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【風水体験記#12】鬼門が風水とは無関係である確かな理由

〈風水体験記の目次はこちら〉

こんにちは。常見多聞です。

よく風水で誤解されているのが「鬼門」「裏鬼門」です。

#0で述べたように、忖度なしでこの記事は書きますので、はっきりと言いますが、
中国伝統風水には鬼門は存在しません。

鬼門がなければ、当然裏鬼門もありません。

この誤解がちょっと迷惑に感じることも多々あります。

「いわゆる風水」には、あることになっていますが、それは日本の特定の事情によって鬼門を設定しなければならない当時の時代背景があったものを、なぜか事情が変わっている現代も離さずに握りしめているのです。

当時はともかく、情報豊富な現代にまだその考えを残しているのは、、、ということです。

真実の中国伝統風水を真剣に学べば、ないことに必ずたどり着きます。

しかし、日本人は鬼門を気にする人も多いです。

以前の記事で本場の老師が鬼門を気にする日本の風水を鼻で笑っていた動画の話をしましたが、
本場にないもの、本場の文献にも存在しない鬼門がなぜ日本では信じられているのか?

鬼門はないです、と言うだけでは芸がないので
逆になぜこの迷信がここまで定着してしまったのか?
この点を自分なりに研究してきましたので、
その一部を体験談と共に話してみたいと思います。

ちなみに、私は鬼門を信じて願掛けをすることについては、一切否定するつもりはありません。

鬼門が中国伝統風水にはない、と言っているだけで
そういう浅はかな誤解を平気で広められる、嘘を自覚しない態度を認められないだけです。


風水三大流派のいずれにも存在しない鬼門


中国伝統風水には三大流派があります。
「八宅派」「三元(玄空)派」「三合派」です。

本物の風水師ならば、この流派のいずれかは最低でも1つは知っているばすです。

私はこの3つの流派全てを学び・教え・鑑定に活用しておりますが、このいずれの流派にも鬼門は出てきません。

逆にいえば、鬼門を語る風水師は、上記の三大流派のいずれも知らないということです。

そんなことは通常考えられないことです。

ぐー👊、ちょき✌️、ぱー✋ を知らずして、
どうやってジャンケンするのでしょうか。

平安京の鬼門(北東)封じに比叡山延暦寺という嘘


まず鬼門のお話でよく言われる都市伝説が
平安京の北東(鬼門)に比叡山延暦寺があり
鬼門封じのために建てられた、というものです。

比叡山延暦寺は平安京ができる前からありました。
Wikipediaの情報ならば、788年に創建。
平安京は794年からです。

最初からあの場所にあったのですから、
鬼門封じのために建てられたのではありません。

後から、ついでに鬼門封じも頼む、という話はあったかもしれませんが、、、
最初から狙ってやっていません。


また、風水と宗教と民間信仰は元々別のものです。

風水の凶方位に神社仏閣を建てて対処するという方法はありません。
風水と宗教を混同しています。

一体なぜ、風水の改善処置に、仏教や神道が持ち出されるのでしょうか?
道教ならば、まだ理解できます。

しかし、当時は知識不足により、混同せざる得ない時があったというのは、想像出来ます。(これは後でまた触れます)

しかし、情報が豊富な現代では、この混同はいただけません。

たくさんある鬼門信仰


鬼門を恐れたり、忌み嫌う風習は根強く、
各地にその傾向が見られます。

正直書ききれないくらいあります。

特に京都は京都御所や建物の北東を欠けさせることで、鬼門がないようにするようなものもあったり、鍾馗さんを鬼門の方向に構えている家もたくさんあります。

ちなみに、京都の古地図を見ると、平安時代は京都御所の北東は欠けていないようで、江戸時代の古地図になると欠けているのがわかります。

京都御所は何度も火事にあっていますので、場所も移動したりと変化があり、立て直す時に欠けさせるように変更したものと思われます。

時代によって何らかの変化がありつつも、現代にも残っている根強さを感じます。


鬼門の概念を加速させた出来事


鬼門という誤解が生まれたきっかけは、平安時代の事情もあると思います。

当時はたたりを恐れる風習があり、権力闘争で敗れた人の霊のたたりを恐れ、疫病が流行ると、当時はその正体がわかないため、この目に見えない存在を鬼に例えて払っていたという記録もあり、そういう絵画もあります。

また、元々は易姓革命的に、天災があると天皇や政権に問題があるという考えが当時の貴族には都合が悪かったため、天災などはたたりのせいにするという方針が建てられた、と記載されている陰陽道解説の本もあり、何かあれば陰陽師に占わせ、たたりが原因として祓う、という形式が行われていたわけです。

陰陽師は当時、卜占に六壬を使っていましたが、この場合はたたりが原因だという判断方法があったという指摘のある書籍もあります。

たたりといえば幽霊です。
幽霊のことを中国では鬼と言います。

陰陽師は元々は占い師であって、お祓いは専門ではありませんでした。

そこから、当時の風習である、たたりを解決するという需要に応じて、占術について情報不足であったため環境から、占術の枠を超えて、宗教や民間信仰的なジャンルに跨いでこの課題を解決しようとすることは、当時としては自然なことであったと思います。

この時の風習から鬼門という概念を導入されたことは、納得できることです。

しかし、情報な豊かでいくらでも文献や資料を調べられる現代で、いつまでも古い情報を鵜呑みにして、中国伝統風水の知識だと誤解して、その誤解を継続することは愚かでもあります。

現代は疫病の感染対策・感染後の対策は、占いでも風水でもお祓いでもないわけです。
願掛けや風習としてある、ということです。


鬼門の元の文献には、鬼門は吉という記載もある



鬼門という言葉自体は、中国の古い文献にも登場します。

『山海経』と『黄帝宅経』です。

『山海経』は妖怪について記載があり、それが北東の方位から入ってくるとか、桃の木で祓う、など言われております。
でもこれは風水のお話ではありません。

『黄帝宅経』には鬼門の記載がありますが、
鬼門が凶というのもあれば
鬼門が吉という記載もあります。
(陽宅、陰宅共にあります)

写真は鬼門が吉という記載の箇所です

(こういう写真を載せると、すぐパクる風水師がいるので、あえてメモ付きを載せます)

黄帝宅経
黄帝宅経

鬼門という言葉の元の書物に吉と書かれている箇所もあるわけです。(凶ともあります)

もし鬼門という考えを信じるならば、何でもかんでも忌み嫌わずに、吉凶使い分けて欲しいものです。

また、この『黄帝宅経』は、ご覧の通り、鬼門以外にも色々と書いてありますが、なぜか鬼門だけを取り上げて偏った取り扱いをしているわけです。

鬼門を語るならば『黄帝宅経』を調べるべきで、調べれば逆に鬼門についてあのように語らなくなるはずです。

新井白石の『鬼門考』


新井白石も『鬼門考』にて、なぜ鬼門なんてものをみんな気にするのか?を考察しています。

新井白石も、鬼門について陽宅陰宅共に鬼門に対する吉凶両面が記載されていると論じており、その不確かさを述べています。

いつの時代も似ていますね。

臨場感による現前


私は過去の風水鑑定において、鬼門を気にする方へ、その誤解を解いてきましたが、
たまにこういう方もおられます。

鬼門から幽霊が入ってくるのを見た。
というものです。

霊が見える方ということなのですが、
これには私なりの考察があります。

まず、鬼門以外の方角から霊が現れた、という人も多くいるので、鬼門と霊は直接1対1でリンクしいるとはいえない。

また、「鬼門から入ってきた」ということを言われる方は、鬼門の知識がある人で、その知識を強く信じれば、鬼門に限らず、人間は妄想から臨場感を生み出して、現前させることができてしまう、ということです。

龍が空を飛んでいた、という人も本当にいますので。

それから、私は霊は見えませんが、数多く風水鑑定をしてきて、霊が出るパターンの風水というのが、ある程度わかってきており、
「霊が出る風水」というセミナーを作ったくらいなのですが、

中国伝統風水の凶方位と、ある事情が重なると霊が見えた、という人が現れる、ということもわかってきております。
(※ある事情はセミナー受講者への道義によりここでは言えません)

そのパターンにも鬼門は関係せず、全方位でその事象は考えられます。


鬼門・裏鬼門に関係なく吉現象が起きている体験談


鬼門について言われるのが、
水回りもか玄関を持ってきてはいけないとか
そういう単純なことが述べられています。

単純というのは、家の個性を見ないです、全ての家の各方位を同じような理屈で判断するということで、#10でも書きました。

私が扱う中国伝統風水では、北東(鬼門)や裏鬼門(南西)に水回り、玄関、キッチン、寝室、トイレ、などどれがあっても吉だった家はたくさんあります。

私は2023年末まで住んでいた家は、中国伝統風水で大吉の家で、北東に玄関がありましたし、
南西で寝ていました。

いま住んでいる家も大吉ですが、北東に寝室があります。

実家の北西にはトイレがありますが、なんの問題も生じていません。

経営はうまくいって儲かってるので、財運は問題ないですという経営者の方のマンションは、南西に水回りがあります。

他にあげたらキリがありませんが、
#10で書いたように
この方位はこうという、全ての家に同じ理屈を押し付けるような家の個性を見ていない吉凶判断は、鬼門・裏鬼門とかいう前に、NGです。

風習としては微笑ましく、むしろ好きな風習である



最初に書いたように、私は鬼門そのものを否定しているわけではありません。

日本人の風習や願掛けとしては、とても微笑ましく、むしろ好きな方です。

平安時代は現代のように疫病の正体はわからず、バタバタと人が倒れていく様は、恐怖としか言いようがないでしょうし、その目に見えない何か恐ろしいものを鬼にたとえて、払おうとする切実な願掛けの気持ちには、心に染みるものがあります。


現に、京都の吉田神社の節分祭に行ってきたこともありましたし、厄災を鬼に例えて、祓うことで人生の幸せを願う風習や願掛けが続いてきた日本人の精神性が好きです。

それを風水というのは、明らかに間違いで、
嘘であるということで、そういうことを浅はかに撒き散らすことが認められないわけです。

では、また🫡

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