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店長のフライパン哲学 1章

フライパンと独立自尊

フライパン倶楽部を運営することで、私の中で大きくなってきた存在が、4年間通った慶應義塾の創始者・福澤諭吉でした。 それは、自営業者に自分を置いたことで、福澤の著書にある言葉が胸に響いてくるのです。 やがて、福沢の教えである独立自尊が、今日にも通じることに気づいて参りました。 独立とは「自分で学び、自分で判断し、自分で決断する」それは、英語ではin-dependenceであり、誰かに依存しないこと、人任せにしないことでした。

国の独立は目的なりと説く「文明論之概略」岩波文庫 福沢諭吉著

すると、この独立のあり方は、お料理そのものの営みでもあり、あるいはお料理にそのベースがあるように思いました。 お料理とは、五感を駆使しながら思考を働かせていくこと。 自分の頭で考えることです。そして、最終的に、自分の味を自分で決断していく。 また、お料理することは自活、自立につながります。 ところが、便利なものが溢れている時代には、その価値が分かりにくい。 そこで、震災等に遭遇することで、その価値がようやく見えて参ります。

そして、お料理は、自分の味を追求していくことでもあります。 持ち味という言葉がありますが、それは自分らしさおよび個性が表出することでもあります。 そこにある美味しさとは、自分の味であり、自分らしさでもあります。 その自分らしさを求めることこそ、自分を大切にすることでもあり、そこに自尊があります。 「あなたは、あなたのままでいい。」しかも、お料理は、自分が食べることで自分の心身を養う、自分を大切にすることでもあります。

お料理は、独立自尊を実現する。その象徴としての道具が、今日ではフライパンでもあると思うのです。 自分の手で作る。その時に付随してくるのが道具であり、その一つがフライパンでもある。 基本的に、フライパンは一人の個人が向き合うものであり、複数で使うものではない。 ですから、自分一人で行える自由があるものの、その料理の出来栄えは自分で責任を負うこととなります。 すなわち、自由はあるが責任もある。それは生きる態度にも通じます。