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2000年代のはじめに東京の大学生だった私が映画と共に過ごした日々のこと

映画が好きだ、私は映画好きな人でありたい、と思い始めたのは、私が中学生の頃で、当時映画好きな父親がコレクションしていたレーザーディスクを、内緒であさるようになったことがきっかけだったと記憶している。

タイタニックの公開がたしか中1か中2の頃かだった気がするのだが、4枚にも分かれたディスクをせっせと交換してみたのは懐かしい思い出だ。
タイタニックの後ぐらいから徐々にレーザーディスクも無くなっていき父の映画コレクションもDVDに台頭していった。

私ぐらいの年代でスターウォーズ、ゴッドファーザー、トップガン、ゴースト、パルプフィクション、フルメタルジャケットあたりをレーザーディスクで出会って観るという人はあまり周りにもいなかったし
そもそも当時の中学生はせいぜいディカプリオやブラッドピットの作品に熱狂する程度だった(現に私もディカプリオのファンだった)わけだから、今で言う意識高い系ではあったのだとは思う。

それから数年が経ち大学生になり、上京した。
東京という場所がこれほどまでに文化が集結していてこれほどまで身近にカルチャーがあるということに衝撃を受けたことは記憶に新しい。

私の生まれ育った地方都市ではレアだと思っていたような映画の新作だったり、新刊の小説、演劇などあらゆる文化的情報は歩いているだけで、交通広告だの書店の店頭だの、あるいは同級生からの口コミなどで自然目に飛び込み耳に入ってきた。そして私なんてたいした映画ファンではなく、東京には同年代でも私なんかよりももっと洗練された作品をよく知っている映画ファンがゴロゴロいることも知った。映画だけでなく、音楽、ファッションなどについても同様だ。

そういうわけで様々な刺激と都会の洗礼を受け、18歳から22歳までの4年間、本当に多くの映画を観た。

多分、人生でこんなにも映画や文化に時間を費やしたのはこの4年間以外ありえないと思うしこの先もこれほどまでに熱中することは、きっとないと思う。
今はだいぶ減ってしまったが、都内の様々な映画館にはかなりの頻度で通った。渋谷シネマライズ、銀座シネスイッチ、池袋文芸坐、早稲田松竹、アップリンクなど。

今は様変わりしてしまったが、渋谷は単館系の素晴らしい映画館が点在していて、よく通った。
池袋の文芸坐は深夜によくオールナイトで名作上映をやっていたので、気になった作品があればよく足を運んだ。
たしかパルプフィクションとレザボア・ドッグスの二本立ては深夜にも関わらず結構な観客を動員していたし、
花とアリスとスワロウテイルの二本立てだとかもあったと思う。
二十歳頃のことだ。
今思い出すと涙が出るほど、懐かしく愛おしい思い出だ。

当時住んでいたマンションのすぐそばに朝方まで営業しているレンタルDVDショップがあったのでそこでよくまだ観ぬ名作をそれはそれはたくさん観た。
御目当ての作品がそこになければ、当時最も作品が揃っていると言われていた渋谷TSUTAYAまで出向いたりもしていた。
この頃はたしかまだ、DVDとビデオと半分ずつぐらいだった。

ちなみに情報収集の手段はインターネットであればYahoo映画、あとは映画マニアらしき人のブログ。それ以外だと、当時付き合っていた彼、その知り合いの映画やカルチャーに精通した人、タワーレコードやHMVのブックコーナー、TSUTAYA、それからSCREEN、ブルータス、スタジオボイスなどの雑誌など。アナログ的ではあったが、今みたいにNetflixを開いてそこで作品を探すだとかTwitterでおすすめを知るだとかとはまた違った楽しい探し方や出会い方であったと感じている。

今考えると、この頃は確実にピュアな映画ファンだったと思う。マーティンスコセッシ、スピルバーグ、タランティーノ、ウディアレン、デビットリンチ、フィンチャー、コッポラ、ヴェンダース、ジャームッシュ、黒澤などここには書ききれないほどの名監督たちを知り、観た映画をノートに記録した。そして好きな監督の新作が出ると聞けば公開日に映画を観た。

そんな日々も束の間、社会人になり数年がたった頃から気が付けば映画との向き合い方が大きく変わっていた。

かつて素晴らしいと感じた映画に関しては、もちろんいつでも同様に感動するのだが、社会人以降で公開された映画、社会人以降ではじめて観た映画に心を動かされることが、あまり多くなくなった。
最初は学生の頃に比べて、良い作品にたまたま出会いにくくなったのかと思っていたのだがきっとそうではなかった。

それはおそらく社会人になり、学生時代には知らなかった世の中、世界、経済などにリアルに実感せざるを得なくなったからだった。
あの頃は知らない世界、まだみぬ世界だったからこそワクワクし憧れや想像を膨らませられていたから純粋に楽しめたのだし、純粋に感じ取れた。

反対に言えばこれまでが世間知らずだったとも言える。
しかし社会に出て、現実は違うのだ、現実はハッピーエンドばかりではない、という冷めた気持ちを感じざるを得なくなったからだったのかもしれない。

そんなことを思うと、地方から上京し一人暮らしの大学生として過ごすというのは人生において特殊な、そしてかけがえのない時間であり環境だったのだと気がつかされる。

生まれた時から守ってくれていた親は、近くにいない。学業はあるものの社会で経験するようなノルマや、政治的な人間関係、精神的なプレッシャーなどはない。ただただ自由で、ただただ将来に希望があり、時間が無限にあるかのように感じ、そして何にも縛られないというのは、ある種上京大学生組にのみ、許された特権だったのかもしれない。
(私が将来をあまりにも考えていなかった学生だったからなのかもしれないし、またある意味ではとても良い時代の学生だったのだとも思う)

そしてそんな素晴らしい環境の中で、夢中になった映画は、私にとってどれもが素晴らしい記憶として残っている。

それらの作品の多くは今みてもやはり、二十歳の頃の私の自由な心を思い起こしてくれ、また忘れたくない時期としての記憶が呼び覚まされるのだ。

今は30代半ばとなり人生の良いことも嫌なことも色々な経験をし、様々なことに絶望もしたりした。あの頃のような気持ちはもう戻らないのかも、しれない。

歳を重ねて自分自身の思考や価値観が成熟してきたので、本当の意味で映画の真意を捉えることもできるようになったしより深く考察できるようにはなったはずではある。
きっともっと歳を重ねたら映画を観て人生をなぞるような体験をすることも多いことになるだろう。そしてもちろん今でも素晴らしい作品に出会うことはたくさんあるし、これからもそうであろうと思う。

それでも、しかし、時々、なにかが欠けていると思うことがある。

20歳の頃はもう戻ってこないけれど、それでもこれからもずっと映画好きでいたいと思わせてくれたあの頃を大切な時間だったと、改めて感じている今日この頃だ。

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