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私がはじめて東京を知った日

私が18歳で上京する2年前に、2歳年上の兄は、東京の大学生になった。

兄が長期休暇で帰省するたび、地元ではみたことのないおしゃれな服を着て、洗練された言葉を使っている様子を見て、東京という場所はこうも人を変えるのだな、と思ったことをよく覚えている。

これは、私が進路を地元から東京に変更するのに、十分すぎる理由だったと思う。


高2の夏、私は兄のアテンドで2泊3日、東京に行くことになった。

希望の大学を何校か行ってみるための旅だ。あれはオープンキャンパスでもなんでもなかったから、今思えば、ただの東京の街めぐりだった気もしている。私は親からもらったいくらかのおこづかいと、お年玉をこつこつ貯めた全財産をもって、兄の住む東京へ向かった。
私は16歳になるまで、ディズニーランドや修学旅行、成田空港にいくため以外で、東京にはいったことがなかった。
つまり、ほぼ初めての東京だったのだ。

東京駅につくと、兄が新幹線の改札の出口で待っていた。たしかあれは、2001年。10月の初旬ぐらいだったと思う。私の住んでいる地域はまだまだ暖かく、私はロンT1枚にデニムにスニーカーという装いだったが、兄はすでにすこし厚手のブルゾンを着ていた。
駅を素早く横切る大量の人たちも、みんな長袖の上着を着ていた。

初めての東京はちょっと肌寒かった。

久しぶりに会う兄には開口一番、
「え、寒くない?まだそっちはそんな恰好してるんだ。(笑)」
と言われ、私はかなりムッとした記憶がある。

同じ家で生まれたはずなのに、数カ月東京に住んだだけで私のことを田舎者扱いするのだ。
だが、同じ日本なのに少し離れるだけでこんなに気温が変わるのだということにさえ、当時の私は新鮮味を感じていた。そんな田舎の高校生だった私の胸は一気に高まり、いよいよ東京に来たな、という感じがした。今思うと、なんてピュアな少女だったんだろう。

東京では、兄が色々な電車を乗り継ぎ、7校ぐらいの大学を紹介してくれた。明治大学のあるお茶の水や、その近くの法政大学、それから目白にある学習院大学と日本女子大学、そして池袋の立教大学。そして渋谷に行き、青山学院大学の前を通り過ぎた。
もちろん高田馬場にも行った。兄が通っている早稲田大学がある場所だ。早稲田大学はテレビや進学雑誌で見た通りだったし、当時の私には、キャンパスにいる学生たちが地元でみかける大学生よりずっと大人びていて、やはり洗練されているようにうつった。
この大学に通う兄のことを私は誇らしいと思った。それにこの時、私は少しでも兄に近づきたい、と思った。

次の日は、私の希望通り、兄が買い物に連れて行ってくれた。当時は裏原系というストリートファッションの全盛期だった頃だ。ストリートスナップをよく雑誌でみて憧れていた時代だ。兄はすでにその界隈に明るくなっており、私たちは、原宿から渋谷、恵比寿、代官山までを、電車に乗らずに歩いて移動した。
電車でみた東京の景色とはまた違い、細い路地裏やなんでもない場所にさえ、新しくてかっこいいお店が立ち並び、どんな場所に行ってもおしゃれな人が歩いていることにとても驚いた。
この時点で、2日ともロンTとデニムという軽装かつダサい姿で歩く自分は、なんでもいいから服を買って即座に着替えたい気分になっていた。
そんな場所でも兄は慣れた顔つきで颯爽と地図もみることなく(当時はスマホなど当然ないのだから)すたすたと東京の街を歩いていた。ちょっとかっこいいな、と思った。
私は、結局ナイキのエアフォースワンというスニーカーと、BAPYという原宿系のブランドで、ブルゾンとTシャツやパンツ、パーカーなどを買った。

最終日には、兄は当時住んでいた池袋で、ロコモコが食べられる美味しい昼食をおごってくれた。どうやら最近はじめた居酒屋のバイトで結構稼いでいるらしかった。(といっても今思えば月数万円程度だろうが)私は地元でロコモコなどというものは食べたことがなかったし、カフェといったらせいぜいスターバックスぐらいしか行ったことがなかったから、とてもうれしかった。

その日の私は、前日に原宿で買った服に身にまとい、すっかり東京の街に馴染んだ気がしていて得意げだった。3日も街を歩けば、もうすっかり都会人の気分だ。

兄には「方言まるだしだから、もう少し声小さくしてよ」などと指摘され、私はかなり腹が立った。(今こうして文字に書くと、さっきから兄の発言のほうがひどい)

でも、おいしいランチをおごってくれたし2日間とびきり楽しかったから、まあいいかと私は思った。


帰る時間になったので、私と兄は、東京駅へ向かった。
兄は、心配して駅のホームまで私を送ってくれた。私が駅弁を買い、1人新幹線に乗って、席に座ると、兄は、安心した顔で手を振った。私も手を振った。

新幹線が出発し、兄と別れて新横浜につこうとしている途中ぐらいになったら、私は急に胸がいっぱいになり、涙がぽろぽろと出てきた。

子供のころから、人見知りでおとなしかった私の手を引っ張り、いつもかばってくれた兄が、とても遠くかんじたのかもしれない。
単純に、その3日間がたのしくてそれが寂しかったのかもしれない。
あの時なぜあんなに泣いたのか、私は今もよくわからない。

もしかすると、兄はもう、東京の人になったんだ、と感じたのかもしれない。

その1年数カ月後に、私は希望通り東京の大学生になった。

兄と同じ大学には入れなかったが、あの日、兄が連れて行ってくれた大学の1つに通うことになった。私は、少しだけ、兄に近づけた気がした。

それから約10年、私は東京で暮らした。
もうかなり早い段階から、東京での生活に行き詰まりを感じていたはずなのに、10年もあの地にいたのは、きっといつも、16歳の自分が心のどこかにいたからだと思っている。

そしてあの時、私が憧れた東京を去って、あれだけ嫌いだったはずの地元に今は住んでいるから、人生ってわからないものだな、と思う。

兄はといえば、東京で家族を作り、すでに地元ですごしたより長い年月を東京で暮らしている。
今は、娘を地元に連れて帰ることが何よりの楽しみだというのだから、兄もあの頃とは、ずいぶん変わった。

今となっては笑い話ではあるが、なぜかあれから20年近く経った今でもこのときのことを、私は時々思い出している。


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