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引っ越しの夢


    この家に引っ越して9年になる。 当たり前だが私もここで9年歳をとった。早い。前に住んでいた家には10年ほど居て、ほぼ同じくらいの時間なのに、最初の10年のほうがずっと長く感じる。年をとればとるほど時間の感覚が短くなるとはよく聞く話だが、それはやっぱり本当だ。


 以前住んでいた家は街に近くて便利だったが、とにかく手狭で、物作りをしている夫は広い仕事場を欲しがっていた。古くてもいいから車を買って、もう少し郊外の静かな場所に引っ越すというのが当時の夢だった。ちょうどチェンマイの街がどんどん郊外へ広がり始めていた頃である。 

    何年かは運動がてら、自転車をこぎながら目星をつけたエリアをうろうろと見て回っていた。こんなタイの木造民家に住んでみたいだとか、この辺は緑が多くて気持ちが良さそうだとか、よその家を眺めて羨ましがっているばかりだったのだが、10年目にして、具体的な引っ越し候補の幾つかが、突然現れた。何をするのも遅い私だが、動く時がきたら嵐に巻き込まれるようにして一気に動くことがある。


 引っ越し先の候補は3軒あった。一か所は、駅方面だったから希望する地域から大きく外れていて即脚下となった。一応、見せてもらったら、木造平屋の、庭にラムヤイ(龍眼)の木が木陰を作る、居心地の良さそうな家だった。

 2軒目の候補は、タイ人の古い知り合いからの紹介だった。ある日突然電話がかかって来て、近所の貸家が空いているから住まないかというのだ。もうずいぶん長いこと会っていなかったのに、急に連絡がきたことを不思議に思ったが、立地は希望のエリアだったので、とりあえず夫と見に行ってみることにした。
 知人のバイクについていくと、風景がどんどん田舎っぽくなっていく。くねくね曲がった田舎道のカーブに抱かれるようにして、ぽつんとその家は建っていた。
 知人が大家さんに電話をかけて、家の鍵を開けてもらった。
 家の中は暗く、一歩入ると、壁や床にところどころ黒い染みがあるのが目に入った。そのせいで、ボヤでも起こしたのではないかというほど荒んで見えて、なんとなく部屋全体が暗いというよりは黒っぽく感じた。床のコンクリートはどうやったらこうなるの?というほどひび割れて、一部えぐれている。家の前に置かれた赤いソファーには穴が開いて、中の綿やバネが飛び出している。前の住人の物がめちゃくちゃに残されているというわけではないが、ビール瓶と煙草の吸殻が散らかっているのも気になった。大家さんは何も言わないが、前に貸していた時には、不良のたまり場になっていたのかもしれない。
   大家さんは穏やかそうな感じの良い人で、最初の月は3,000bでいいですよ、もし気に入って住み続けてくれるなら月々4000bです、と言う。相場よりかなり安い。
 2階も広かったが、同じように傷んでいた。奥に小さな部屋があって、大きな棚に仏像がたくさん並んでいた。道沿いに窓があり、その部屋だけが明るく綺麗に保たれていた。タイでは、一番いい部屋に仏間を作るお宅がよくある。大家さんの仏像コレクションだというが、大家さんはこの家に住んでいないのに、どういうことなのだろう。もしここに住んだとしたら、この部屋はそのまま仏間にしておかなければいけないのか。うーん。
 広さは2人で住むには十分だった。仕事場のスペースもありそうだし、かなり手を加えなければいけないが、綺麗にリフォームすればそれなりに見違えると思った。何より良かったのは、裏が田んぼに接していて、見晴らしがいいところだ。その時期はちょうど田植えが終わったばかりで景色も良かった。当時住んでいた家が窮屈だった私たちには、田んぼの開けた風景は、かなりポイントが高かった。
 しかし、ここが長年探していた家なのかどうかというと、自信がない。状態が良かったら即決したかもしれないが、なにしろ傷みが激しすぎた。ところが、迷っているのは私だけで、広い仕事場を切望していた夫は引っ越す気満々で、その場で大家さんに最初の家賃を払おうと言い出した。夫がそこまで言うならまあいいかと思ったが、あいにく持ち合わせが足りず、大家さんからは後日でいいよと言ってもらって、その日は家に帰ったのだった。

 その夜、私は夢をみた。
 あの家の黒い部屋で、中年の少しぽっちゃりした女性が、もうこれ以上ないというほど悲しそうに、顔も鼻もぐしゃぐしゃになって号泣しているのだ。何か私に訴えているようでもあるが、ただただ泣き崩れていて、私もその悲しさで胸が押しつぶされそうになって、目が覚めた。
 夫も起きていて、ベッドに腰をかけていた。
 あの家はやっぱりやめておいた方がいい気がする、と言ったら、あんなに乗り気だった夫も、そう思っていたところだと答えた。


 それから数カ月して、今度はふだんから仲良くしている友人夫妻が、別の物件を紹介してくれた。
   ただし、その家はこれから建てるところだという。

 一緒に建設予定の土地を見にいくと、空き地にノウゼンカズラや楮の木が生い茂り、裏には用水路が流れていた。両隣も空き地で、紹介してくれた友人夫妻も、来年か再来年になれば隣に家を建てる予定だという。

 私たちはその家が完成するのを待つことにした。
 待っている間に、長年こつこつと貯めたお金でおんぼろのピックアップトラックを買った。日本ではもう走ってない型落ちもいいところだが、こちらでは部品が手に入れやすく、何度でも修理ができるのが良かった。
 約半年後、そのトラックで何往復もして、新しい家に引っ越した。
 この家の大家さんはテキスタイルデザイナーだが、解体された民家のレトロなドアや窓などを趣味で買い集めていて、それらをうまく組み合わせたこの家は、新築なのにどこか古民家のようなあたたかみがある。大家さん自身は街に近い場所に家があり、まだまだここに住む予定はないので、代わりに貸りてくれれば、ということだった。

 木をふんだんに使ったタイの古民家風の家を、私たちは一目で気に入った。 
   しかし、この家には窓がやたらに多い。窓枠のコレクションをできるだけ使おうとしたのかもしれないが、それにしても、2階の小さな寝室には窓が5つもあり、階段側の壁にも網戸の入った窓枠が並んでいる。つまり、壁3面が窓みたいなデザインなのだ。オープンな性格の大家さんらしい発想だが、ある程度プライバシーがほしい私たちには、それらの窓を全開にする勇気はないし、蚊やトカゲなどの生き物が入ってくるのも気になる。とはいえ、それなら好きな窓だけを開ければすむ話だ。収納がないとか、どの窓にも網戸がないとか、いろいろ問題は出てくるが、そんなことはタイならどこの家にもつきものだろう。       かくして、新しい家での暮らしが始まった。

 初めてその家で寝た夜、私はまた夢をみた。   
   家の西側に生えている大きなタマリンドの木の梢から、さらさらと木漏れ日が降り注ぐ、昼下がりだった。私は2階にいて、奥の寝室の前に立っていた。すると、5つもある窓の一番手前の、タイによくある木製の両開きの窓が音もなく開いて、そこからやわらかい風とともに、男の子がひょっこりと顔をのぞかせた。
 10才にならないくらいの男の子の顔は、緑がかった褐色で、アーモンド形の澄んだ大きな瞳が輝いている。だれかは思い出せないが、タイ人の知り合いにこんな顔の人がいたような気もする。男の子は窓枠に立つと、そのまま部屋の中に飛び込んできた。そして、とんと床に着いた瞬間、ふわっと消えた。笑いもせず、声も出さず、ただ綺麗な目だけが強く印象に残った。怖くはなかった。


 新築だった借家も、9年が経つと本物の古民家の趣が出てきた。住んでみると、蛇やネズミが入ってくるし、雨漏りはするし、やっぱり収納がないと不便だし、それはいろいろあるけれど、それなりに愛着もある。大家さんも隣の友人夫妻も良くしてくれて、安心感があるところが何よりも気に入っている。

 あの男の子はどこにいったんだろう。あの日以来、夢に出てきたことはない。その寝室は、今は収納部屋になっていて、資料の紙束やら写真のフィルムやら、ついつい増えてしまう布やら、言ってみれば私の趣味のガラクタが、衣装ケース7箱くらいに無造作に詰め込まれ、積み重なっている。5つもある窓のひとつも開けない完全な物置と化しているのに、どこから入ってくるのか、タマリンドの葉が、いつも部屋の隅に積もっている。 


 

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