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Vol.7 突然母乳が出なくなった話

息子 0歳5か月26日、生後179日。

何から書いたらいいんだろう。怒涛の2週間だった。辛くて苦しくてたくさん泣いて、そしてたくさん成長した2週間だった。備忘のために時系列で書き留めておく。

3月1週目。1つ前の記事に書いたように息子は便秘気味だった。小児科で指浣腸してもらってうんちが出てからまた4日出ておらず、ついに母乳の飲みとおしっこの出が悪くなった。当然機嫌も悪く、3月5日、再び小児科を受診した。今度は指ではなく、いわゆる本物の浣腸をしてもらった。

その日の晩、私は胃腸風邪に感染し一晩中トイレに籠っていた。3日前に感染してダウンした夫からの見事な家庭内バトンパス。体中の水分が抜けきって胸は一切張らず、とても母乳が出るとは思えなかったため、6日は1日授乳をお休みした。同じような経験がある姉からそのまま母乳の出が悪くなってしまったという話を聞いたため、とにかく水分を摂って、食欲がない中おかゆを食べて、なんとか夜には授乳した。息子は何事もなかったかのように飲んでくれて一安心したのだが、7日の朝授乳しようと乳首を咥えさせた途端、ギャン泣きされた。

初めてだ。息子が生まれてから初めて、おっぱいを拒否された。私は初産にも関わらず母乳の出がよく、入院中から完母だった。授乳量を計測するたび助産師さんからの拍手喝采を浴び、1か月健診、3・4か月健診でも順調に体重が伸びていることを確認していた。忘れもしない、息子が生まれた日。心地よいお腹の中から出てきて、目もほとんど開いていない、この世のルールを何一つ理解していない彼が、本能のみで私の乳を咥えた日。あの日から息子との授乳二人三脚が始まって、ここまで彼は私の血液からなる母乳のみで育ってきたのだ。

そんな息子に突然母乳を拒否されたのは、背後からナイフで刺されるよりもっともっとずっと大きいダメージだった。胃腸炎になって母乳の味が変わってしまったのだろうか。1日ミルクを与えたことで乳頭混乱を招いたのだろうか。私の体調が完全には回復していないから母乳が出ていないのだろうか。
もう1つ心当たりはあった。なんと、胃腸炎で苦しんだ当日、生理が再開したのだ。完母だから再開は早くても8か月頃だろうと思い込んでいたため、初めは気のせいだろうと思ったが、それは紛れもなく生理の血だった。調べると、生理中は母乳の分泌を低下させるホルモンが出るだとか、生理中は母乳の味が変わるだとか書いてある。
でも、よく考えたら最近の息子は便秘気味で、もともと母乳量が足りていなかったのかもしれない。4か月健診以来、体重も測っていなかった。母乳の出が悪くなったことで生理が再開したとも考えらえる。何が原因で何が結果なのか、もはや訳が分からなかった。

その日はショックでほぼ一睡もできず、翌朝駆け込むように近所の母乳外来に行った。経緯を全て話し、何とかまた母乳で育てたい旨を伝えると、生理中に母乳の飲みが悪くなる子はいる、また、胃腸炎等で分泌が低下することもあるが、それだけで全く母乳が出なくなることはないから大丈夫、と言われた。とにかくたくさん食べて飲むこと、夜間・頻回授乳を頑張ること、ミルクをあげすぎると余計に母乳を飲んでくれなくなるからミルクは1日400mlまでにしなさいとも言われた。母乳マッサージのあと、息子は嫌がりながらもなんとか乳首を咥えてくれた。恐らく少量だったが飲んでる様子はあり、これだったらミルクを足さなくても大丈夫だと言われ、ようやく少しだけ安堵した。

3月8日、午後からBCGの予防接種だったため再び小児科へ向かった。帰宅するなり息子の様子がおかしいことに気付く。授乳したあとでも、抱っこしていても、声が出なくなるくらい泣き叫び、とにかくずっと苦しそうだった。熱はなかったが、思えば予防接種前からぐずり気味だった。ちょうどこの期間第5のメンタルリープだったため、その影響だろうとばかり思っていたが、それにしてはひどすぎる。予防接種の副反応だろうか。それともまさか、胃腸炎がうつってしまったのだろうか。何をしても身をよじらせて泣き叫ぶ息子をなんとかお風呂に入れ寝かせたが(寝かしつけにも2時間くらいかかった。普段は5分以内で寝る。)、気が気ではなく、かかりつけに電話で相談した。BCGは副反応が出ることはあまりないし、熱や下痢の症状がないなら胃腸炎も考えにくいが、明日になっても様子がおかしければ病院に来るように言われた。

9日朝、起きた瞬間からギャン泣きしていた。授乳しても抱っこであやしても何をしても、ほとんど出ていない声で、とにかく泣き叫んでいた。こんな息子は見たことがなく、もう完全に、どこか悪いとしか思えなくて、化粧もしないまま小児科へ行く準備をしながら、動転しきった精神を安定させるために姉に電話した。3歳2歳の年子を育てている姉は私の育児の指南書だ。私たちはほぼ毎日連絡をとっており、ここ最近の事情を全て知っている彼女は開口一番、

「あ~~~~。それお腹空いてるんだよ!ミルクあげな!」と言った。

・・・お腹が空いている?

あれから息子は少し嫌がりながらも母乳を飲んでくれていたはず。言われた通り頻回で与えている。こんなに泣き叫ぶなんて、どこか痛いとしか思えないのだが・・・。半信半疑でミルクを200㎖作ったら、ものすごいスピードで飲み干したあと、息子はニコっと笑った。

ぶわっと涙が溢れた。そうか。お腹が空いていたんだ。おっぱい飲めていなかったんだ。お腹、空いてたんだね。息子が泣き止んで笑ってくれた安堵、声が出なくなる程空腹にさせてしまった罪悪感、やっぱり母乳が出なくなってしまったんだという絶望感、いろんな感情が交錯して涙が止まらなくて、そのまますっかりご機嫌になった息子を抱きしめながら私は泣き続けた。

「完母に戻したい」、それしか頭になかった。1日中そのことを考えていた。だけど明らかに現状母乳が足りていない状況でミルクを足さないわけにはいかなくて、母乳外来で言われた通り、ひとまずミルクは1日400㎖までとして、それ以外は1時間おきでもとにかく何度も母乳をあげようと決めた。夜間も2時間おきにアラームを設定して寝ている息子を起こして乳を吸わせた。ヘロヘロだった。心も体も辛かった。ミルクを足してもやっぱり1日中ぐずり気味だったが、ぐずりの原因が空腹だけとも限らない。5か月を過ぎて後追いのようなものも始まり、最近は基本的に私が視界から消えると泣くのだ。だけどやっぱり、お腹を空かせている気もした。いや、眠いのかもしれない、遊んでほしいのかもしれない・・・。「何で泣いているか分からない」なんて新生児以来で、全ての自信を消失してしまった。息子を生んで初めて、越えられない大きな壁にぶち当たった気がした。

3月10日、私はもううまく笑えなくなっていた。すごく辛い。誰かに聞いてもらいたいと思った。この状況を客観的に見て専門的なアドバイスをくれる誰か。区の支援センターに面談制度があったことを思い出し、朝一で電話して駆け込んだ。とても優しい保育士さんが泣きじゃくりながら話す私の言葉を1つ1つ噛み締めるように聞いてくれて、一緒に泣いてくれた。
"辛かったね。よく頑張っている。でもあなたは1人じゃない。ここを第2の実家と思えばいい。これからは私たちが一緒に成長を見守るから。"
具体的なアドバイスを得られたわけではなかったけれど、苦しい気持ちに共感してもらえただけでものすごく楽になった。
その日、数か月ぶりに授乳量を計測したら、なんと左右で40㎖しか飲めていなかった。衝撃だ。40㎖って新生児の飲む量だよなぁ。そりゃあお腹空いて泣き叫ぶよなぁ。こんなにも出なくなってしまうものなのか。いや、出ていないのか飲めていないだけなのかまだ分からない。生理が終わったらまた飲んでくれるかもしれない。とにかく、もう少し、ミルクを足しつつ頻回授乳を頑張ろうと再度誓った。

12.13日の週末は、アカチャンホンポに行っては授乳量を計測していた。変わらず30~40㎖しか飲めておらず、それでは400㎖ミルクを足すだけでは足りないよなあと思いつつ、回数で稼ごうと夜中も頑張った。相変わらず嫌がりながらしか飲んでくれないため、抱っこでゆらゆらしたり、歌を歌ったりと気を紛らわせながらの授乳。無理な姿勢を続けているのと明らかな寝不足で、身体も心も限界だった。だけど、とにかくこの生活を続ければまた以前のように母乳が出るはずだと信じて頑張った。でも、もしダメだったら。どこかで見切りをつけて諦めることが必要かもしれないと心のどこかでは思っていた。あと1週間。あと1週間頑張れるだろうか・・・。

14日。計測結果は25㎖。何かが音を立てて崩れた気がした。だって、生理が終わったのだもの。生理による一時的な分泌低下ではなかったことが分かった。希望が失われた。もうどれだけ頑張っても以前のように戻ることはないのではないだろうか。放心状態のまま、授乳室で母乳外来に電話した。言われたことは変わらず、「ミルクをあげすぎないで頻回を頑張ってください。」
本当に?本当にそれでいいの?息子の機嫌はもうずっと悪い。確かに理由は分からないけれど、やっぱり空腹なんじゃないだろうか。私ももう限界だ。こんなのお互い辛いだけ。
だけど、だけど。混合でもいいから、どうかまた嫌がらずに母乳を飲んでほしい。そのためには、分泌を増やすべく何度も吸わせて飲んでもらわないといけないのだ。苦しいけど、やっぱりあと1週間頑張りたいと思った。

15日。前日頑張ろうと決めたのに、朝起きるとまた絶望していた。幸せだった授乳時間が今はとにかく苦痛だ。どうか飲んでくれますようにと心臓をバクバクさせ、嫌がる息子を無理やり胸に押し当てる。本当にこれでいいのかな、この方法が今の私たちにとってベストなのかな。多分もうそうではないことは分かっていた。ほとんど無意識で別の母乳外来に電話していた。
都心にあるとは思えない、小さなこぢんまりした助産院。不思議とその周辺だけ柔らかい空気が流れている気がした。1階には和室の部屋が3つあって、そのうちの1つに通された。見た目も口調も穏やかで優しい助産師さんがこれまでの全ての話を聞いてこう言った。

夜間も頻回もやめなさい。ミルクをあげなさい。ここまであなたは本当に頑張った。この子をこんなに大きくしたのはあなたなのよ。これからはミルクで大きくなればいい。おっぱいは心の栄養としてあげればいいんだから。

これ以上涙は出ないというくらい涙を流した。
もうやめていいんだ。ミルクをあげよう。そう言ってほしくてここに来たんだ。久しぶりに深呼吸することができた。
「この子のために母乳を出そうと頑張ったあなたもえらいけど、このままではいけないと判断して行動にうつしたあなたもえらいのよ。
帰りがけ、助産師さんにこう声をかけられてハッとした。思い返せばここ数日の自分は正気の沙汰ではなかったが、なんとか状況を打破しようと悩み、足を動かし、行動しまくっていたことに気づいた。苦しかったけれど、その全てが決して無駄ではなかったと今なら思える。

混合と決めてたっぷりミルクをあげるようになってから、息子はとっても穏やかだ。よく笑う。本当に可愛い。便秘も解消された。何より、私自身リラックスできるようになった。完母に戻したいと躍起になっていた時は授乳の度に動悸がしていたが、今はすっぽり腕におさまる息子の顔を見て心から幸せだなぁと感じている。それが息子にも伝わるのか、以前より飲んでくれるような気がする。たくさん飲んでくれなくたっていい。1㎖でもいい。彼の心に栄養が行き渡ればそれでいい。おそらくもうそう長くはない授乳ライフ。お互いにとって少しでもいい時間にしたい。1回1回噛み締めたい。そして、息子がもう「おっぱいいらない」と示してきた時は、潔く終わろうと思う。

これまで完母で育ててきたという私のプライドが自分も息子も苦しめた。1番大事なものは、息子の健やかな成長と笑顔だ。そんな単純なことになかなか気付けなかったけれど、遠回りした分見えたものがたくさんある。これがきっかけで支援センターに通うようになり、私にも息子にも居場所ができた。

息子が空腹で泣き叫んだあの日、姉からこう励まされた。「泣いて教えてくれるんだからいいじゃない!男の子はそのうち何考えているか分からなくなるよ。」

息子よ。未熟な母ちゃんだけど、いつもあなたのことを1番に考えています。
あなたが泣かなくなっても、言葉で伝えてこなくても、あなたが辛いときは手を差し伸べられる母ちゃんでいられるよう、成長するね。

これからもよろしくね。

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