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永福町で過ごした日々の記憶

今から約10年前、東急井の頭線の永福町駅から徒歩数分の場所で一人暮らしをしていたことがある。

渋谷にある広告代理店に勤務していた二十代後半の頃のことだ。その前は池袋に住んでいたが、通勤の利便性となんとなく縁起のいい名前の駅名に惹かれてその地を引っ越し先に選んだ。

駅前の商店街を抜けた先には「東京のへそ」という別名を持つらしい大宮八幡宮、その奥には和田堀公園があり時々健康のためにランニングをしたり休日にコーヒーとパンを持って散歩に出かけたりもしていた。言わずと知れたグルメの街であり、美味しいピザ屋からちょうどいいサイズ感の小さな居酒屋までが適度にあり、女性の一人暮らしの住環境としてもちょうど良かったのだ。 

住み始めて5年目の冬、使いそびれそうになっていた有給で仕事を午前中で早退したことがあった。前日まで徹夜をしていて疲れていたし体調もすぐれなかったのだ。

昼間に歩く駅前はいつもと同じ帰り道のはずだったのに全く違って見えていた。残業が多い仕事だった当時は夜遅くまでやっている駅中のスーパーばかり利用していたが、この時は商店街の八百屋に立ち寄って店主おすすめの果物を選んで帰った。どうしてそんな事を店主に言ったのかまったく思い出せないけれど、胃腸の調子が良くないというような事を言うと奥からピカピカに光り輝く立派な長野産の林檎を出してきた。「しばらくこれを食べていれば治るよ」と店主に言われるがままに私はその林檎を買った。

重たい買い物袋をぶら下げたまま帰路に着く途中で、前から気になっていた接骨院に寄ってみることにした。
接骨院とはいっても、店構えはベージュトーンの落ち着いたサロンのような雰囲気だ。美容鍼や女性に人気のお灸などのリラクゼーションメニューが充実していそうなところがいいなと思っていたのだ。かといってオシャレすぎて敷居が高いというわけでもないところもいい。

私のこういう時の勘はこれまでもその先もほとんど外れた事はなく、やはりこの接骨院もかなり当たりだった。清潔で温かみがあり、お香のような和の良い香りのする店内は実家に帰ってきたかのような安心感がある。その日以降その土地を去る日まで、私は毎週のように通うことになった。
毎日のパソコン仕事やプレッシャーの大きいプレゼン仕事が続く事も多く、体の定期的なメンテナンスなしでは暮らしていけないような日々を過ごしていたのだ。

つい2ヶ月前、里帰り出産のために実家に1ヶ月ほどの間滞在していた。
久しぶりに自分の部屋の書棚を見上げてみると、辻村深月の文庫本が5冊ほど置いてあり、とても懐かしい気持ちと温かな気持ちが気持ちが込み上げてきた。

それらの本は先の永福町の接骨院で店長をしていた女性からプレゼントされたものだった。
私よりも3つか4つぐらい年上で、こざっぱりしていて気さくだけれど決して軽くはないタイプの人だった。毎週のようにそこへ通い続けているうちに彼女と互いの趣味の話などをするようになっていたのだ。あの時の記憶が一気に脳内に駆け巡り「そうか、わたしにもそんな時代があったんだ」と自然に涙が出そうになっていた。

店長は劇団四季が好きで良く観劇に行っている話をしていた。私がNYのブロードウェイでライオンキングを観た時の感動をその店長に話した事も覚えている。
私と彼女に共通していたのは読書好きだった事だ。元々英文学専攻だった私は海外文学ばかりを好んでいたけれど、彼女の勧めてくれる日本の現代文学はそういえばどれも私好みだった。
私も好きな映画や海外小説を紹介するなどして実際に本の貸し借りまでしていたような気がする。

私が東京を去って地元に帰るという時、店長からメールアドレスをもらっていたはずだった。でも私はその紙を何処かに無くしてしまったのだった。彼女とはそれっきりだ。

10年という年月が経っても、不思議と永福町での何年かをふと思い出し宝物のように感じる時がある。


実際は激務で恋人とは遠距離恋愛の末破局していたし体調もあまり良くなかったはずだけれど、自分が1番地に足をつけて生きていたような気持ちになる数年だったのだ。

「地元に戻ってきて安心でしょう。知り合いもいるし」などと声をかけられる事もあるけれど、本当は永福町での一人暮らしの時の方がずっと誰かと通じ合えている感覚を持てていたようにも思う。

今は地方で結婚もして娘も産まれ、都会で働き一人暮らしをしていた昔の自分とは全く違う暮らしをしている。でも、私の中にはあの数年の私が存在しているのだと思うだけで、なぜだか不思議と勇気づけられるのだ。


慣れない子育てでふと自分を見失いそうになったあの時、本棚にあった小説に私はどれだけ救われただろうか。
店長も私のことを覚えているだろうか。いつかまたあの街に遊びに行こうと思う。

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