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変わらないことって、きっとある。

先月、大分に行った。
祖母に会いに。

忙しさを理由にもう約2年も会いに行けてなかったから、時間のあるうちにと思って、久しぶりに会いに行った。

祖母は今、介護施設にお世話になっている。
以前会った時は、元気だったけれど、会わない間に認知症が進み、目も見えなくなった。最近は精神的に不安定になることも多くて、記憶も曖昧になっていると聞いていた。
時折電話で話すと、声は元気そうに聞こえるけれど、足繁く施設に通っている母から聞く話がいつもあまりにも深刻で、だから私は、穏やかにいかなくても仕方ないなと覚悟してた。

そんな私の覚悟をよそに、久々に会った祖母は、私が手を握って「おばあちゃん、きたよ〜」と言うと、うわーんと号泣してくれた。
ひとしきりわんわん泣いて、笑って、そして凄く喜んでくれた。

とても嬉しかった。

祖母は、色々なことが分からなくなっていて、色々なことを忘れていた。

記憶も妙にすり替えられていて、「〇〇ちゃんはアフリカの人たちと一緒に日光東照宮に行ってスペイン語で立派な演説をしたんよね、もう拍手喝采じゃったわ〜」と何度も嬉しそうに言われたりもした(日光東照宮に行ったところまでは事実だけど、スペイン語は話せないし演説なんてしていない。何でそうなったのか分からなくて、ちょっと笑えた)。

でも、確かなことは変わらないんだなって思えたの。

祖母のお部屋の真ん中には、祖父のお仏壇が備えられていた。
小さなお部屋に、大切そうに、祖父の写真が飾られていた。

祖父は、私が10歳の時に癌で亡くなった。

優しくて、竹馬や駒を作るのが上手で、美味しいものを食べるのが好きで、私たちがお家に行く時は張り切って高いお肉を買ってきて、倹約家の祖母に怒られて、それでも呑気にけらけら笑っていた祖父。

そんな祖父が、私は大好きだった。

私は感情を表に出せない子どもだったから、病院でも、お通夜でも、お葬式でも泣けなかったけれど、祖父母のお家の和室で夜一人になった時、布団の中でこっそり泣き続けた。
まだ10歳だったけど、あの時の悲しさは、今でも鮮明に覚えている。

近くの公園で一緒に竹馬したなとか、猿を見に山に連れて行ってもらったなとか、弟を床屋に連れて行って角刈りにして楽しそうに笑ってたなとか(弟は泣いてた)、そんな思い出に浸りながら、私は祖父のお仏壇に、ゆっくり挨拶した。

「おじいちゃん〜」と呼びかける声を聞いた祖母は、「良かったねぇお父さん、良かったねぇ」とまた号泣して、私も涙が滲んだ。

色々なことが分からなくなっていても、祖母が、祖父を今も大切に思っていることは変わらない。
そう感じられて、それが、本当に嬉しかった。

余談だけど、もう一つ、変わらないなって思ったことがある。

倹約家で、株と貯金が趣味だった祖母は、色々なことが分からなくなっているのに、株価の話を振ると途端に顔がキラキラして饒舌になって、色々なことを忘れているのに、数字や税制度に関することは記憶力が抜群に良い。


大好きなものがある人生って、強い。

そんなことを、教えてもらったのでした。
ありがとう。

私の出身校とか私との思い出とか色々忘れているのに、私が結婚していないことだけはしっかり分かっていて、口癖のように「いつ結婚するんか」と急かすのは、出来ればやめてくれたら嬉しいけど、今のところは軽やかにスルーしておくね。

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