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なぜ、異なる人種が交流するところに文明が生まれるのか、考えてみた

「異なる人種が交流するところに文明が生まれる」ことについて、何故そうなるのか考えてみた。
自分なりに3つの説と、最も寄与していると思われる1つの説を考えた。
最後に、そこから導きだされる、個人レベルで「より良く成長していく」ための考え方をまとめる。

そもそも、「異なる人種が交流するところに文明が生まれる」とは?

高校の時の倫理の先生が言っていたことで、今でもいくつか心に残っていることがある。そのなかでも一番強く残っているのが、「異なる人種が交流するところに文明が生まれる」

こんなことを言っていた、概要は以下。

紀元前紀元前2000-3000年にかけて、メソポタミア、エジプト、インダス、中国で、四大文明が生まれた。すべて大河の近くで生まれている。人間が生きていくためには水が必要で、様々な人種が川に集まった。様々な人種が交流することによって、文明が生まれた。
では、現在一番文明が発展しているところはどこか?そこはニューヨーク。各国から夢や成功を求めてNYに集まり、NYから最新の文化やファッションが発信されている。逆説的な証明として、異なる人種と交流をもたない閉鎖的な、例えば森の奥の部族たちは今でも電子機器を使わない生活をしている。

上記がすごく心に残っていて、じゃあそんな最先端な場所であるNYには死ぬまでには行きたいなぁと漠然と思うようになった。

上記の「異なる人種が交流するところに文明が生まれる」考えを更に強化する史実と出会った。それは「すごい物理学講義」という本のなかのミレトスの人たちの話。

現代の様々な学問の礎を築いたミレストの人たち

紀元前450年頃は「この世はどうやってできたか、できているか」はどこもかしこも様々な神話が信じられていた。
王様や特権階級の聖職者が言ったことを妄信的に信じる時代。
そんな時代にミレトスの人たちは、神話を疑った。誰かが言ったことを鵜呑みにするのではなく、「平等に議論を重ねることによって、共同体にとってより良い決断に到達する」、という方法を生み出した。この方法により、この世は粒子から出来ていることを仮説立てた。実際に粒子が観測されるのはそれから二千年ほど後。
この方法が現代の様々な学問の礎になっていて、今でも皆使っている。
そしてそんなミレトスという地は、貿易の要の街で、地中海の全域から貿易船がやってきて様々な思想が流通していたらしい!

上記のような史実から、「異なる人種が交流するところに文明が生まれる」は、確からしいものだと考える。

では、なぜ「異なる人種が交流するところに文明が生まれる」のか?
今まで考えてこなかったけど、考えてみた。

第一の説

まず考えた説が、「異なる人種が交配すると、より優れた個体が生まれる」、という説。
近親交配すると、病気持ちだったり遺伝子的に弱くて、遠い遺伝子と交配したほうが強い個体が生まれる、と聞いたことがある。
とはいえ、最も遠い遺伝子の両親の子供が優れた個体になるかと具体的に想像してみると、そんなことも無い気がする。なので、寄与はしてそうだけど、これが唯一の絶対条件ということでも無い気はする。

第二の説

次に考えた説が、「異なる人種が交流すると、課題が多く生まれて、その課題を解決する回数が多いため発展する」という説。
同じ界隈の人たちと生活を共にするより、異なるバックグラウンドを持つ人達と生活を共にする方が、課題が多く生まれるのは想像に容易い。その課題に対して解決をしていく回数が多いと、改善されてより良くなり、文明となり発展していくのでは。
とはいえ、同じ界隈や人種の人たちだけのコミュニティでも、課題が多い状況もあると思うから、、、これも関係はありそうなものの、唯一の絶対条件ではなさそう。

第三の説

次に考えた説が、「課題に対して、様々な解決策を持ち寄れることによって発展する」という説。
例えば、それぞれ異なる形の積み木を持っていて、「この場合は私たちのこの形の積み木を使おう」、が上手くハマり、積み重なって、発展するのでは。
異なるバックグランドを持っているので、様々な解決策を持っていそう。これもあると思う。

最も寄与していると考えた説

そんななか、個人的にこれが一番強く寄与しているのでは、と考えたのが、「異なる人種がいると自分の常識を疑える」という説。
例えば、冒頭のミレトスの話で、各国の人たちが神話を信じている時代に、「そんなことないんじゃないか?」と気付けるのは、様々な説を目の当たりにしたからではないかと。「この世の成り立ちについて、各国で色んな神話があるんだな、、なんだかアテにならないぞ」、と思ったのでは。
自分に置き換えて想像しても、生まれ育っていくなかで、周りの人が皆同じ神話を信仰していたら、自分も信じるし、そもそも疑う余地がない。そんななか、それを疑えるのは、全く別のバックグラウンドを持った視点に触れるしかない。
で、自分の常識を疑えると、「あ、こんな考えがあるのか」、「こんなやり方もあるのか」、と、どんどん、正しく、より良いやり方を取り入れられる。「第三の説の、様々な解決策を持ち寄れる」とも重なるけど、協力してより良いやり方を見つけられる。そうやって文明が生まれて発展するのでは。

第一から第三の説、それぞれ寄与しつつ、一番強く寄与しているのは「自分の常識を疑える」ことでは、と考えた。

個人レベルで「より良く成長していく」ために取り入れられること

上記の4つの説が、文明が生まれて発展する条件として、まぁ正しいと仮定して、、個人レベルでどう取り入れられるかも考えてみた。
自分とは異なる人種や環境、考えの人たち、およびその文化や常識、やり方に興味を持ち、積極的に交流したり、本を読んだりする。
その上で、自分の常識に意固地にならず、柔軟に取り入れる、かな。
歳を重ねると、経験からどうしても自分の常識ややり方に意固地になってしまうと聞く。ではなく、自分の常識を疑い続けて、柔軟により良いやり方を取り入れられたら、ずっと成長し続けられるのかも?

「自分の常識を疑え」を大事な言葉として持っておこう。

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