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陰日向

自分という存在こそが、実は最も見えにくいのではないか。

8歳のころ鏡に映る自分の顔を見てふとそう思った。目の前に移るこの子のことを私は一体どれほど分かっているのだろう、と。

以来、自分について考えてきた。探って生きてきた。なかなか解明までは遠く、いまでも新たな自分を見つけることがある。思いがけないことで、自分自身を謎解くことがあったりする。

今年、私は自分について大発見をした。


昨年ちいさな土地を買った。そこにちいさな家を建てることにした。

家を建てるのは(もちろん実際には大工さんが建てるのだけれども)とても大変なことだった。しばらくの間は図面とにらめっこする日々が続いた。

完成したと思った図面もじっと見続けているとなんだかぞわぞわしてくる。さらにじっと見続けると「あぁこのほうがいい」と変えるべき部分が見つかる。その繰り返しだった。建築に明るいわけではないから地道に時間をかけて図面と向き合う。これでよいと思わずに毎日欠かさず図面を広げる。
文章を書くのと酷く似ていた。

最も頭を悩ませたのは、窓だった。

当初、漠然と明るい家が良いと思っていた。なのでそう伝えたら出された図面には南西におおきな窓が掃きだし窓が二つあった。南東にも腰窓を置き、これで一日中明るいはずだとのことだった。

明るいのなら素敵なことだ、と思ったものの、なんだか気にかかった。なにがどう気になるのかはわからない。しっくりこないかんじが消えないまま間取りの打ち合わせは進んだが、途中、南西だと思っていた方角が思ったよりも西向き(つまり西南西だった)だと判明し、西日の暑さを懸念して結局おおきな窓を一つに減らした。

明るさはほぼ、半減した。

アパートの薄暗い部屋でじめりとした布団に横になりながら、これでよかったのだろうか、と考えた。何度拭いても窓枠に浮かぶ黴や、湿気でべたつく廊下が、嫌いではなかったか。SNSを見てもカタログを見ても、あえて暗い家にするなど見たことがない。いまの窓ガラスは性能が高いから西日の暑さも幾分か防いでくれるだろうに。

これでよかったのかどうか何度も思う。心配もする。
でも、おおきな二つの窓から日がたっぷりと差し込むだろうあの図面を思い出すと、なんともいえない不安が襲った。
西日は怖い。これで、よいのだと思う。

そうしてこの春、我が家の家は出来上がった。

こじんまりとした白い家だ。淡い色のフローリングが狭い部屋を広く見せてくれている。

窓を一つ減らしたためにリビングの一角には日の当たらない場所が出来た。ほんのちいさな三畳ほどの畳の場所。そこは、一日ずっと仄暗い。

***

そういえば、私は中学生のころ図書室に入り浸る生徒だった。とくに友達がたくさん欲しいとは思わない質だったので休み時間はただ退屈で、自然と図書室でばかり過ごすようになった。本はもちろん大好きだった。昼休みの時間全部をつかって1冊選んで借りて、その日のうちに読んで次の日にまた1冊借りた。図書室はいつも人がすくなくてシンとしていた。

高校では図書委員になり、やはり昼休みにはお弁当を持って図書室にいきそこで過ごした。夏期休暇には学校近くの市立図書館にいった。眩しい夏の日差しが図書館のドアのなかまで入ることはなくて、そこは本のつまった洞窟に踏み込むような感覚がした。

大人になっても図書館好きはかわらなかった。とくに何十年も昔からあるような古びた図書館に惹かれがちだった。仕事の休みの日にそういう図書館にいって過ごすのはとても心が落ち着いた。

図書館が好きな理由について、私は本が好きだからという以上には考えてこなかった。本は本当に大好きだから。

でも家を建てたいま、ようやくわかった。
日の当たらないたった三畳の畳に座ってつくづくわかったのだ。

私は陰が好きなんだ。
陰を求めて生きてきたんだ。

図書館はいつも陰にあった。
本を日に当てるのはよくないのだから考えてみれば当然だ。校舎の陰。建物の陰。日差しから隠れるみたいな場所に、図書館はある。


数年前、物を書きたいと思ったとき私はなにを書きたいのだろうと考えた。考えて、書きたいのは「光」だと思った。か弱かったり強かったりちいさかったりおおきかったり、いろいろな光を書きたいのだと思った。光を書くことが私自身や誰かの希望になるような気がしていた。

でもいま思えば私にずっと寄り添ってきたのは「陰」だった。陰の濃さを見て光の眩しさを感じていた。じりじりと晒される光のなかで、陰のひんやりと静かな心地よさをいつも救いにしてきた。

日差しのたっぷりとしたあの図面に怖気づいたのはそういうことだったのかと今さらながら納得した。陰のない場所では落ち着かないのだ。

このごろは図書館にも陰はあまりない。新しい図書館はどこも明るくひらけている。図書館じゃなくてもあらゆる場所が明るくなってきているように思う。私が家に陰をつくったのは、無意識ながら必然だったのだろう。


「陰が好き」

たったこれだけのことに気づくのに何十年もかかった。

自分のことは本当に見えないしわからないと心底思う。でもこうして一つ一つ謎解きのように自分を知ることは、生きる楽しみだとも思う。

夏は、ようやく終わろうとしている。
窓を開けて冷えた畳に寝そべる。本を広げて読みながら日陰で微睡む。
ここは理想の家。
私の家の愛しい陰。

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