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ちゃんと所長になってくださいよ #また乾杯しよう

ある日、厳かな所長室に呼ばれた私は、思わず自分の耳を疑った。

「もう一度仰ってください」

いつも困った顔をしている所長に向かって、私は生意気度120%で迫って言った。
所長は更に眉をハの字にして、申し訳無さそうに直前の言葉を繰り返した。

「船石さん、B店に異動です」

破壊力抜群すぎて、私は目の前が真っ暗になった。


営業所の異動なんてよくある話だけど、その時の転勤は実に不本意なものだった。

同一市内にある、ライバル的位置づけの営業所への転勤。

意味がわからなかった。

***

私が新卒で配属されたA店と、5kmほど離れたB店は、同じ地域で顧客を取り合ってるようなものだった。以前は人口が多く需要があったらしいけど、過疎が進んだ今は店舗数過剰になっていて、店舗の統合が現実味を帯びていた。

A店は、B店と比べると歴史が浅く、立地も駅から遠いという不利があった。何も悪あがきをしなければ、廃されるのはA店だ。
そういうわけで、A店に配属された社会人1年目から、廃店を避けるための業績アップを求められていた。

正直、キツかった。辛かった。小部屋に呼ばれて先輩から指導を受けて泣いたこともある。

でも、そんなキツい仕事環境だったけど、年齢の近い人は多くて、よく週末は飲みに連れていってもらった。
そこで愚痴を聞いてもらったり、アドバイスをもらったり…ちょっと体育会系のノリで、2時過ぎまでカラオケに行ったりしてたけど、その当時は良き「飲みニケーション」だと思っていた。

そんなこんなで必死に地元へのPRや顧客の新規開拓をして、五年。とうとう念願叶って、A店の業績はB店を上回った。

「船石が頑張ったおかげだよ」

忘年会で課長にビールを注いだ時の一言は今でも覚えている。

「自信持てよ」

背中を押された。もっともっとこのA店を盛り上げたい!心底そう思って飲んだビールは、腹の底まで染み渡る最高の味だった!…のに。

2月、私は、5年間ライバル視し、打倒したと思ったB店への異動を命じられた。

***

同一市内だから、引っ越しもいらなかった。

指定された日から、通勤路を変えるだけ。何も大きな違いは無い…はずだった。

予想に反して、初日からいろんな習慣の違いに戸惑った。え、そんな服装でいいの?お客様とそういう距離感で話していいの?この業務に申請書いらないの?休憩室で何分お茶飲んで喋ってんの??裏口で煙草吸っていいの???…なんというか社員管理が杜撰で、営業成績に対する危機意識が無かった。


でも私だって社会人だ。B店に配属されたからにはB店と全力で向き合うつもりだった。A店には業務上必要がない限り足を運ぶことはしなかったし、向こうの同僚とも連絡を取らなかった。

大丈夫。A店にいた時だって、一人で任された仕事は多かった。頑張れる。大丈夫。大丈夫。そう思っていた。

でも、神経は相当すり減っていった。

A店ではチームで働いている実感があったけど、B店は個々人のワンマンプレーの集まりだった。
私は私、貴方は貴方…人への手出し口出しは無用の代わり、自分へのフォローも無かった。

案外、社会ってそういうものかもしれないけど、その時の私には、ストレスで発疹が出るほど辛かった。

体に悪いと思いつつ、コンビニでツマミと缶ビールを買って帰る日々。

そのうち、ビールは味を失っていき、惰性で口をつけるだけの飲み物になっていった。

***

4月頃だったろうか。曇天に桜吹雪が舞っていたある日のこと。

「もう少し業績上げる努力が必要だと思うんですけど」

意を決して、営業先に向かう車の中で先輩に聞いた。これで何かが変わればいいという甘い期待は、鼻で笑われて砕け散った。

「うちは地元の有力企業と取引あるから大丈夫だよ」

そう言って挙げた企業名は、確かに倒産なんか無縁そうな大手ばかりだ。

「でもこの前、B店の業績、A店に抜かれましたよ。あっちはすごく必死なんです。こっちに来て拍子抜けしました」

そう訴えても、先輩の顔は「そんな必死にならなくても」と言っていた。

「まあ、もし廃店になったら転勤すればいいだけだよ」

私は固く拳を握った。


その日の帰宅途中、コンビニでビールを買おうとして、やめた。

私がとる行動の一切が無意味に思えたのだ。

すり減った神経は、もう髄を残すばかりだった。

***

そして6月、とうとう私の精神は限界を迎えた。

仕事、やめたい。

A店にいた時もそう思ったことはあるけど、この時は本気だった。

でも待て…私は最善を尽くしたか…?

自分にできることは思いつくだけやってきた。でも…

気づいたら、私はかつての上司だった人…課長に電話していた。

『おう、どうした?』

数カ月前と変わらない調子で、課長は答えた。

「…みんなが支えてくれてたんですね」

そう。今まで私は、私一人で仕事できた気になっていた。実に思い上がりだった。
私がうまくいかない時に、それとなくアドバイスをくれていたのは、A店の同僚達だったのだ。彼らがいたから、見かけ上の私の成績は人並みに保たれていた。

私は新卒の甘ちゃんから抜け出せていなかった。

忘年会での課長の言葉が嘘だったとは思わない。
でも、B店における個々の成績は、私だけが頭一つ低かった。

店舗成績を嘆く前に、自分の力不足をどうにかしたい。藁にすがる思いで、課長に弱音をぶちまけた。

何分くらい話しただろう。

『お前、明日空いてるか』

と聞かれた。私がはいと答えると、課長はその電話で、隣町の居酒屋を待ち合わせ場所に指定した。

***

指定された店はよく知っていたけど、課長と二人で飲むのは初めてだった。

待ち合わせ場所に現れた課長は、真っ先に「よく頑張ったな」と言ってくれた。それだけで涙が出るほど、私は久しく誰にも褒められていなかった。


飲み屋での約二時間、私ばかりが喋っていたと思う。ほとんど愚痴だ。ほぼ聞き役だった課長だけど、唯一覚えているのはこんな話だ。

「以前俺がC店にいた時も、似たような状況だった。店に興味を持たない客が悪いって言う奴さえいた。そん時まだ若かった俺らは、やる気ねぇ奴らみんな追い出してやった。自主的に勉強会も開いたし、とにかくやる気ある奴らと、目標を決めて行動を起こしたんだ…」

っていう感じ。

今のご時世だと「自分語り乙」とか言われるかもしれない。(かえって古いか?)でも、その時の私の心にはグサッと刺さったし、まだやれることがあると思えたのは事実だ。

「課長みたいになりたいです!」

同じことがやれるとはとても思えなかった。でもそう言わずにはいられなかった。

何という言葉だったか覚えてないけど、課長は私の言葉を肯定してくれた。ものすごく嬉しかった。実際に泣いたかどうか覚えてないけど、心の中は涙の大洪水だった。

私は課長の言葉に救われて、味のしなかったはずのビールも、帰る頃には芳醇なコクと旨味を取り戻していた。

***

この時からB店に対する向き合い方が少し建設的になった。
自分一人でできないと思った時は頭を下げて助けを乞うたし、同僚と手を取り合うこともできた。

たくさん苦労はしたし、結果的に退職はしたけど、B店を憎んだまま終わらなくて良かった。

***

課長はその後、別の営業所の副所長になった。

その頃に私は結婚式を挙げたので、彼にも来てもらったけど、当日の新郎新婦なんて飲食や会話なんて全くできなかった。

旧A店の同僚とは今も親交があるけど、遠方に引っ越したこともあり、直に合うことはめっきり減ってしまった。

それでも時折もらう連絡の中では、課長が近々所長になるのでは、ともっぱらの噂。

そのたび、私は思うのだ。

課長!
所長になった暁には、ぜひご馳走させてくださいね!

って。

***

こちらのコンテストに応募します

以前から温めていた下書きに手を加えました。エッセイっぽいけどフィクションです。

…フィクションです。

2020/08/06 誤字脱字訂正