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心理士、「はじめまして」の連続。

バンコクでゼロからのスタートをきって3ヶ月。

それは「はじめまして」の連続で。
「はじめまして」には慣れないながらもなんとかやってきたし、
やってこれたと思っている。

けれど。
娘の幼稚園のママたちとの集まり、
1対9の「はじめまして」は例外だ。

ママたちとの「はじめまして」

しかも、
我が家は今年の3月に転入してきたので、
私以外のママたちはほぼ顔見知りなわけで、
完全に〝アウェイ〟な空間に入り込んだのだ。

元人見知りの心理士。
今現在のコミュニケーション能力は低くないと自負している。
(人見知りだったことを誰一人信じてくれないくらいには。)

しかし。
「子ども同士が同い年♡」ということ以外に共通点のない集まり。
もとい。
まだ共通点を見出せていない集まりにおいて、
どのように立ち居振る舞い、話せば良いかというのは
かなりハードルが高く気力を遣う場面である。

もちろん、
しんどいだけでなく、楽しくもあったが、
とりあえず帰宅後はぐったりとソファに倒れ込んだ。

さて。
「大人数相手の初めましては疲れるよ〜。」と
その日の夜、仕事から帰宅した夫にボヤいたものの、
振り返るとボランティア先の集まりではこれほどの疲労感はなかった。
同じように1対複数人。
しかも、私以外の全員が知り合いという場面でも。

この違いは何なのだろうか。


「はじめまして」は疲れるのか。

前述した通り、
ママ友というのは得てして「子どもが同い年」という繋がりのもので、
ママ同士の性格や好みなど趣味嗜好は関係のない集まりである。
もちろん、
ママ友として出逢って、
そこから仲良くなり「生涯の友」になることもある。
だが、
「はじめまして」ではそこまで深掘りはできない。

一方、
ボランティアという集まりは、
当然その個人がそこの活動に興味を持ち、
「何かしらの形でその活動に携わりたい」、
という想いをもって集まっている集まりである。
そうすると、
そこに〝居る〟というだけで、
なにかしら想いに共通点があるわけで、
そんな人たちとの集まりが心地悪いわけがない。とも思うのです。
(もちろん例外もあるでしょうが。)

もちろん、
ボランティア団体によって多少は違ってくると思うし、
それぞれの想いの強さや方向の違いはあるだろうけれど。
少なくとも、
私が今関わっている集まりに関して、私は居心地の良さを感じているし、
学生時代に参加していたボランティアの集まりもそうだった。

「はじめまして」の立ち位置。

1対1であれば、
少しずつ話をしていくなかで相手の想いを知ることはできる。

自分に気力のあるときであれば、
話をするのが苦手そうな相手が、
どのような会話をふれば楽しんでくれるのか、
その扉を少しずつ探して提示していく作業も好きだったりする。


でも、
1対複数人でそれをするのは途方もない作業であり、
ひとまずは会話に入るよりも、聴き役として場にいる方が安心である。

ただ、
この〝聴き役〟もただ〝聞いている〟だけではなく、
どのような話題を持ち出す人たちなのか。
どんな内容の会話を楽しんでいるのか。
どんな関係性なのか。
敬語なのか、タメ口なのか。
自分はどのタイミングでタメ口を挟めば良いのか。
などなど、色々考えていたりするわけで、結局全然頭が休まらない。

結果的に、
私は「お母さん一緒に来て」と言う次女について回ることで、
複数人のママではなく、
娘が遊んでいる場所の近くに居るママ(単体もしくは少人数)と話をすることで場を繋いだ。


「はじめまして」は自分への投資。

今回、
帰宅後ぐったりしたものの、
次に会うときには「にどめまして」の方達であることで、
幼稚園の行事に参加するときの居心地は今までより良くなるのだろうと思う。

そして、
今後娘が小学校に進学した際に、
今回のつながりがあることで心強く感じることも多いんだろうと思う。

結局のところ。
「娘が楽しんでくれるなら」と参加した集まりだったけれど、
未来の自分への投資でもあったわけだ。

お疲れ、私。
これからもぼちぼち頑張ろ、私。

そして、
今まさに「はじめまして」の渦中にいる方々に、
その頑張りは、
いずれまた自分のもとに還ってくるはず!と伝えたい。


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