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【ふなログ391】人生「臥薪嘗胆」の時期、というのはとても大切な時期。


人生には
「攻め時」もあれば
「守り時」(造語?)もあると思います。


つい最近まで
ちょっと
「攻め時」かな〜?
などと思っていたのですが、

諸々の状況を振り返ると
実は「守り時」だったんだな。
と痛感してしまうことがありました。

土俵の俵を割らないように必死になっている日々。
それしか出来ない現在かなと。
「俺を土俵の真ん中で戦わせてくれ!」
と叫びまくりながらも(笑)


「攻めまくっている」時が楽しいですし、
「攻め込まれている」と感じている時は、
やはり嫌なものです。


人生をどれだけの視野と
時間軸で眺めるか?にもよりますが、

広く長く人生を眺めて
「攻めまくっている」と思える人生なのか?
それとも
「攻め込まれまくっている」と思わざるを得ない人生なのか?
となると、
無論前者で在りたいと思うわけです。


しかし、
余程注意を払って気を付けて
日々努力を積み重ねていないと、

実は「攻め込まれまくっている」人生だった。
ということになっているだろう、
というのは、
薄々気付いてしまうのです。


努力も大事。そして才能も大事。
もちろん、
努力だけでもダメだし、才能だけでもダメ。
確かに、
努力の総量が才能を圧倒する時は来る。

しかし、
努力の総量も才能の両方とも、
自分を圧倒的に上回ってしまう存在を
目の前にしてしまった時、
「どうしていくか?」
がとても重要になります。


時には自棄に
なりそうになるかもしれない。
時には焦って
空回りし続けるかもしれない。


昨日、
「努力の総量も才能両方とも敵わない相手に、どう立ち向かっていくのか?」
と、途方に暮れる出来事がありました。

別に勝ち負けの勝負している訳ではありませんし、
「お前ごときの努力の総量で何言ってんだ」
と言われるのも承知の上です。

しかしやはり、
彼我の差を感じざるを得ないと、
「諦めるか?立ち向かうか?」
の二択を迫られる瞬間が訪れるのです。


そうすると、
「自分の脇の甘さ」がじわじわと知らされてくる。
だからこそ、
二択ではなく「立ち向かう」の一択になるのです。


安心して攻めまくる前に、守りも疎かにしていたら、
思わぬ「奇襲攻撃」で
あっという間に死に絶えます。

そんな守りもしっかりと整えていく。
勝つことよりも負けない方がずっと大事だからです。

守るのは歯痒いが、
「攻め込まれまくる人生」よりずっとマシです。


焦っても仕方がない気持ちと闘いながらも、
「収穫の秋」を目指す日々。

予期せぬ「災害」からも守るために
「守り時」の春を丁寧に生きていくのみ。


お前はSなのか?Mなのか?
というハナシではなく、
攻めと守り、どっちが好きか?

もちろん、
「攻め!」と言いたい気持ちをグッと抑えつつ、
守りを丁寧にすることが大事。

そんな「守り時」こそが、
実はある部分、
人生の多くの時間なのかもしないし、
大切な時期なのかもしれません。

それはまさに
「臥薪嘗胆」な時期ですね!


ちょっと
反省文のような内容になってしまいましたが、

「すぐに結果が出ない」からこそ、
「結果が出た時はとんでもないことになるぞ」

と、自分を戒めて
そこに向かって
バカみたいに努力していくのみです。

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