く人も変わりつつづけているが、昔から変わらないと思うなにかが、いつの時代にも渋谷の街はあるような気がするのだ。

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