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ガンと言う病気発覚

もはや、興味のなかった”結婚”が、私の中では悩みのようになっていました。

ある時、友人に誘われて行った二丁目のバーで、なんでか忘れてしまったんだけど、友人が席を外した時に、私の結婚の話になりました。

そこで、なんとなく話してみたシロー丸の両親の事と悩みの種になってしまっていた結婚について、思いも寄らず背中を押してくれる言葉が返って来たのです。

「あんたさー、いいー?愛し合う事に親や形式なんて関係ないのよ!

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「そんな事言ったら、私達おかまなんて、結婚なんて一生出来ないんだから。でも、相手を信じて愛しているから一緒に居る。ただただ、一生一緒に居る。本当は、人間なんてそれでいいのよ。」

なんだか、トンネルから抜け出した気分でした。

別れるかという選択肢は、あまり考えてなかったけれども、そもそもこんな風になる前は、結婚という枠にとらわれていなかったわけだし、あんな暴言を我慢してまで、私だけが耐える必要はないんだ。

目を覚まさせてもらった私は、シロー丸に言いました。

「もう結婚という形にならなくてもいいや。でも、子供は欲しい。あなたの親の承諾を待ってられない。私だって30代も後半になるんだし。」

しかし、くそ真面目なシロー丸は、それじゃダメだと、自分はみんなに祝福されて結婚したいんだと、説得頑張るからもう少し待ってほしいと言い切りました。

そして結局また時間だけが流れ、私はどんどん子供を産むのが難しい沼へと追いやられて行きます。

ある日、会社で受けた健康診断の子宮頸ガンの疑いあり、大至急再検査をという一枚の紙によって絶望の淵に追いやられて行きました。

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そもそも、散々不調があって通院していたのに、通っていた病院では誤診されていて、全く違う病名を言われ、意味のない薬を2年も飲んでいたのです。

つまり、見落としされ続けて、やっと判明したらガンだったのです。

もう、人生一番の絶望で、毎日泣いていました。

子宮をとらなければいけないなら、もう子供も産めないんだ。

それはもう地獄でした。一度目の円錐手術では、もちろんガンは採りきれませんでした。

でも、本格的な開腹手術に向けて検査を進めて行くうちに、なんとか子宮をとらずに病変部分だけを切り取る手術が受けられるかもしれない。

そしたら、まだ子供を産める望みはあると言われたのです。

ただ、お腹を切って、予想以上に病気が拡がっていたら子宮をとらなくてはいけない。

でも、とにかくそれに賭けるしかありません。

そして、子宮頸部摘出術(トラケレクトミー)の手術に向けて、慌ただしい日々となりました。

そして、病気のせいで、会社もやめなくてはいけなくなりました。

独身、片親だから親にも頼れない、仕事も失った状態で闘病生活です。

もう本当に、自分の未来が全く見えなくなってしまいました。毎朝起きて、自分の置かれている状況を思い出すたびに、絶望する毎日でした。

さすがにそんな私の姿を一番そばで見ていたシロー丸は、ついに本気を出して、親に会いに行きました。

「今度は反対されようが、もう結婚するって言ってくるから!」

ありがたい話だけど、こんな状態で結婚する事になっても、全く喜べませんでした。

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結局、さすがに10年付き合って病気になった彼女を支える覚悟の息子を拒否できなかったらしく、しぶしぶシロー丸の親も結婚を承諾しました。

ギボはそんなシロー丸に、こうつぶやいたそうです。

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色んな事情で、手術後一ヶ月くらいまでに籍を入れなければいけなくなり、闘病と結婚と新居への引っ越しとで、本来だったら楽しいはずの新婚生活は、とにかく慌ただしい毎日となってしまいました。

もちろん子供のことは二の次。どうなるかわからない未来に不安いっぱいでした。


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