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168 しゅわしゅわと思い出す

子どものころ、ラムネを飲むのが苦手だった。
一気に飲もうとするとビー玉が飲み口を塞いでしまうし、そうならないように試行錯誤していると、いつの間にか炭酸がぬけてぬるく甘ったるい液体になるからだ。

「こうやって飲むの。こう」
姉は私を笑いながら、飲み方を教えてくれる。
「瓶のくぼみにビー玉をひっかけて。あわてて飲むから失敗するの」
当時はそれでもうまく飲めなくて、自分の不器用さとせっかちさを笑われた気がして、恥ずかしくなっていた。姉が飲むラムネは、きらきらと輝いて見えた。

そんな私と姉を駄菓子屋のおばあちゃんはいつも座ったままにこにこして見守ってくれていた。お店に入った時に「こんちは」、お金を払ったときに「ありがとね」くらいしか話さない。でも、やさしい表情のおばあちゃんだった。

10円の細いゼリーは冷蔵庫で冷やしたものと、冷凍庫で凍らせたものの2種類用意してくれていたり、100円分駄菓子を買ったら5円のチョコレートをおまけしてくれたりした。近所に住む男の子によると、冬場に「ぶためん」という小さなカップ麺を買うと、おばあちゃんの横にある石油ストーブの上で沸かしたお湯をカップに注いでくれるらしい。
言葉数は少なくても、血のつながったおばあちゃんのように気を配ってくれる人だった。

おばあちゃんの駄菓子屋は、恵比寿神社の奥に続く道にあった。とてもせまい道なのだが、恵比寿神社もおばあちゃんのお店も小さいので、最初は気付かない。しかし、いざ歩くと「あれ?」と思う。町が突然小さくなったような不思議な感覚。実際の道幅は車が通れないような細さで、大人だったら3人も並べないくらいだった。

その細い道は、もともと商店街だったのだろう。お店(どれももれなく小さい)の跡が残った建物がたくさんある。○○精肉店や○○手作りのお惣菜といった言葉が、朽ちた店舗テントに書いてあった。
当時まだ営業していたお店もあったのだろうが、私と姉がその道を通るときはどこもシャッターが降りていて、昼でも薄暗かった。駄菓子屋のやわらかい明かりだけがお店からこぼれていた。
ほとんど人が歩いているのを見たことがなく、当然通学路にも指定されていない。

しかし、その道を通り抜けると大きな道に出るので、子どもの間では秘密の近道と呼んでいた。

おばあちゃんはいつ見ても座っていて、私と姉以外の子どもがいても、にこにこしているだけだった。そんなおばあちゃんに教えてもらったことがある。

夏でその日も暑かった。いつものように姉と100円を握りしめて駄菓子屋に行った。姉は「暑いからラムネにしよっと」と言って、おばあちゃんからラムネとおつりを受け取った。
私もラムネにしたかったが、なかなか上手に飲めないことを理由にためらっていた。

すると、おばあちゃんが口を開いた。
「いつも姉さんといて仲良しじゃね」
突然で驚いたのと人見知りの性格から、私はおろおろした。
姉が代わりに
「いつもついてくるんです。あたしの真似ばっかりして」
と言った。おばあちゃんは声を立てずに笑った。
「ほうね。かわいいね。ようけ(いっぱい)真似して、ようけ学びんさいね」
姉はラムネをごくごくと飲んでいる。瓶を少し傾けて、ビー玉をくぼみにひっかけて。瓶の中はしゅわしゅわとさまざまな大きさの泡が立っている。私は姉を見ながら
「ラムネの飲み方を真似しとるけど、ビー玉がむずかしくてうまく飲めんのです」

すると、おばあちゃんはまた声を立てずに笑った。おばあちゃんは笑っていても、そうでないときも笑顔なんだなぁと思った。
「うまくできんことでも、やっていたら突然できることもあるよ。なんでもコツがあるけんね。そのコツは頭でわかるだけじゃのうて、やってみんと掴めん。やってみてわかることもあるんよ。あと、ラムネに入っとるんは、エー玉じゃ」
おばあちゃんは冷蔵ケースからラムネを出して、私に渡してくれた。

このあと、どんな会話をしたのか覚えていない。ただ、その時私はおばあちゃんが座っているのは車椅子だと気づいた。駄菓子屋は狭い店内にぎっしりと駄菓子やちょっとしたおもちゃを並べていたし、おばあちゃんは季節関係なく膝掛けをしていたので、何に座っているのかまでわからなかった。おばあちゃんがいつも座っている理由がわかった。

その後おばあちゃんに聞いたのか、自分で調べたのかわからないが、ラムネに入っているのは瓶の蓋ができるほど完全な球体の「A玉」で、蓋ができない規格外のものが「B玉」だと知った。床に落ちれば転がっていくので、ビー玉もまん丸だと思っていた。
エー玉になりきれなかったビー玉。なかなか完璧にはなれないものだ。

今思えば、おばあちゃんは臆病で失敗して姉に笑われることを嫌がった私を見て「やってみんさい」と背中を押してくれたのかもしれない。失敗してもやってみたらいい。ビー玉がたくさんあってもいい。

それ以外のときにおばあちゃんが私や姉に話しかけることはなかった。
いつものように、お店に入ったら「こんちは」、お金を払ったら「ありがとね」、100円分買ったら「5円チョコ持っていきんさい」。これくらいしか話さなかった。でも、やっぱりやさしい表情だった。


あれから二十年以上経った。
もう駄菓子屋はなくなり、おばあちゃんも(おそらく)もういない。
恵比寿神社はまだあるが、その奥にあった薄暗くて細い道も、たくさんあった小さなお店たちも、1軒の大きなマンションになった。ピカピカで豪華なエントランスの15階まである分譲マンションだ。

これはこれで良いと思う。
だれも通らない道にシャッターだらけのお店があった場所。
今はそこにたくさんの人が住んでいる。人が増えれば地域が活性化するし、新しいおしゃれなお店もできてわくわくする。

時間はいつも何かを変えているのだから、その中で何かが生まれれば、すでにあった何かは消えていくのだ。
だから、そんなめまぐるしい代謝の中で出合えたものは、一瞬でも愛おしい。

このマンションに住む人たちのうち、どれくらいの人がこのマンションが建つ前の風景を知っているだろう。狭くて薄暗くてちょっと汚くて素敵なあのお店を覚えている人はいるのだろうか。

時々、小さな恵比寿神社に立ち寄り手を合わせる。
その度に、あのおばあちゃんのあたたかさと、うまく飲めなかったラムネの甘さがしゅわしゅわとわきあがっては消えていくのだ。


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