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雀、雀_2024年3月8金/晴れ

引っ越したばかりの借家の新居には、庭がついていて。
ここところ、
窓を開けてその庭にあれこれ放り出すようになった。
髪の毛とかちょっとしたホコリなんかは、窓を開けてポイ、
コンクリートでなく土が相手だからかな、
気楽に放れてけっこう便利である。
それじゃぁと、このあいだは、
パンくずをパラパラと窓から撒いてみた。
でも、パンくずというからには、
そこには、小鳥が庭に来てくれないかなあ、という期待もあった。
そんなすぐには無理だと思うかもしれないけれど、
鳥の目というのは、空の上からパンくずをみわけるくらい朝飯前なのだ。

小学校の何年生だったかなぁ、あのときも
小鳥を呼ぼうとしたこどある。
どこからか「小鳥をとる仕掛け」というものを知ったからだ。
地面に米粒を撒いたところに棒を立てて、
そのつっかえ棒の上にザルをかぶせておく。
一方で、つっかえ棒には長い紐を結んでおき、
紐の反対の端をどこかの物陰にまで伸ばす。
人はその物陰に潜んでいる。
小鳥鳥が来て、うまくザルの下に入ったところで紐を引っ張れば、
つっかえ棒が倒れてザルが小鳥の上にかぶさる、というわけだ。
当時の身近な鳥といえばカラスが雀だったから、
ここでいう小鳥とは雀のことである。
ほんとうにやってみたら、雀はちっとも姿を現さなかった。
棒とザルと米粒を用意して、紐を結びつけたところで、
人の隠れる場所がないことにわたしは気がついたのだった。
「雀と仲良くなりたい」気持ちが弾け飛んでしまった。

そういえば、雀といえば、エサを強奪するヤツに会ったこともある。
いつだったか、ハンバーガー屋でいるところに、
雀が、なんとテーブルの上に乗ってきた。それから、
いま食べているものを「よ・こ・せ」と凄むのだ。
慣れているらしく、オレンジ色のトレイのそばで仁王立ちである。
手で払っても戻ってくるから、
わたしはパンを小指の先くらいにちぎって雀にわたした。

だけど、雀との関係はエサだけじゃない。
落ち込み続けていた遠い昔のある日、
仕事をさぼって東京湾の公園に座っていたら、
一羽の雀がちょこんとわたしの隣に降りてきた。
それがたいへんな体で。
右足がなにかに踏まれたように押し潰されていて、
どっちだったかな、片目まで潰れてしまっている。
生活するのも辛かろうと思うけど、
ところが雀はそんなことはみじんも気にせず、
むしろ、わたしの顔を覗き込むのだった。
その残った片方の瞳が、大きくて澄みきっていて、
キラキラ潤んで美しかったこと。
「がんばれよ」と言われているようで嬉しかったなあ。
今でも厳しいときに、あの雀を思い出すことがある。

あぁ、そうだ。雀を食べたこともあるな。
何人かと仕事で秋田に行き、夕食にと適当な居酒屋に入った。
入っはいいけど、そこは珍味を出す店だったらしく、
壁には「サボテンの刺身」なんていうのが貼ってあった。
その「サボテンの刺身」の隣に「雀の丸焼き」を見つけたわたしたちは、
面白半分に両方を頼んだのだった。
初めてみた雀の丸焼きは、小さくて食べるところがないくらいだった。
誰が捕まえたのだろうと思いながらかじってみたら、
焦げた味がした。

だけど、最近はめっきり雀をみなくなった。
ほかの鳥が増えて棲家をなくしているというけれど、
どこかに移り住んでいればいいなと思う。

茶色くて地味な雀も、いないくなると寂しいものだね。

よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。