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ひとつなぎの木の下で(1)

*「お金からの開放」がテーマの短編小説です。今日から連日投稿いたします。よろしくお願いいたします。

1 プロローグ
 
 お話を始める前にまず私の経歴について簡単に触れておこうと思います。私は田宮秀一、40歳になったばかりの男性です。名古屋を拠点に15年ほどフリーのルポライターの仕事を生業(なりわい)としています。私が主に取材の対象にしているカテゴリは「お金」。ただ今後の経済の展望や資産運営などの取材というより、もっぱらお金に関するアングラな事件を取材することを専門としています。例えばドロドロとした闇金の世界や借金苦で自死してしまうようなお金にまつわる案件などを深掘りしていくのが私の専門です。ですので取材相手はあまり素行の良い人物ばかりではないことが多く、若い頃には危ない目にも遭うような危険な場所にも取材に行きました。ですが30歳も半ば過ぎになった頃からはそういったセンセーショナルな事件の成り行きも去ることながらそこに関わる人間の内面、とりわけ現代社会のお金に絡みついている泥臭い人の心に惹かれるようになっていきました。

 次に私には常に念頭から離れない人生における二つの重要な『問い』があります。この仕事を通してその答えを探しているのかもしれません。その問いの一つ目として、幼い頃の叔父の死が大きく関わっています。私には会社を経営していた叔父がいました。幼い頃の私にとってはとても良いおじさんで、いつも遊んでくれる優しい人でした。でも叔父の会社の経営が傾き始めたころから叔父は人が変わったように暴力的になっていったのです。殺伐としたその空気は幼い私にとっては恐怖でしかありませんでした。その叔父もその数年後、残念なことに自ら命を断つという選択をしました。身体は健康でまだまだ若かった叔父がなぜそのような選択をしたのかという疑問が何度も繰り返されて辛かったのを今でも鮮明に思い出します。
二つ目は闇社会の取材を重ねていくうちに、どうしてこのような酷い事件が起きるのだろう、なぜ無くならないのだろうか、そのような世界をネタに食べている私が言うのおかしいのですが、そんな思いが湧いてきました。現代社会はストレス社会とも言われて久しいですが、科学技術の発達が進むにつれて利便性が増し、食べることにも不自由することはほとんどなくなりました。それにも関わらず世界では戦争や争いは絶えず、どこかの国では飢えに苦しんでいる人がいます。豊かで恵まれているはずの世の中なのに、なぜかどことなく息苦しさがあるように思えてならないのです。このなぜ豊かな社会のはずなのに息苦しさを感じるのか?という疑問と先述した叔父の死を選んだ行動に対する疑問が重なり合い人生の『問い』として私の心に居座り続けていることがこの仕事にのめり込んでいった理由ではないかと私自身は考えています。
 
 
 この物語は私の主観を軸に、暗いトンネルを抜けたようなパラダイムシフト体験を記録した物語です。

つづく

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