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【短編小説】 最初の男

なんだか、魚みたいな顔をした男だ。

南は、サークルの新歓コンパでその男に初めて会った時、率直にそう思った。どちらかといえば顔のパーツが中心に向かっている南は、離れ気味の目を持つその男の顔を見続けると、自分の焦点が合わなくなる不思議な感覚に陥っていた。なんだかクラクラと目眩がしてくる。あるいは、飲み慣れない酒のせいだったかもしれない。

その年の春から東京の大学に進学した南は、新入生へのサークルの勧誘目的でキャンパスに溢れかえった学生たちをかき分け、初めて出来た同じ学部の同級生達と一号館校舎の前にある学食で落ち合った。

「南、こっちこっち!ちょうど席空いてたよ!」

同じ文学部で、南の後ろの席に座っていた優子が食堂の前で手を振っている。
入学式の次の日である今日は、大学の授業の履修方法や学校生活、校舎の使い方など大学生活に関わるさまざまなことが説明されるオリエンテーションの日だ。同じく、近くの席に座っていた亜由美も、その隣で待っている。東京に出てきてこんなにすぐ友人になれそうな人ができたことに安堵しつつ、これから始まる大学生活への期待と不安で胸を膨らませていた。


「ごめーん。トイレ混んじゃって。あぁお腹すいたー。」

2時間にもわたるオリエンテーションの後、南と優子と亜由美の3人は、はじめての学食でお昼ご飯を食べた。

「ねぇ、サークルどうする?とりあえず、飲み代タダだし、新歓コンパに色々と行ってみない?ほら、女子大なんてさ、自分から何かしないと彼氏なんて絶対できないじゃない?」

都内の有名私立女子校出身の亜由美が、大学生協で購入した納豆巻きの包装をあけながら、南たちに、新歓コンパへ行くことを提案した。「新歓コンパ」という南にとってはあまり聞きなれない言葉が普通に口をついて出てくるあたりに、都会の大学生という感じを覚えた。

南たちの座る食堂のテーブルの上には、先ほどキャンパスの外でもらった大量の勧誘チラシが散らばっている。隣に座る優子は、都内出身で南より一つ歳上だ。優子は一年間の浪人生活を経てこの大学に入学した。たった一歳の違いとは言え、綺麗な栗色に染められたロングヘアを無造作にかきあげる優子の姿は、南にはずいぶん大人びて見えた。

「せっかくだし、色々なサークルに当たってみようよ。あ、ちょっとこのワンダーフォーゲル?山岳部とかいいかも。」

学食の中でも一番安かったきつねうどんを食べながら、南は適当にチラシの一枚を取り出して言った。

「山岳かー。真面目そうな人を見つけるには、いいわね。テニサーはチャラいイメージだからなぁ。あ、このオールラウンドサークル、いいかなと。創設2年目だったら、1年と2年しかいないってことだよね。私さ、ここの幹事長の人に話しかけられたんだけど、超タイプだったんだよね〜。」

亜由美にとってサークル探しは恋人探しのようだ。だがこの話題を切り出しことをきっかけに、3人は過去の恋愛へと話は変わった。

「で、二人はさ、初めてはいつ?きゃー!そこから聞いちゃう?って感じだけど!じゃあ南からね。」

亜由美はテンション高めにそう言い出した。南は目を上の方にやりながら話し始めた。

「私は高1の時。なんていうか、高校生になったら早く喪失しないとっていう風潮というか圧力みたいなのなか…った?私の地元にはあったのよ。好きでもない男と付き合ってとりあえず手っ取り早く。ああ、いま思い出すと黒歴史だよ。だってその人、短ランだったんだよ。でも、その後は一人、高校卒業まで付き合ってたかな。大学入学で別れちゃったけどね。今は彼氏なし。そんな感じ。で、優子はどうなの。」

南は、たった3年間の恋愛遍歴をざっと話すと、すぐに優子へバトンを渡した。話してみるとあっさりしたものだったが、なんとも言えない恥ずかしさとスリルが同時にこみ上げてきて、気がつけば冷や汗が出ていた。

「えー!南、超早いね。意外だわ〜。清楚な女ほど・・ってゆうしね。あ、ごめん今の所は、冗談ね。あ、私は高3。卒業直前だったし、私は浪人したから、すぐに別れちゃったけどね。私結構早い方だと思ってた〜。けどそうでもなかったんだ。はい、じゃあ、亜由美は?」

優子は俯き加減で亜由美に話を戻した。

「みんな、なんだかんだやることやってんじゃん。っていう私も実は高1で。でも16歳にはなっていたわよ。早稲田本庄との合コンで出会って。あの時ってどういうわけか、本庄の男とよく合コンしたなー。今思うとみーんな産毛な男子高生って感じだった。で、私も今はフリー。ってことはあれ、みんなフリー?じゃあもう新歓コンパにすぐにでも繰り出さなきゃじゃん?」

とにかく手っ取り早く女と仲良くなるのには、こういう話題を打ち明け合うのが一番早いということを互いに心得ていた。

それが真実かどうかは、どうでもよかったのだ。


4月の1ヶ月間、3人にとっては、かつてない大忙しの日々を過ごした。毎晩授業の後に、どこかの大学のコンパに出向いていたからである。飲みなれない酒に酔ったまま授業を受けることもザラにあった。2000年は大学1年生も店で当たり前のように酒を飲んでいた時代だった。

「優子、南、今日も18時にBIGBOX前ね。あーもう人生でこんなに高田馬場に行くことってある?今日3限で終わりでしょ?その前に新宿でなにか食べてから行こうよ。どうせ居酒屋のご飯なんて美味しくないしさ。」

亜由美はスケジュール帳を開きながら2人に話しかけた。3時前に授業が終わってしまうので3人は新宿へ行き、ウインドウショッピングをした。それから駅の近くのファーストキッチンでジュースとハンバーガーを食べながら時間を潰した。亜由美は、伊勢丹で買ったリップとマスカラを箱からだし、おもむろに化粧直しを始めた。

「今日は、私の本命だからね。あーここの幹事長、めちゃくちゃかっこよかったのよ。二人とも、ちゃんとチェックしてよね。村田さんっていったかなあ。もう電話番号も登録済み。」

南はこれまでの新歓コンパでのその場の退屈さを思い出しながら半ば呆れた気持ちで亜由美の話を聞いた。浮かれた大学生たちが酒を煽るように飲んで何が楽しいのだろうか。そう思いつつもその「意味のない日々」に酔いしれてもいた。

帰宅時間が何時になろうと、大学の授業の後で何をしていようと、誰にも詮索されることのないこの東京での一人暮らしにすっかり満足していた。この意味のない日々がいつまでも続けばいいと思い、南は、窓の外に映る新宿東南口の方をポテトを齧りながら眺めていた。

最近覚えたばかりのタバコが吸いたい気分だった。だが2人の前ではそれは封印した。

店は、これまでの新歓コンパの中で最も綺麗でまともな居酒屋だった。蛍光灯で照らされたいわゆるチェーン店という趣ではなく、ほのかな灯の中ぐらいの広さの座敷席だ。まだサークルのメンバーの数が20名弱とそう多くはないらしい。メンバーたちもこれまでのノリとは違い、知的な学生たちが揃っていた。

「えーっと亜由美ちゃんと、優子ちゃんと、南ちゃん、だよね。」

幹事長の村田が席の入り口で声をかけた。亜由美がすかさず返事をすると、すでに4人の男が座っている席の反対側に座るように言われ、その通りにした。

「こんばんは、初めましてー!」

4人とも早稲田大学の政経学部の1年生だという男たちが明るい声色で私たちに話しかけた。どうやら、南たち3人と同様、大学に入学してから知り合い、まだ仲良くなったばかりのようだ。4人中2人は早稲田の付属校からの入学者で、一人は、鹿児島出身らしく少し訛りが残っている。もう一人は南でも聞いたことがある、都内の有名私立校出身者だった。

そのうちの一人と目があった。よく言えば大沢たかお。悪く言えば魚。そう、魚みたいな顔をした男だった。
彼は早稲田の付属高出身で、自宅が埼玉の大宮にあるにも関わらず、大学の近くで一人暮らしをしているらしい。きちんとアイロンのかけられた白シャツに、ゆるっとしたチノパンにヘッドポーターの迷彩柄のトートバッグを持っていた。南は、男の顔の造形に気をとられていたが、品のいいセンスの持ち主だった。少し長めの髪も綺麗に整えられている。

「南ちゃんは、どこ出身なの?」

魚顔の男に話しかけられ一瞬ドキッとしたが、冷静を装って答えようとした。すると亜由美が会話に割り込んできた。

「南は、長野だよ。南、最近こっちにきたばっかりで寂しいんですよお〜!仲良くしてくださいね、ね、南?」

だが南はすぐに切り返した。

「いえ、そういうんじゃないんですけど。長野から最近東京に越してきました。今は世田谷にマンションを借りてます。よろしく。」

この男の前で田舎出の寂しい女というイメージを持たれたくなかったのかもしれない。とっさに口から出てきた言葉に自分でも驚いていた。世田谷のマンションといっても家賃は6万円代。決して高くはないごくありふれた場所だ。

「へえ、めっちゃ羨ましい。俺なんてきったないアパートだぜ。」鹿児島出身の男が話に入ってきた。

気がつくと、亜由美と優子は早稲田の男たちとそれぞれに話が盛り上げっていた。
亜由美は、席を変えて幹事長の村田と話している。優子は、別の早稲田大生で、理系のキャンパスの男と肩を寄せ合っている。

南は一人でちびちびと味のしないウーロンハイを飲み、周囲の様子を相変わらず冷めた目で見ていた。

「南ちゃん、携帯番号交換しない?」

魚顔の男は横山ヒロキといった。
横山と南は互いの携帯電話を取り出して赤外線通信でやりとりをした。横山の携帯を持つ手をみると、爪がきちんと短く切りそろえられていた。咄嗟に「これは彼女ありかな」と思った。それによく観察すると肌が白くてさらさらとしている。清潔感があって好感が持てた。

「あ、入ったね。高井南ちゃんね。よろしく。俺、横山。ヒロキでいいから。」

後日、南はヒロキに誘われて、東京デートをすることになった。まだ東京の街をよく知らなかった南は、待ち合わせ駅に「中目黒」を指定されたことがなんだか新鮮だった。雑誌の中で聞いたことはあったが、それがどんな場所なのか、全然知らなかった。

中目駅の改札の前で待ち合わせると、ヒロキは「ちょっと歩くけどついてきてね」と声をかけて、スタスタと南の横を歩いた。居酒屋で会った時よりも背が高く感じた。聞くと、182cmで、高校時代はバスケットをやっていたらしい。横顔はすっとしていた。「なーんだ、思っていたよりかっこいいかも。」と思った。

中目黒にはおしゃれなブティックやカフェなどがとてもさりげなく立ち並ぶ街だった。静かでありながらもここがとても面白い場所なのだということがわかった。街ゆく人も、Tシャツにデニムというようなシンプルな服装をしているにも関わらず、どこか洗練された雰囲気を感じた。

南たちは駒沢通りを歩き、代官山方面に続く坂道を登ると、ヒロキが選んだ小さなカフェに到着した。それは雑居ビルの2階にあった。こういう街や店を知っているような都会的な男を、かつて地元にいるときの南は知らなかった。
せいぜい、流行りのストリートファッションに身を包み、スポーツや勉強ができるハツラツとした男、がその時の南の知る「一番イケている」男だった。

店に入り2人はランチを食べた。ヒロキはサンドイッチを注文し、南はその日オススメのパスタのアラビアータを注文した。

男の注文したサンドイッチは中身に分厚いベーコンや卵が入っていて非常に食べにくそうだった。ヒロキが大きな口を開けて頬張ると、サンドイッチの脇の方からトマトの汁が滴り落ちている。見てはいけないものを見たような気分になり、南は自分のパスタの方に集中した。どうも、この男とは顔を合わせられない。正面に座ると、彼の離れた目が気になってくるのだ。まるで草食動物のようである。先ほど隣で歩いているときには気がつかなかったが、やっぱり昼間に見ても魚顔だ。我ながら失礼なことを考えている、と思いながらも南はなかなか雑念を拭うことができなかった。

ランチの後、南とヒロキは、そのまま代官山周辺のレコード屋やおしゃれな古本屋に立ち寄り、渋谷方面へと歩いた。
歩き疲れたので、渋谷駅に向かう途中にあるクラブ「AIR」の1階にあるカフェでアイスコーヒーを飲んだ。

「今度ここのクラブ来ようよ。南ちゃんが好きそうなアーティストが結構回してるんだよ。」

今度は正面に座ったヒロキの顔をまじまじと見つめてみた。目も離れているが、鼻の形もだいぶおかしい。よく見ると、口元は少しゆがんでいる。薄い目で彼をみてみると大沢たかおに見えなくもない。

「南ちゃん、大丈夫?ちょっと疲れちゃったかな?」

薄目になっていた南を心配してヒロキが声をかけてきた。

「あ、ごめん。昨日映画観てたらちょっと寝るの遅くなちゃって。」

「え、映画?何観てたの?」

「グッドウィルハンティングっていう映画。あれ、なんか好きなんだよね。」

「あーあれ俺も好き。音楽も最高だよね。やっぱり南ちゃんとは趣味が合うと思う。俺、正直、南ちゃん、初めて会った時からめっちゃタイプの顔だったもん。あ、いちゃった。」

ヒロキは思わず言ってしまったという顔をして、南に笑いかけた。
南は、ありがとう、と恥ずかしそうに言った。どんな男からでも顔がタイプと言われて嬉しくないわけがなかった。自分が思っている以上に心臓が高鳴っていた。

夕方になり、二人は帰宅することにした。ヒロキは律儀に渋谷駅から南の住むところまで一緒に電車に乗り、南を送った。電車の中で南はヒロキの顔をちらっと見上げると、やはりスッとした横顔で、都会的な雰囲気の男の顔がそこに見えた。
「この人、ずーっと横顔でいたらいいのに」そんなくだらないことを思っていると、ヒロキがイヤフォンを取り出して南に差し出した。

「最近ついに手に入れちゃった、iPodって知ってる?この曲聴いてよ。」

SONYのウォークマンしか持っていなかった南は、当時まだ発売されたばかりのiPodをすでに持っているヒロキが余計にまぶしく映った。イヤフォンを耳に当てると、ジャミロクワイの知っている曲が流れてきた。

「うん、やっぱり私もvirtual insanityが一番好き。」

**

次の日、南は授業のために大学に行くと亜由美と優子がクラスの席ですでに雑談をしていた。

「あー!南!昨日どうだったのよ。魚くんとのデート。」

「うん、楽しかったよ。すっごく優しいし、趣味も合うんだけど、いまいち顔が好みじゃないの。どうしたらいいと思う?顔じゃないよね、人間って。それにちょっとドキドキしちゃった。」

率直に感想を言ってみると、二人からは思いもよらない答えが帰ってきた。

「顔が無理ってそれつまり、その人のことぜーんぶ無理ってことじゃない、だったらやめといたほうがいいよ。ねえ、優子。」

「南次第だけど、やっぱ顔が好きかどうかって大事だよ。それに南ぐらいの女だったらもっといい男いると思う。」

「そうだよね。やっぱり。魚、だもんね。」

後日、南はヒロキに二度目のデートに誘われ、その際に交際を申し込まれた。南はそれを断った。顔がタイプではないので、とはもちろん言わなかった。


それから10年の月日が経ち、南が28歳の時に、中目黒の串揚げ屋で同僚と酒を飲んでいると、聞き覚えのある声が聞こえた。横山ヒロキだった。

「東京で出会った最初の男だ・・」と南は心の中で呟いた。

ヒロキと南は久しぶりの再会を喜び、一緒に酒を飲んだ。
あの時と同じように真正面の席に座ったが、南は不思議と「魚っぽい」とは思わなかった。ヒロキは肌は少しだけ日に焼けて、声も以前より低くなってヒゲが少しだけ蓄えられていた。そして、大沢たかおにそっくりだった。初めてみるスーツ姿だったが、相変わらずセンスの良さが光っていた。

その後、何度か二人はお酒を飲み、終電を逃したりもすることがあったが、二人が結ばれることはなかった。
相変わらず綺麗だったヒロキの手には、最後まで指輪がついたままだった。

あの時の大学の友人たちとは、もう随分前からFacebookでしか繋がることはなくなっていた。魚顔の男は、10年後の南にとって、「どうやっても忘れることのできない男」になっていた。


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忘れられない恋物語

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