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すべては私の体内で起きている(がん闘病から妊娠まで)


来月、私は母になる。

忘れもしない今年の2月。生理がなかなか来なかった。もともと生理不順のため「いつものこと」くらいに思っていたが、その晩、食事の約束があったため、"安心してお酒を飲むために"妊娠検査薬を購入した。どうせ来月も予定日を超過して不安になるんだからと、2本入りを購入した。

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検査薬にはくっきり2本の線が浮かび上がった。2度見、3度見、4度見、5度見。身に覚えがない、というわけでもないけれど、前述の通り私は生理不順で、故に排卵日も安定しておらず、一体全体、いつの間に!?というのが正直な感想だった。

毎月生理がこなくて騒ぐのも馬鹿らしいと思い、夫に特に報告もせず(99%陰性と確信して)検査をしたのだ。1番驚いたのは彼に違いない。


私たちは昨年の秋に結婚したばかりだ。子どもを望んではいたが、でもそれは、多くの新婚夫婦が「いつかは欲しいね」と口ずさむような、淡くて曖昧な未来予想図だった。結婚式すらまだ終えておらず、ようやく2人の生活が整い始めたところに、3人目が突如現れたのだった。


驚きと、戸惑いと、そして大きな喜びとが入り混じった涙が溢れた。

まさか、自分が母になろうとしているなんて。


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母親の自覚はいきなり芽生えるものではない。多くの女性は、子がお腹に宿っていることがわかった時、「本当に自分が母親になるのか」、「自分の体内に新しい命が存在するのか」、そんな感情で揺さぶられるはず。

私は、21歳の時に「胸腺腫」という病気を患った。

悪性腫瘍、すなわち、がん。ステージⅢで腫瘍はかなりの大きさだったが、なんとか手術で摘出することができた。が、翌年あっけなく再発し、今度は抗がん剤治療をした。

その時、抗がん剤による妊孕性(妊娠するための力。がん細胞を攻撃するための抗がん剤は、時に生殖機能にも影響を与えうる。)へのダメージを懸念して、卵巣の凍結保存をしたのだ。2つある卵巣のうち、1つを抗がん剤投与前に体内から摘出し、温存するというものだ。

当たり前のように、いつかは自分も子を産むものだと思っていた。副作用で髪が抜けたり、吐き気に苦しめられたりすることは我慢できても、母親になる可能性まで潰されることは、どうしても耐えられないと思った。


今、私の左の卵巣は、病院の冷凍庫で管理されている。残った1つの卵巣が正常に機能してくれる可能性も十分にあったが、当時22歳の私は、たくさん悩んだ末、この選択をした。

保険適用外のため多額の費用を要したし、がん治療とは別に手術も必要だったが、まったく後悔していない。

本気で自分自身の価値観と向き合い、可能性を追求して行動した自分を誇りに思っていた。

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そうして現在28歳。

ここまでつらつら書いたけれど、ここから先、がん闘病から妊娠に至るまで、文章にできるようなプロセスが、なんと、ない。

抗がん剤治療のあとも再発を繰り返していた。というか、1年前にも手術したばかり。経過観察のCT検査で問題なければ、秋頃から妊活を始め、必要であれば凍結した卵巣を体内に戻すなり、体外受精なりを覚悟していた。

不妊に悩む女性は多い。身近では実姉が長年の不妊治療の末、ようやく子どもを授かっていた。

原因は人それぞれだと思うが、全身麻酔を何度も繰り返し、身体に数多のメスをいれ、さらには化学療法を経た私の身体。そもそも若くしてがんになった時点で、免疫力が弱く、どう考えても欠陥があるとしか思えない。(そんな私を人生の伴侶に選んでくれた夫には大感謝。)

自分が、妊娠・出産に関してどれくらいのポテンシャルがあるのか、全くの未知数だった。

それがどうしたことだろう。2021年2月6日の私は、右手にくっきり2本の線が浮かび上がった検査薬を握りしめていた。自分のポテンシャルを図ろうとする決意すら素通りして、子は私たちのところにやってきてくれた。

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妊娠35週。まもなく臨月を迎える。

大きく膨れた自分のお腹を眺めながら、これまでの人生を思い起こす。

きみは一体どうやってここにきたんだい。どうして私たちを選んでくれたんだい。

頭でぐるぐる考えていたようなプロセスを経ることはなかったけれど、私の想像が及ばない範囲で、目に見えない奇跡の連鎖で、私たちは繋がった。いつ、どうやって繋がったかなんてわからない。きみが言葉を覚えたあと、尋ねてみたって答えは返ってこないだろう。でも、きっといつか、自然にその意味は見出されていくような気もする。

胸元の手術跡に目を移す。

そう、もしかしたら、今すでに、再発しているかもしれない。自覚症状がなく、進行はゆっくりだが、再発しやすい。そういう病気と付き合っている。無事に子を産んだら、最優先で延期しているCT検査をしなければいけない。

もし再発していたら、産後のボロボロの身体で赤子を抱えながらの治療になる。その間の授乳はどうするんだ。入院したら、夫と赤子だけで生活できるだろうか。突然不安で頭が埋め尽くされる。

でも、この不謹慎な妄想は、私の体内で子とがん細胞が共存してたことを意味する。片方では絶望の種を宿し、片方では愛しさを育んでいた。それはそれですごいことのような気もして、何だか肩の力が抜ける。全て、同じ私の身体で起きていること。


赤ちゃん。

これから母ちゃんは、どんな苦難も乗り越えてみせるよ、きみのために。
そして、どんな苦難からもきみを守るよ、全力で。



おへそ付近に力強い蹴りを感じ、再びお腹に目を戻す。

私たちのところに来てくれて本当にありがとう。

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