見出し画像

圧倒される体験とその結果。

 私は創作する側に回ったのはかなりの遅咲きで、ずっと読者側のオタクでした。供給を受け取る側。消費する側、でした。創作を本格的に開始したのも、交流のいち手段であり媒体のような感じだったんですよね。同じ言語で好きなものを共有してはしゃぐ、というオタクらしい経験がしたい一心でTwitterを開始して、恐る恐る交流を…… という流れでした。もちろん絵を描くのは好きだったけど、人に見せられるレベルじゃないのはよく分かっていたので話の種というか、交流するために描いている部分が大きかった。そもそもオリジナルを描く力量もなかったですしね。そこからコンスタントに描くことで少しずつスキルはアップしていったけど、一般的なレベルとしてはまだまだで独りよがりなオナニーの域を出ることはなかったし当然反応なんて殆どなくてちょっと鬱屈もしてたんですよね。人に見せるつもりで描いてないんだから当然なんだけど、自分の好きなものを好きと言ってほしいし褒めてほしい見てほしいという感情が肥大化してたりもしてた。もちろんそれが独りよがりでただのわがままな感情ということも当然分かってたから表には出さなかったけど、ずっとそれなりにモヤモヤはしていて、迷走を続けていました。私は多分一般的な腐女子でもないし、二次創作オタクとも言えない中途半端な存在で、二次創作も二次創作とは言えないレベルで、自分でも『これってファンアート?二次創作?どっち?』って感じだった。別にそれは悪いことじゃないし、自分なりの作品に対する愛や好きを詰めているから満足はしていたけど、中途半端だからこそ響かないのかな⁇という迷いは常にあって、でも描きたいっていうジレンマと戦っていました。そんな中、退職やコロナ禍を経て少しずつゆっくりと心境が変化していったんですよね。どのジャンルに居ても居心地悪いというか、座りが悪くて、私って二次創作がしたい訳じゃないのかな?二次創作を読むのも見るのも好きだけど、別に自分が二次創作をしたい訳じゃないのかも?と思うようになった。(今更⁈)
その頃ハマっていたジャンルが鬼滅の刃と灼熱カバディという漫画で、どちらもものすごい勢いでファンアート描いてたんだけど兎に角焦燥感が強くて『私が描きたいのはこれなのか⁇見てほしいのはこれなのか⁇』と叫びたいような心境でした。前者の鬼滅の刃は有名過ぎる巨大ジャンルで、私のような中途半端な筆力の絵描きは埋もれて透明人間のような存在だったし、後者の灼熱カバディはジャンルの熱量がものすごく高くて私のようなレベルの絵や小説でもすごく好意的な反応を頂けたんだけど、どちらも『なんか違う!』という違和感があって、もう本当に『自分何したいん?』という心の迷走が激しかった。

 すごく往生際が悪いと自分でも本当に思うんだけど、ここに来てずっと蓋をしていた感情に、ようやく気付くことが出来た。これ!という強いきっかけがあった訳じゃないけど灼熱カバディのとある神回を読んだ瞬間にストンと胸に落ちた。ものすごい勢いのある回で、作者が魂削ってるんじゃないか⁇って感じの筆致に兎に角圧倒されたんですよね。その頃は単行本だけじゃ満足出来なくて、リアルタイムで漫画の行く末を追いかけていたからライブ感が凄くて魂を抜き取られそうな感じだったんだよね。(その頃の感想ツイートとか伏せったーのカロリーが自分でもやべーなと思うくらいにはヤバかった)

圧倒されるほどの漫画に出会った時に多分創作する人は分岐するんじゃないかな?と思った。作品の魅力や作品に対する想い、キャラクターへの愛を形にして発信したい人、誰かに薦めたい人は二次創作やファンアートに傾倒するんじゃないか?と思う。全ての人がそういう訳じゃないけど、二次創作が熱かった頃の私はそういう感じの創作者だった。

 でもずっとずっと、胸の中に燻っているような火種があることにも気が付いていた。烏滸がましいんだけど、本当に全然そういうレベルじゃないんだけど、私も『人を圧倒する側に回りたい』という欲求があって、それがずっと燻っていた。多分漫画家になりたかった頃の、自分だけの物語を作りたかった頃の欲求なんだよね。あの頃も『こんな漫画描いてみたい!こんな漫画を描いて誰かに読んで欲しい!』って思ってたから…… 自分だけの力量で自分だけの物語を出力して、自分じゃない誰かに発信したい、というのもまた創作者の欲求のひとつだよね、と気付いてからは少し楽になりました。そりゃ二次創作では満足出来ないよね?何故なら二次創作は自分の物語じゃないから。

そこからは開き直りつつ、一次創作への道を進むようになった。すごく今更だし、回り道も多かったし、相変わらず迷走してて自分が何を描きたいのか分からなくなって苦悩することもあるけど、少しだけ楽しくもある。二次創作ほどの熱量はまだないかもしれないけど、あの頃の渇いたような焦燥感は少し遠ざかったかもしれない……

 何故こんな文章を書いているかというと、そう思ったきっかけともなった灼熱カバディの神回を超える神回に再び当たったからです。もう研ぎ澄まされていて本当の本当にすごくて圧倒された。まだまだ成長して、進化していくんだ!という恐ろしささえあった。(なのに認知度がまだまだ低いのが悔しくもある!)また『私もこんな漫画描きたい!』と強く強く思った。もしかしたらその物語の強さに引き摺られて、またまた迷走を重ねるかもしれないし、自分が描きたいものを見失うかもしれないけど、『やっぱり私は私の物語を作りたい!』という軸の部分はブレないんじゃないかな?とも思う。

全然漫画と呼べるようなレベルじゃないし、殻付きのひよっこだし、漫画家になれるだなんて思ってないけど、地の底で這いながら漫画を描きたいなって思います。やっぱり漫画が好きだから。

漫画の神様、茨の道だけどひとつよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?