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わたしとおふろ

初めまして。ふろりんごです。

約10カ月前から都内のとある銭湯の受付でアルバイトしている22歳のフリーターです。

大学を少し早く卒業して、お風呂以外の時間は東京の街を探検しつつ、一癖あるバッグのブランドを運営しています。そちらも覗いてみてもらえたら嬉しいです!が、ここではお風呂での人々との記憶を綴っていきたいと思います。

ひとまず、お風呂屋さんで働かせてもらうに至る私の銭湯偏愛歴を振り返ってみたいと思います。初めてのnoteなので、読みにくいこともあるかと思いますがお付き合いいただけたら嬉しいです。

きっかけは実家の落ち着けないお風呂の改修工事

私が初めて意識的に銭湯とふれあったのはたぶん小学5年生の時。
私の実家は京都で古くから商売をしていて、なんか知らんけどその当時、
お風呂場の透かしガラスが、社員さんの通用路に面していた…!
だから社員さんが残業してはる時は、ほんとに息を潜めて入ってた記憶があります…

脱衣場もなく直接その通用路に出られる扉もあった気がする。
あれは犬の足洗い用だったのか?
はたまた昔はよく社員さんもお風呂に入って帰ってはったらしいので彼らの出入り用だったのかもしれません。
何かの間違いで開いちゃったらえらいこっちゃ案件…

思春期に差し掛かる私たちを想って、2011年にそんな問題風呂の改造が始まりました。
それで完成までの間私たちは銭湯に通っていたのだと思います。

(その日々のことは実はあまり覚えていませんが、
確実にきれいで明るくて、何よりオーナーファミリーの魅力溢れる最寄銭湯が私と銭湯を結び付けてくれたのだと思います。)

(毎日番台でお支払いする度に母が
「あんたが小学生(確か入浴料90円)のうちにしてほんまによかったわあ」
と呟いていたことだけ鮮明に覚えています。確かに…)

振り返ってみたらめちゃ好きやん

リフォームによって社員さんの通用路と私たちのお風呂は分厚い壁で隔てられ、壁のこちら側はピカピカで、なんとミストサウナまでついて、とっても快適な空間になりました。
でも記憶にもないような数カ月の銭湯ぐらしは知らぬ間に私の銭湯愛を醸成させてくれたみたいで、

中学・高校生の時は定期テストが終わるたびに仲いい友達と待ち合わせて何時間もお風呂でしゃべって、うるさすぎて常連さんに注意されつつ銭湯マナーを覚えたし、

高校で友達0のクラスで初めてのスピーチ的なのでも I love Sentoって言った記憶あるし、

短期留学してたタイの授業で作った新聞?にも銭湯のことを書いてたし、

写真探したらあった!右下が私の書いた記事「日本人の健康の秘訣・温泉」
科学的・社会的な銭湯・温泉のメリットを語ろうとしてる(笑)

うちに留学生が泊まりに来る度にちょっと引いてる彼女らを銭湯に案内して、銭湯ファンにした自負有!

大学で上京した時も、銭湯ではないけど寮に大浴場があったおかげでたくさん友達出来たな~。

「ここで働かせてください」

そんな地味に銭湯大好きな私が銭湯でアルバイトを始めたのは今から約10カ月前。

その少し前頃、私はちょっといろんなことがしんどくて、抱えまくってたいろんなことを一旦休止させてもらってた。
それこそどんな風に毎日過ごしてたかあまり覚えてないけど、「大丈夫やで」と自分に言い聞かせるだけで必死だった日々だった気がします。
一人暮らしをしていた部屋から出るのもしんどかったけど、なぜかやっぱり、銭湯には行けてた。

銭湯通いの甲斐もあり少しずつ前を向けるようになってきた頃。
これからどうやって生きていこう、とか考えながらその日も銭湯に行ってた。
だって銭湯は心身の健康に欠かせないことが分かったけどもう大人料金やしここは東京やし、たくさんしてたバイトも休んでてこのままだと銭湯破産しそうやったから!

と、ふと受付を見たら
同世代の女子が働いている!!

え、!ってなってお風呂に入りながらいろいろ考えた。
いや、もうこれは、…🌀………….

それで、帰り際には受付のおじさんに、
「アルバイトとかって、募集されてませんか」
って聞いてた。


長く、多少重くなりましたが、これが私が銭湯の門戸を叩いた経緯です。

この日から約10カ月、心も身体も温め続けてもらって、その温もりを他の人にもシェアしたい!と思うまでになりました。

そんな小さなエピソードをこれから綴っていきたいと思います。
最後まで読んでくださった方がいたら、ありがとうございました!♨

次以降は気楽にぽんぽん書いていけたらと思います。
どうぞよろしくお願い致します♨


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