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運命の2択?

20代後半になっていたワシ。
ゴルフ打ちっぱなし、麻雀、自転車生活の終わりが近づいていた。
バブル経済が終了し、失われた30年が始まっていた時だった。
体調も戻り、就職雑誌で再就職先を探し始めて2カ月くらいが経過した。

イメージです

定期的にこういう雑誌を購入していると、絶えず社員募集をしている会社、
初めて見る会社、どんな仕事の会社なの?と思わず唸る会社などなど・・
見ているだけでも面白い時だった。
先物取引関係の会社は、絶えず社員募集をかけていたやうに感じていた。
数社気になった会社があったので、応募してみる事にした。
①通信事業者関係(親会社・子会社の2社)
②電気メーカー関係(A社・F社)
に4社ほど応募した。
通信事業者関係は、前職で携帯電話関連に多少知見を得たのが理由
電気メーカー関係は、部品メーカーから製品製造・販売へ興味を持ったから
そのうち、①と②の2社から書類審査が通り面接案内が来た。

単なる挿絵①
単なる挿絵②

②の方の物流部門の会社試験面接が先だった。その後①の会社もあった。
各社の筆記試験と面接が終わり、2日~3日後だったか②の内定通知が来た。
『もう1回面接しないの?』
と思ったが、悪い知らせでは無いので、ありがたく内定を頂く。
『まぁ~いいかぁ』
という感じだった。
①の会社からはさらに2日後に
『二次面接がありますので、お越しください』
という案内が来たが、欠席辞退することとなった。
先に内定をくれた②の会社に入社を決めたためであった。
この時、①も非常に気になっていたのだが、内定もらいつつ他社面接へ、
という掛け持ちというか、二股というか、非情に気が引けていた。
案の定、①の会社から再度面接の連絡が電話で直接来たくらいだったので、
『結論、急ぎすぎたかなぁ~』
と少しだけ思っていた。
携帯電話関連の仕事の方が、将来的には楽しそうだけど・・・
でも、物流業界もこの先面白そうなんだよなぁ~
といふ想いが交錯していたのであった。

気分転換の場所

この就職活動の合間に、気分転換の意味も込めて麻雀もしていた。
いつものリーチ麻雀店Sで遊んでいたのである。
試験終了後、スーツ姿で遊びに行った時はとても驚かれた。
そして良く一緒に打ってくれた方に、
『内定を頂いて、再就職することになりました』
と話をして、麻雀はしばらくお休みになると話をした。
その事を一緒になって喜んでくれた事がとても嬉しかった。
『一緒に打てなくなるは寂しいけど・・・』
という言葉が特に嬉しかった。
そして、夏の終わりに新しい職場へ気持ち新たに新生活スタート!!
本社でビジネス基礎研修を終えて、約1カ月現場研修に行かされた。

イメージ写真です

西日本の物流拠点があった、それなりの敷地面積がある工場へ。
この工場では、PCディスプレイや特殊な券売機などを製造していた。
製造現場なども一通り見学させていただけた。
プラズマディスプレイ製造工程は、職人的で驚きしかなかった。
工場の寮に仮住まい。平日は工場敷地内から出ない生活になる。
古い寮なため、部屋がかなり広かった。
高度経済成長期にも使用されていたためか、6人~8人畳部屋を、
ワシ1人で使用していた。
寮で布団とTVを用意してくれていて、ワシは事前送付段ボール1箱、
という感じなので、部屋はガラガラ。
西日本大震災の影響で、部屋の複数個所にひび割れがあった。

現場研修なので、毎日身体を動かしていて、健康生活そのもの。

実際に利用していました

ハンドリフトを使って、パレットに積まれた製品を動かしてた。
CRTディスプレイは重かった・笑
食事は、昼食は工場の食堂で安い。朝・夕は寮で食事。
お金をあまり使わない生活をしていた。
仕事が終わると、当日着用していた作業着を洗濯。
9月とはいえ、現場は暑くて汗でびっしょりだったからだ。

この研修の間にも給与が支給されたのだが、他に手当てが出た。
自宅から通えた場所での研修者は特に無い手当だが、
ワシは遠地研修という事で、約1か月で10万円ちょいの手当が出た。
これにはかなり驚いたのである。ワシ1人だけ(もう1人は辞退)
土日祝日は休みだったので、たこ焼き食べに行ったり、
前職の同期が関西赴任していたので、呼び出してご馳走してもらってた。
現場の方々にも良くしていただき、良い想いだけの研修期間だった。
何より、手当を沢山もらえたし・笑

この研修期間中に配属先が決定された。
ワシは、NHKニュースでよく映っていた場所を通っての通勤となった。

当時より少しキレイになってます

ほぼ毎日、ここを渡って通勤することになった。
東京の中心街で仕事をするなんて、正直思っても見なかった。
周囲の方々が、とても頭が良く見える感じがしたのを覚えている。

文中に関係がある挿絵です。

通勤時間は1時間20分程度だが、苦では無かった。
①前職ではもうちょい長かった時があった
②実家がかなり近くなった
という理由もあった。
遅くなると、自宅に帰らずに実家に帰っていたのである。
勿論、仕事を真面目にしていたのであるが・・・・麻雀もせずにね。
麻雀という言葉がスッカリ頭から消えて、マジメに働いていたのである。
そんな生活が半年近く続いた。
だが、そんな平穏な時間は長くは続かなかった。
そう、アレが徐々に近づいて来ていたのであった。
アレって・・・
そう、アレしかないでしょ・笑

ぷくぷく

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