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output習慣による窮屈さ

1.noteの投稿サボる要因

最近noteの投稿をサボりがちになってしまっていました。なんでかなぁと考えてみると、思いつくことが多々あるので記しておきたい。

①noteの投稿意義を忘れてしまった

「初心忘れるべからず」という諺があるように、初心というものを忘れていた自分がいます。noteをやり始めたのは、感覚的に生きている自分が客観視できる場所であり、outputを量産できる場所であるということ。そして、夢に近づいていくには、日々宣言していくことによって自分を動かしていく必要があった。だからやっていた。

しかし、窮屈さを感じる自分もいました。今までは無意識に生きていたのだから。それを一気に有意識に変えて日常を過ごしているので、それは当然反動が来ると思っています。

でも、その反動で悩む回数が増えました。せっかく日常を劇的に変えて過ごしているのにもかかわらず、「最近楽しくない、というかいつからこんなに冷めてしまっている自分がいるんだろう」と。

②心の余裕のなさ

この悩みの原因を考えた際に、自分を分析してみると、

喜怒哀楽が薄くなってしまったということです。

楽しい!!!と感じる瞬間、なんて素敵なんや、、、と感じる瞬間、が人と遅れてやってくる感じがしています。

これしなきゃ、これをやらなきゃみたいに自分を縛り付けているため感情が乗ってこないのかなと。

確かに僕は人一倍「自分に厳しすぎる性格」だと思っています。

自分に厳しいって一見聞こえはよく思えるかもしれませんが、厳しすぎてそれがストレスになってしまい意味を果たさなくなっている状態に陥ると良くありません。

完璧主義を目指して、気疲れしていたのかもしれません。

だからですが、心に余裕がなくなっているのではないかなと。

これはいかんなと。自分がわからなくなってしまっていました。この悩みを先輩に打ち明けた際に、この詩がおすすめだよと言われました。

この詩めちゃくちゃ痺れるのでぜひ読んでいただきたいのですが、私はこの詩を読んで、自分の感受性というものにいかに向き合ってこなかったなと思いました。

どんな時に自分が楽しいと感じるのか、どんな時に自分が幸せに感じるのか。

なんとなくわかっていた気がしていたのですが、日々日常を生きる中で、冷めている自分がいるなと。人生は一瞬一瞬の連続でしかないので

今楽しい!毎日楽しい!!を毎日積み重ねられたら、人生は絶対楽しくなる。

これは間違いないと思っていて、だからこそ、心が乾かないようにしっかり水やりを怠らないようにしておきたい。

でもこんな考え方もあって、言葉が先で感情が後、表情が先で感情が後

自分の心に向き合い続ければ自分の感受性というものは磨かれていくとは思うのですが、それをすると僕自身は鬱に近づいていく気がしていて、だからこそ毎日を楽しく生きたいので「楽しいね!!最高だね!!素敵だね!!」ポジティブワード連発で生きていたいと思いました。

そして、余裕を与えていくために将来のことを考えそちらの選択を優先してしまうばかりに、目の前のタスクを終わらせていないことも原因だと思っています。

僕で言うと、「卒論」。これが終わっていないことが気がかりですし、余裕のなさの表れと思っています。

2週間先に分まで卒論タスク諸々を終わらせていくことを心がけていきます。

2.起業の条件から今すべき行動手段(今日の実験)

この動画を見て、起業には大きく10個の条件があると言うことがわかりました。

その条件から今僕自身がすべきことの計画を記したいなと考えています!

今日も最高の1日にします!!!!!!!!!!!

3.成長痛(余談)

最近新しいことを始めて久しぶりに、悩みなんて感じてきたなと思っています。しかし、これって一種の成長痛と考えることができると思っています。

認識できていなかった壁を認識することができた苦痛さと喜び、それを打ち破っていく連続が人生だと考えているので。

改めて思うのは、「note始めてよかったなぁ」

と言うことです。noteをしていなければこの悩みにも巡り会えなかったと思っています。だからこそ、これからも引き続き自分の心に向き合い、自分の性格と照らし合わせながらnoteを続けていけたらなと考えています。

ブログタイム:40分

ブログ文字数:1760文字

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