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150 いつかのあずき

その日は、朝から格段にさむくて、どことなくよそよそしい空でした。
風が止んでも、お昼になっても、静かで圧倒的な冷たさを空気の粒は纏い続けていました。

「雪が降るみたいですよ」
だから、会社の人の一言は、ひとつの答えでした。

雪!

温暖な気候の土地で生まれ育った私にとって、雪はあこがれでした。
もちろん、これまでも雪が降ったことはあります。
年に数回は降ります。

それでも、降っては消えてゆくお砂糖のような雪は、特別な冬の妖精。
心躍らずにはいられません。

つい、北の方に暮らす叔母にメールをしました。
叔母のところは、すっかり真っ白になっていることでしょう。
「こちら、今日雪が降るらしいの。そちらは?」

叔母からの返信は30分後に届いていました。
「こちらはすっかり雪に支配されています。たいへん。車がだせないから、おこもりしています。雪かきには飽きちゃった。雪はたいへん。でも、うんときれい」

その5分後にもう一通。
「雪の日にたべるあずきは格別よ」

叔母らしい、ふっくらとしたメールでした。
白い雪と白い息。ストーブでほかほかになった部屋。
すこし肌寒い台所から漂うあずきを煮る気配。
あの甘くて豊かなにおい。

台所に立つあの後ろ姿は、叔母かしら。母かしら。祖母かしら。

みんな甘党だから、お鍋にたっぷりとお砂糖を入れていました。
あずきに降りかかる、お砂糖の雪。束の間積もって、すぐにしゅわりと溶けてしまいます。

あの場所。あの時間。

あずきと言えば、私の実家の近所に160年以上前から続く製餡所があります。
私はあんこ屋さん、と呼んでいました。

あんこ屋さんの向かいに友人の家があって、学校の日はその製餡所の前を通って友人と待ち合わせしていました。毎朝あずきを炊く香りと、工場から出てくるほかほかの湯気でしあわせな気持ちになって登校していました。

友人は引越して、今友人の家は宅配ピザ屋さんになっています。
先日、あんこ屋さんの近くを歩きました。

あずきを炊く香りはしませんでしたが(朝、一気に炊くのかしら)、小さなのれんがかかっていて、ゆったりと営業されていました。

あんこ屋さんの壁。今でもその壁を越えて香っていたあずきの香りを思い出せます。

あの場所、あの時間。

あずきの香りに包まれて感じたしあわせな時間は、ずっと私の中にとどまっています。
冷たい空気が舞う中で思い出すと、その時間が溶け出してじんわりと心を温めます。

そんなことを思っているうちに、雪はすっかり溶けて、春が一歩ずつ近づいてきているのでした。

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