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駅前なのにフナツキバ(船着場)⁈

次回 「小江戸の玄関口 交流空間FUNATSUKIBA」


「ん?駅前ということは、電車だよね。
 なぜ、船(舟)? 船着場?」


頭に【?】マークが浮かんだ方もいるでしょう。

栃木駅、周辺を電車と船が並走しているわけでも、駅で電車から船に乗り替えができるわけでもございません。

なぜ、「FUNATUSUKIBA(船着場)」という名前を付けたかと申しますと、実は、栃木市街地は江戸時代後期より、
舟運(しゅううん)で栄え「小江戸栃木」
と呼ばれた町なのです。

栃木駅から徒歩約10分。巴波川幸来橋付近に建てられた記念レリーフ。
当時の河岸の賑わいの様子が描かれています。


小江戸栃木、蔵の街


江戸時代の風情を感じる巴波川(2024/02/28撮影)


市北部を源に発し、市街地を貫流する巴波川(うずまがわ)。
元和3(1617)年、徳川家康の霊柩を久能山から日光山へ改葬した際、御用荷物などを栃木河岸に陸上げしたことに端を発し、その後、物資の集散地として、部賀舟(べがぶね)、都賀舟(つがぶね)などが往来。江戸との交易が盛んになり、栃木市は巴波川、河岸(かし)を中心に、「交易都市・商都」として栄えていったのでした。
川の両岸には多くの舟積問屋や豪商がいらかを並べていたそうです。今もなお、白壁黒瓦の土蔵が所々に残され、小江戸の風情漂う「蔵の街」栃木として多くの観光客が訪れています。


舟では江戸から。日光につながる例幣使街道や宿場町を通しては北、南東北から ― 。
かつての栃木市は、物資の流通を通し、大都江戸の文化が自然と流れ込み、さまざまな地域の人が自然と行き交い、集まった場所だったのです。

もうお気付きですね。

舟から電車にバトンタッチ。

かつての舟運で栄えた頃のように、駅前が
「いつのまにか集まって、いつのまにか繋がる場所」に、
自然と、いつのまにか、駅前が栃木市と栃木県の起点になることを願って、
「FUNATSUKIBA-フナツキバ‐」という名前になりました。





これから、FUNATSUKIBAがどんな場所で、どんな仲間がいるのかを詳しくご紹介していきます。

どうかゆるりと、お付き合いください。



※余談ですが・・・
「いらか」は「甍」と書きます。「(瓦でふいた)屋根の峰の部分」を指します(広辞苑)。童謡「こいのぼり」の「いらかの波と雲の波」のいらかの波は、瓦屋根が波のように連なった様子なのでしょうか。
小江戸栃木も同じ様な光景が広がっていたかもしれません。
そして、栃木駅前にも、ちょっといらかの波っぽいものが見えませんか♪


次回は、「小江戸の玄関口 交流空間FUNATSUKIBA」です。
県外からのアクセス、小江戸の風情を感じる市街地へのアクセスについて。繋げるだけではなく、「つながる」場としての自己紹介もさせていただきます。
ご一読いただけますと幸いです。

FUNATUSUKIBA 水先案内人より



FUNATSUKIBA 
instagram:@funatukiba

https://funatsukiba.jp/

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