現代中国史 まとめ

現代中国史とは、一般に1911年の辛亥革命から現在までの中国の歴史を指します。この期間は、大きく以下のような時代に分けることができます。

中華民国時代(1912年-1949年)…辛亥革命によって清朝が倒され、中華民国が建国された。しかし、民国政府は国内の軍閥や外国の侵略に苦しみ、統一的な支配を確立できなかった。 1937年 に日中戦争が勃発し、 1941年 には太平洋戦争に巻き込まれた。 1945年 には日本が敗戦し、中国は戦勝国となったが、すぐに国共内戦が再燃した。

中華人民共和国時代(1949年-現在)…国共内戦に勝利した中国共産党が 1949年 に北京で中華人民共和国を宣言した。 1950年 には朝鮮戦争に参戦し、 1958年 には大躍進政策を推進した。 1966年 には文化大革命が始まり、社会は混乱に陥った。 1976年 に毛沢東が死去し、 1978年 に鄧小平が改革開放政策を開始した。 1989年 には天安門事件が発生し、民主化運動が弾圧された。 1990年代 以降は経済成長が続き、世界の超大国となった。 2008年 には北京オリンピックを開催し、 2013年 には一帯一路構想を提唱した。 2020年 には新型コロナウイルスの流行が発生し、世界に影響を与えた。

中華民国(台湾)時代(1949年-現在)…国共内戦に敗れた中華民国政府は 1949年 に台湾に逃れ、台湾を中華民国の領土と主張した。 1950年 には朝鮮戦争に参戦し、 1954年 には台湾海峡危機が発生した。 1971年 には国連から除名され、 1979にはアメリカとの断交を受けた。 1980年代 以降は民主化が進み、 1996年 には初の総統直接選挙を実施した。 2000年 には中国国民党以外の政党が初めて政権を獲得した。 2008年 には中国国民党が政権に復帰し、中華人民共和国との関係改善を図った。 2016年 には民主進歩党が政権を奪還し、中華人民共和国との対立が再燃した。

以上が、現代中国史の大まかな時代区分です。もっと詳しく知りたい場合は、引き続き以下をご覧ください。


中華民国時代

中華民国時代(1912年-1949年)について、政治、経済、社会、外交の側面から詳しく説明すると、以下のようになります。

政治

中華民国は 1912年 に清朝を打倒して建国されましたが、その後は軍閥の内戦や日本の侵略に苦しめられました。孫文が提唱した三民主義を基本理念とし、 1928年 に南京に国民政府を樹立しましたが、中国共産党との対立や日中戦争 で国力を消耗しました。 1947年 に中華民国憲法を施行し、蔣介石が初代総統に就任しましたが、 1949年 に中国人民解放軍に敗れて台湾に撤退しました。

経済

中華民国は 1912年 に建国された時点で、農業中心の経済であり、工業化や近代化は遅れていました。 袁世凱 時代には外国からの借款に頼ってインフラ整備を行いましたが、軍閥の分裂や日本の侵略によって経済発展は阻害されました。 国民政府は 1930年代 に 国民経済建設委員会 を設置して経済計画を策定し、鉄道や道路、水利などの公共事業を推進しましたが、日中戦争で多くの資源や施設を失いました。 戦後はアメリカからの援助を受けて経済復興を図りましたが、国共内戦で大陸の経済基盤を放棄することになりました。

社会

中華民国は 1912年 に建国された時点で、封建的な社会制度や思想が残っており、民衆の教育や福祉は十分ではありませんでした。  1919年  には パリ講和会議 での不平等な待遇に反発して 五四運動 が起こり、新文化運動や五四運動の影響で民主主義や科学的な思想が広まりました。 国民政府は 1927年 に国民教育法 を制定して普通教育を推進し、 1930年代 には文化事業や社会事業にも力を入れましたが、日中戦争で多くの人々が犠牲になりました。 戦後はアメリカからの援助を受けて社会復興を図りました。

外交

中華民国は 1912年 に建国された時点で、不平等条約によって外国の干渉を受けており、国際的な地位は低い状態でした。 1915年 には日本から対華21カ条要求を受けて屈辱的な譲歩を強いられました。 1917年 には第一次世界大戦に参戦し、戦勝国となりましたが、 1919年 にはパリ講和会議で山東省の権益を日本に譲渡されることになりました。 1928年 には国際連盟に加盟し、不平等条約の改正や関税自主権の回復などを目指しましたが、 1931年 には満洲事変が起こり、日本に満洲を奪われました。 1937年 には日中戦争が勃発し、アメリカやイギリスなどの西側諸国からの支援を受けました。 1941年 には太平洋戦争に参戦し、連合国の一員として日本と戦いました。 1943年 にはカイロ宣言で台湾の返還を確約されました。 1945年 には国際連合の原加盟国となり、安全保障理事会の常任理事国になりました。 1949年 には国共内戦に敗れて台湾に撤退し、国際的な地位を失いました。

中華人民共和国時代

中華人民共和国時代(1949年-現在)について、政治、経済、社会、外交の側面から詳しく説明すると、以下のようになります。

政治

  • 中華人民共和国は、1949年10月1日に中国共産党が中華民国政府を台湾に追いやった後、北京で建国宣言を行った社会主義国家です。

  • 中国共産党は国家の指導政党であり、党の最高指導者が事実上の国家の最高指導者となっています。現在の党総書記兼国家主席は習近平です。

  • 中国の政治制度は、人民代表大会制と呼ばれるもので、全国人民代表大会が最高権力機関とされています。しかし、実際には全人代は中国共産党の決定を追認するだけであり、民主的な選挙は行われていません。

  • 中国の政治は、1970年代後半から改革開放政策を推進した鄧小平、1990年代から2000年代にかけて経済発展と国際関係の安定化を図った江沢民と胡錦濤、2010年代から強権的な指導と国家主義的な外交を展開している習近平という三つの時代に分けられます。

  • 中国の政治は、人権や民主化、台湾や香港・マカオ・チベット・新疆などの地域問題、環境問題、腐敗問題など、多くの課題や対立を抱えています。また、米中関係の悪化や新型コロナウイルスの発生など、国際社会との関係にも影響を受けています。

経済

  • 中華人民共和国は、1970年代後半から市場経済の要素を導入し、労働集約型の製造業を中心に高度な経済成長を遂げてきました。

  • 現在の中国の経済規模は、名目GDPで世界第2位、購買力平価で世界第1位になっています。一人当たりの所得も上昇し、世界銀行の定義では「高所得国」の入り口に立っています。

  • 中国の経済は、国有企業や公的部門が優遇され、民間部門や外国企業が制約を受けるという不均衡な構造になっています。また、環境汚染や資源枯渇、人口減少や高齢化、所得格差や貧困など、持続可能性に欠けるという問題も抱えています。

  • 中国の経済は、2020年代に入ってから米中貿易戦争や新型コロナウイルスの影響を受け、成長率が低下し、外国からの投資や輸出に依存しない国内消費に重点を置くようになっています。また、一帯一路やデジタル人民元など、国際的な影響力を拡大するための取り組みも行っています。

社会

  • 中華人民共和国は、1949年の建国時に約5.4億人だった人口が、2020年には約14.1億人になり、世界第2位の人口大国になっています。

  • 中国の社会は、1950年代から1980年代にかけて一人っ子政策を実施し、人口増加を抑制しましたが、これにより人口構造が歪み、高齢化や男女比の不均衡、少子化などの問題が生じています。

  • 中国の社会は、改革開放政策により経済発展と都市化が進み、生活水準や教育水準が向上しましたが、同時に都市と農村、沿海部と内陸部、富裕層と貧困層などの間に大きな格差が生まれました。

  • 中国の社会は、伝統的な儒教や仏教などの文化と、社会主義や共産主義などのイデオロギーとの融合や対立が見られます。また、少数民族や宗教信者などの多様性を認めず、漢民族や無神論者の優位性を主張する傾向があります。

外交

  • 中華人民共和国は、1949年の建国後、ソビエト連邦や東側諸国と同盟し、朝鮮戦争や中印戦争などに参加しましたが、1960年代に中ソ対立が起き、孤立化しました。

  • 中国の外交は、1970年代にアメリカや日本などの西側諸国と国交を樹立し、国際連合に加盟し、国際社会に開放しましたが、1980年代に天安門事件が起き、人権問題で非難されました。

  • 中国の外交は、1990年代から2000年代にかけて、経済発展と国際協調を重視し、アジアやアフリカなどの途上国との関係を強化し、多極化や多国間主義を支持しましたが、台湾やチベットなどの領土問題で対立する国もありました。

  • 中国の外交は、2010年代から習近平政権の下で、国家主義や強権主義を強め、一帯一路や人工島建設などの戦略的なプロジェクトを推進し、米国や日本などの先進国との競争や対立を深めました。また、新型コロナウイルスの発生や香港の国家安全法の制定などで、国際社会からの批判や制裁を受けました。

中華民国(台湾)時代

中華民国(台湾)時代(1949年-現在)について、政治、経済、社会、外交の側面から詳しく説明すると、以下のようになります。

政治

  • 中華民国は、1949年に国共内戦で中国大陸を中国共産党に奪われた後、台湾とその周辺の島々に撤退しました。

  • その後、中華民国は蔣介石とその息子の蔣経国が率いる中国国民党による一党独裁体制を敷き、長期の戒厳令や白色テロなどの弾圧を行いました。

  • 1970年代から1980年代にかけて、台湾では民主化運動が高まり、国民党の対抗勢力として民主進歩党が結成されました。

  • 1987年に戒厳令が解除され、1988年に蔣経国が死去した後、李登輝が総統に就任し、政治改革を推進しました。

  • 1996年には初の総統直接選挙が実施され、李登輝が再選されました。その後、2000年には民進党の陳水扁が総統に当選し、国民党の長期政権が終わりました。

  • 2008年には国民党の馬英九が総統に当選し、中華人民共和国との関係改善を図りました。しかし、2014年には学生らが国会を占拠する太陽花学運が起こり、馬英九政権に反発が強まりました。

  • 2016年には民進党の蔡英文が総統に当選し、中華人民共和国との関係が悪化しました。2020年には蔡英文が再選され、中華人民共和国の圧力に対抗する姿勢を強めました。

経済

  • 中華民国は、1950年代から1960年代にかけて、アメリカ合衆国の支援や日本との貿易などにより、高度経済成長を遂げました。

  • 1970年代から1980年代にかけて、中華民国は工業化や輸出志向型の経済政策を推進し、アジア四小龍の一角として発展しました。

  • 1990年代から2000年代にかけて、中華民国は経済の多様化やサービス業の拡大を図り、知的財産権の保護や環境問題の対策などにも取り組みました。

  • 2000年代後半から2010年代にかけて、中華民国は中華人民共和国との経済交流を深め、両岸経済協力枠組協議(ECFA)などの協定を締結しました。

  • しかし、中華人民共和国との経済依存度の高さや所得格差の拡大などの問題も生じました。2010年代後半から2020年代にかけて、中華民国は新南向政策などにより、東南アジアやインドなどとの経済関係を強化しようとしています。

社会

  • 中華民国は、1949年に台湾に逃れた国民党政府と、日本統治時代に台湾に住んでいた台湾人との間に、政治的・文化的・社会的な対立がありました。

  • 1950年代から1960年代にかけて、国民党政府は台湾人の言語や文化を抑圧し、中国大陸の文化や歴史を強制的に教育しました。

  • 1970年代から1980年代にかけて、台湾人のアイデンティティや民主化を求める運動が高まり、国民党政府との衝突が起こりました。

  • 1990年代から2000年代にかけて、中華民国は政治改革や教育改革を進め、台湾人の言語や文化を尊重するようになりました。

  • 2000年代後半から2010年代にかけて、中華民国は社会的な多様性や包容性を重視するようになり、女性や少数民族の権利や地位の向上に努めました。

  • 2010年代後半から2020年代にかけて、中華民国は同性婚の合法化などの進歩的な社会政策を実施し、アジアで最も自由で開放的な社会の一つとなりました。

外交

  • 中華民国は、1949年に国際連合の常任理事国でしたが、1971年に中華人民共和国にその地位を奪われ、国際連合から脱退しました。

  • その後、中華民国は多くの国との国交を断絶され、現在は13の国とのみ正式な外交関係を持っています。

  • しかし、中華民国は非公式な外交関係を通じて、アメリカ合衆国や日本などの主要国との経済・安全保障・文化などの分野で協力を続けています。

  • 中華民国は、中華人民共和国との関係において、「 一つの中国 」原則を拒否し、台湾の主権と民主制を守る立場をとっています。

  • 中華民国は、中華人民共和国の軍事的な威嚇や外交的な孤立に対抗するため、アメリカ合衆国や日本などの友好国からの支援や連携を求めています。

  • 中華民国は、東南アジアやインドなどの新興国との関係を強化するため、新南向政策などの外交戦略を展開しています。

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