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"恥"という感情~"罪悪感"、、なのか??

どーもー、ふっしーです。

人間って、ポジティブなことよりネガティブなことのほうが覚えてるって言いますよね。それで私も、今でも覚えてる嫌な思い出っていくつあるんだろう?と思って書き出してみました。そしたら昨日書いたように”根に持ってますリスト”ができたんですけど、

内容を見てみると、
” 悲しみ ” ” 怒り ” の他に、” 恥 ”の感情が多くあることに気づいたんです。
”恥”って、、、、何??

羞恥心(しゅうちしん、: shame)、(はじ)、恥じらい(はじらい)とは、対人場面における何らかの失態の結果や、失態場面の想像によって生じる対人不安の一種である。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

自己意識的で否定的色彩があることなど共通する要素が多く、社会的行動に影響を与える感情として、羞恥心はしばしば罪悪感と比較される。罪悪感が自己の起こした特定の行動の相対的評価を問題視するのに対し、羞恥心は自己全体への否定的評価を問題視する。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

わからん。。
でも、確かに”罪悪感”とはちょっと違うよね???

例えば、「試合で負けた、監督に自分のミスを指摘された」とする。
A:「みんなで頑張ったのに、自分のせいだ。恥ずかしい、、」
⇒自分は恥ずかしい→罪悪感につながる
B:「なんでそんなことみんなの前に言うんだ。恥ずかしい」
⇒自分は恥をかかされた→屈辱感につながる

「試合で負けた」のも「自分がミスした」のも事実。
監督はただ「事実を言っている」だけでも、
Aは自分が「責められている」気がするから「罪悪感」を感じる
Bは自分が「バカにされている」気がするから「屈辱感」を感じる

同じ「恥ずかしい思い」をしたとしても、「恥をかいた=自責」と思うか「恥をかかされた=他責」と思うか、違うよね?と思ったのです。

私が多く感じていた”恥”の感情って、「自責=罪悪感」ではなく「他責=屈辱感」が多かったんですよ。

ほんで、、この「屈辱感」って”他責”だから、癒やす、手放すためには一回”自責”に持ってこないといけなくて(自分責めをしろということではなくて、”自分ごと”として考えること)、さらにハードルが高い気がします。
そもそも、自分のせいにしたくない気持ち、”弱さ”みたいなもんがあるから人のせいにしてるんであって。。

でも、時間はかかっても、
①「相手は関係なく、自分の捉え方のせいなのだ」と気づき、
②「自分が自分に思っていることなのだ(バカにしている責めている)」と気づき、
③「傷ついている自分がいる」ことに気づき、
④「自分しかこの傷ついている自分を癒せない」ことに気づいて、
ゆっくりでもいいから、向き合って手放すことをしないと、
ずっと自分の人生を生きられない。
誰かの言動に振り回されている自分で生きることになる。

”自分のせい”と思いたくないから世の中を恨んで生きるか、
”自分のせい”と覚悟を決めて鋼のメンタルで生きるか。。

むむむ、、、、
「自分のせいって思いたくない!人のせいにしたい!」
と心のなかで叫んでいます。。。性根が腐ってやがる。。
ま、そんだけ傷つきやすかったんだよね、ワタシ。。
と思って、、鋼のメンタルにはすぐなれんよ。

だから、今、「罪悪感を手放すワーク」などは動画でも本でもたくさんあるから、自分は自分を見放さずに、諦めずに、取り組んでいきましょうよ。プロのセラピー受けるとかね。
そのうち私の「根に持ってますリスト」も減っていくと思います😊たぶん。
  ではこのへんで。  おしまい
















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