見出し画像

言葉にしてしまっても良いのだろうか?

桜庭一樹さんの新作
『彼女が言わなかったすべてのこと』
を読んでいる。

明るく軽いエンタメではないから、広くオススメは出来ないけど、すごく好きな本だった。何度も再読して少しずつ噛み砕いて行きたい。



普段は一冊くらいなら
一日で読んでしまう私なのだが……


この作品は、
私が自分の生活の中で引っかかっていた
ことが書いてあったり

主人公と共に進むうちに
「確かにそうかもしれないな…」
と納得させられ 想像力が広がることが
書いてあったりして、
なかなか読み終わらない。

安易に軽率に読み進めちゃいけない気がして
むしろ、ゆっくり咀嚼したい!と
わざと ゆるゆる読んでいる節がある。


色々なことを見つめ、
「ん?」と抱く些細な違和感を
流さずしっかりと考えていく主人公・波間。



彼女が考えていくトピックスは

自身も病を患い感じた「感動ポルノ」のような消費される不幸・弱者ついて。

社会が抱えるパラレルワールドのような「多面性」について。

若い女性を軽く見る社会に対する「若くて輝いてる女の子たちのことが、きらいできらいできらいなの?」という問いかけ。

などなど、多岐に渡る。


どれも身に覚えのあるものや
説得力があり 自分の周りを見回したくなるものばかり。

これらと共に彼女が考えていくことに
自分の気持ちを話すこと」についてがある。

noteでの発信など、自分の感情を言葉にして
残しておきたい、という欲求が強く
実際に継続的に 言葉にしている私としては
興味深いトピックスだったので、
この記事で取り上げてみようと思う。


端的に言うと、

自分の気持ちを話すこと(言葉にすること)で
不用意に誰かの心の柔らかい部分を傷付けてしまうんじゃないかと思うと怖い

という内容。


この前提には、
周りにたくさんの他者がいて
それぞれが違うブレンドの痛み、寂しさ、恐怖、苦しさを抱えている。
という彼女の気付きがある。

他者に対する想像力は大切だけれど
想像力が大きくなりすぎると、
自分の中で想像出来る範囲も文字通り大きくなる。
その中には、相手を傷つけるかも?
というマイナスな面ももちろん入ってくる。



あまりうまくは言えないけれど
想像力が大きくなりすぎると
話したり、言葉にしたりすることが怖くなる気持ちが すごく私にもしっくり来て、

でもだからって誰とも話さないなんて
出来ないし、沈黙しているだけなのって
コミュニケーションを諦めているとも
逃げているようにも言えるのかも、と思ったり。

逆にあまりにも想像力の無い言葉たちに
傷付けられる経験は思い当たりすぎるほどに
あるし、なんだかそんな諸々が
心の中で渦巻いてグルグルと飲み込めずにいる。


自分が正しいと思うことを声高に言うことだけが良い事じゃないだろう。

事実だから、誰にでも言っていい訳でもない。

大勢の人に無害だからといって、誰か一人に対しての致命傷を負わせる言葉にならないとは限らない。

それはすごくよく理解できる。
めちゃくちゃ分かる。
なんなら、私も上記の言葉を言ったことがあるかもしれない。


でも、自分の感情を持っているから。

他者の受け取り方を慮る理由は挙げていくとキリがないけど、自分の感情の落とし所や 伝えたさの行き先から、どうしても言葉にしたいと思う時ってあるから。

だから私は、誰かを傷つけるかもしれないな、と知りながら言葉にしてしまう。
これって無神経なことなんだろうか。

「私ってサバサバしてるから思ってることは全部言っちゃうの」タイプのデリカシーのなさと同列で語られてしまうようなチープな想像力なのだろうか。

時と場合によって、
私の立場が揺れ動いている。
足元がぐらついて、モヤモヤと考えている。

多分これって、受け取る人によって
異なるんだとわかっているけれど、
答えなんか出ないかもって思っているけれど
考えずにはいられない。

考えずにはいられないから、
答えが出なくても考える。
それでいいと今は思っている。


こんな風に難しいから普段見て見ぬふり
をしているような問たちが
この本には沢山取り上げられている。

いま、まだうまくまとめられないけれど
足場をグラグラにされたいな、と
いうタイプの方にはとてもオススメの作品だ。


▶ 『彼女が言わなかったすべてのこと』
     桜庭一樹さん著


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?