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祖母の黒い服 #3

 小学生の時のある冬休みの夜のことだ。祖母が古い白黒写真や硝子製のネガを出して見せてくれたことがあった。どこに閉まってあったのかと思うほど、たくさんあった。その内の一枚をそっと手に取ってみた。光沢のない銀塩のモノクロ写真は、斜めに傾けると、表面が金属のように鈍く光った。それから、透明な硝子乾板を窓の明かりに透かして見ると、白黒の反転した、着物を着た人々の物調面が一斉に私に迫ってくるような、奇妙な感覚を呼び起こした。

 娘時代の祖母の写真も数多くあった。なかには当時の私と同じ、10歳くらいの年頃の写真も1枚あった。大正時代、袴を履いた女学生姿の祖母は、立派な日本家屋の玄関前で大きな犬と写っていた。

 長い髪をお下げに結った二十歳前ごろの祖母が、ふわりとにじむランプの灯りで読書をしているという、いかにも「乙女らしさ」を演出した写真もあった。着物姿が多かったが、洋服を着た写真では、セーラーカラーのワンピースにクローシェ帽を目深に被り、薔薇を見つめ、横向きにすましたポーズをとっている。地元では洋服を着る人が少ない時代だったというが、祖母は洋服が大好きだった。

 写真の中のすました娘さんと、目の前のやや太ったしわくちゃの祖母が同一人物だということがどうにも納得できず、「似てない〜」と言って大騒ぎした。

 明治39年、祖母は小さな城下町の武家屋敷に生まれた。祖母の父は地場産業の藍染の染料となる「すくも」や砂利を運ぶ海運会社の設立に関わっており、祖母は好きな時に会社の船に乗って大阪や神戸に出かけることができた。
「お嬢さん」と呼ばれていた祖母だったが、若い頃はおてんばで、女学校の裁縫の宿題は女中さんに任せておいて、自分は城山の斜面を駆け上ったり、貝塚の辺りでピカピカ光る黒曜石を探したり、外で遊ぶのに夢中だった。水泳が大好きで、夏はいつも海へ泳ぎに行くので真っ黒に日焼けしていた。写真の中には、おしとやかに着物を着ているのに日焼けして鼻の頭が黒光りしている、さも健康そうな笑顔の1枚もあった。 

 海で撮影された写真は、印画紙自体が若葉のような薄い緑色に染められていて、そこにモノクロームの海辺の風景がプリントされている。写真の中の祖母は、友人と2人で白いビーチガウンをまとい、日傘を指して海の方を向いている。水着は赤に限ると言っていたから、この日の祖母の水着はきっと艶やかな赤だったはずだ。


 写真を撮ったのは祖母の兄だった。帝大に進学するほど学問もあるうえ、武術も習っていたそうで、祖母が無作法なことをするとすぐに投げ飛ばされたという。その一方で、当時は高級な趣味であった写真に凝るような一面もあったようだ。祖母をモデルにした写真の多さから、活発な祖母は、この兄から可愛がられていたのかもしれないと私は思った。

 大学生になって写真を撮ることに夢中になった私は、下宿先の狭い一間の部屋を暗室にして現像をするようになった。冬休みに実家に帰省したときにあらためて祖母の古い写真を見直してみると、祖母の兄が純粋に写真を好きだったことが感じられる一枚があった。
 障子を開けた縁側から差し込む光が畳に落ちて、その逆光に一匹の猫が鎮座している。ただそれだけの静かなスナップ写真なのだが、日本家屋独特の陰影が切り取られていて、もしその場にいたら、きっと私も撮っていたと思った。写っているのは100年も前の猫なのだが、そこに焼き付けられた美しい光に感動する心に時代の隔たりはなかった。


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