見出し画像

タイタニックの夏

私にとって、1998年の夏といえば、アメリカへの短期留学をした中学2年の時のことで、

3歳から続けていたピアノをやめ、いまいち打ち解けられない同級生との溝を感じはじめ、初めて異性へ告白した年のことだ。

そして、映画「タイタニック」があった。

きっと私の映画への愛はここからはじまった。

タイタニックが公開されたのは前の年の冬1997年12月だ。すでにレオナルドディカプリオの熱烈なファンだった13歳の私は、当時仲の良かった友人2人を引き連れて公開直後に劇場へ足を運んだ。友人の1人が途中で何度も時計をみて、もう1人の友人が開始1時間ほどで退屈そうにしているのを横目に、私は夢中になってその映画を食い入るように観たことを今でもよく覚えている。3時間という今考えても長尺のその作品の全てに惚れ込んだ。二度目はたった1人で劇場に足を運んだ。

船上での身分の違う美しい男女の出会い、自由を求めアメリカへ向かう船内に漂う希望と煌めき。かつては「私はカゴの中の鳥」と言っていたイギリス貴族階級の令嬢が、愛した人と約束した自分らしく挑戦する輝かしい人生。何度観ても涙が出る美しくも哀しいラストシーンと、エンドロールでのセリーヌディオンの美声。

そこには、アメリカという大国への憧れと、誰かとの衝撃的な恋や、家族やしがらみからの自立という「大人になること」への希望と期待感の全てが詰まっていた。

ちょうど公開から半年後の夏、私はひとりアメリカへ旅立った。

中学2年になり交換留学に偶然いく機会があったのだ。

タイタニックの公開後から、元々それなりに好きだった映画への熱が一気に高まっていた私は、その頃にはすっかりハリウッド映画好きになっていた。学校が終わり帰宅するとすぐに映画ファンの父のシアタールームに忍び込み、レーザーディスクを漁った。ターミネーター、ET、トップガン、バックトゥザフューチャー、愛と青春の旅立ちなど、ここには書き切れないほど多くの名作に触れた。
当時は半年ごときではVHS(DVDはその後のものだったので)化することなど一般的ではなかったため、まだタイタニックを家でも観られるようにはなっていなかったが、サウンドトラックのCDを買って聴くことであの映画の世界に浸ってもいた。愛読雑誌は「SCREEN」だった。

当然私にとってアメリカは、憧れの地となっていた。

その夏、私はまずLAに降り立った。ハリウッドのユニバーサルスタジオでビッグサイズのスプライトを片手に大好きな映画のアトラクションに乗った。アメリカは縦も横も何もかもが全てが大きかった。日本人とは比較にならない陽気な雰囲気にも圧倒されていた。

私のホームステイ先はオレゴン州にある小さな街だったので、LAから飛行機で移動してホストファミリーと合流した。今思えばあの時の吸収力や適応力というのはすごいものがある。到着して数日後には英語が耳に慣れていてそこまで不自由することがなかったわけだし、移動中には付き添いの大人がいたとはいえ、よく1人でアメリカへ行けたものだと思う。

地方の小さな空港に降り立ち、ホストマザーの車に乗ってはじめての街の景色を眺めた。
いかにもアメリカの郊外といった趣きの大型ショッピングモールとアメリカンダイナーの看板が立ち並ぶだだっ広いストリート。当たり前だがそこかしこにある文字には日本語が一つもなかった。
まるでクエンティン・タランティーノの映画の舞台に足を踏み入れたような感覚になり私はゾクゾクしていた。(ギャング風の人は見かけなかったが)

全く通じない日本語、田舎街にはほとんど存在していなかったアジア人の自分は完全なマイノリティであることを自覚してもいた。それが、心地良かった。

中学でのくだらない人間関係や部活の先輩からの不条理な嫌がらせや、すでに貼られてしまった自分へのレッテルはそこにはなかった。誰も私のことを知らない街、誰にも知られていない自分の性格。新しい世界に飛び立てば、自分がゼロから作り変えることができるのだとその時の私は漠然と知った。

その夏が終わる頃、私は日本へ帰国した。ホストファミリーとの別れへの寂しさとアメリカでの信じられないほど楽しかった日々が恋しくなり飛行機の中で思い切り泣いた。
機内映画の中に「タイタニック」があったので私は帰りの機内でずっとそれをかけて観ていた。日本語字幕はなかったが、私はすでに英語に慣れていて、前の冬に3度も映画館に運んだおかげでストーリーを完全に覚えていた。

今でも映画「タイタニック」を観るとすぐに13歳だったあの1998年の夏にタイムスリップできる。

私があの時初めて感じたアメリカの大地と、初めての1人旅、初めて感じた現実への絶望と将来への希望を、感じ取ることができる。

今の自分はあの頃思っていたような大人にはなれていないかもしれない。
だが、今でもあの時と変わらずに映画を愛する大人であることには誇りを持ちたいと感じている。そして時折あの時の自分ががっかりしないように生きなければと強く思うことが出来る。

これを書いているうちに、そろそろまたあの夏を、感じたくなってきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?