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山田は山田の場所で、古橋は古橋の場所で生きょ #7



 読み終えて、感嘆してしまうたぐいの本がある。年を重ねるごとに、読み方や感じ方が変わってくるもの。夏目漱石の『こころ』も、そのうちの一つ。〈明治の精神〉と、西洋個人主義との間で揺れ動き、衰弱していった知識人の思い。拠り所がない新たな時代、人々が順応していったことで、ぽっかりと浮かばれてしまった知識人のやりきれなさ。あいまいで行き場のない、不安定な日本人の精神を、鋭い文章で描ききった作家が、夏目漱石という人だと思う。


 初めて読んだのは高校生のとき。現代文の授業で取り上げられたのだ。もちろん当時は、漱石の背景を理解して読解していたわけではなかったから、「あんまりおもしろくないなあ」と思っていた。だってよくある話だし。男ふたりが女を取り合い、もつれて、最終的にはどちらも死んでいく話。ありふれていて、シンプルすぎるよなあ、と思っていた。中学生の時に読んだ、『坊ちゃん』とか『草枕』のほうが、よっぽど知性を感じられるような気がした。けれども大人になって読み返してみて、やっぱり『こころ』が格別にいいことに気づく。『三四郎』より『門』よりこれだなあと思う。
『こころ』が連載されたのは、1924年。ちょうど100年も前の小説ということになる。それなのに、100年後の自分にもこんなに染み渡ってくることに、なんだか驚いてしまう。100年後、きっと逢いに来ますから、と『夢十夜』の女は言ったけれど、あれは漱石から令和の人間に向けての言葉だったんじゃないかとさえ感じてしまう。

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