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統一教会信徒の本質論:『こうなったのは統一教会のせいだ!』はスジ違い

何気なく眺めていたTwitterで統一教会信者さんのこんな投稿が目に飛び込んできました。

これに思わず反応してしまい、つらつらと感想文を書き込んでみました。

「こうなったのは教団のせいだ」は筋違い

自己責任論・自己選択論…… に対するのが、自己の運命はあらかじめ決まっているという予定論(予定説)
だから、予定説を信じる者は「こうなったのは、教団のせいだ!」などと責任転嫁をしない。どんな試練にあおうとも黙々と神様から与えられた天職に勤しむ。
だが。
統一教会の現役信者や元信者や、予定説を信じていない者は、すべて神の思し召しなどということはハナから受け入れっこないのかだら、
「こんな非道いことになったのは、教団のせいだ!」
「こんな女に誰がした!」(星の流れに
と教団を恨むのは当然でしょう。

自分の身の回りにおこるすべての現象(幸・不幸など)は、全知全能の神による宿命である、という予定説を信じる者はすべては神の思し召しなのだから、どんな非道い目にあっても甘受するという覚悟が決まっている。
しかし、神を信じてはいるが、神すら干渉できない人間の自由意志によって未来は決定するという宿命論を信じない者は、こうなったのは誰々のせいだ!という感情が湧き出るのは当然なのだ。

リツイートで、こんなふうな感想を書きながら思考の整理をしていたところ、思わず現役信者さんからコメントをいただいた。

「予定」なんぞで自分の意志を語るな、てのが趣旨なんだけど。 自分の人生を決めたのは自分。教団でもメシヤでもなければ、ましてや神でもない。

統一教会信徒はみな自己責任論者であって、地上天国さえも自力のみで創るのだと、祈っても地上天国できないでしょ、カネがないとできないでしょと、心に天国を築くことなどそっちのけでカネカネカネの外的な思考で凝り固まっているのだから、当然「てめえの人生をキメたのはてめえだろ!教団やメシア(文鮮明氏)ましてや神のせいにするんじゃねぇ!」てなことを言いたいその気持ちはわかる。

だがしかし。
これは統一教会と関わることによって被害を被った人への侮蔑的発言であり、統一教会の自己責任を棚にあげた責任転嫁はななだしい発言だったので、ちょっと血圧があがって統一教会側の自己責任についてこう返した。

貴殿は予定説を信じていないのですから、すべてが自己責任でしょう。 自己責任自己責任というなら糾弾されている統一教会も自己責任で責任とらねばならないということです。

すると、とってつけたような自己責任論を持ち出し、統一原理の核の核などと強調した「責任分担論」を担ぎ出し、眼前の統一教会の責任問題をはぐらかし、ついには神の予定だの歴史にまでハナシを広げはじめた。

教団についても自己責任というのは、全くもってその通り。少なくとも「配慮を欠いた」という責任はある。 それと、予定説は否定しない。人の意志は神の予定よりも強いという意味。 統一原理を学んだのなら「責任分担論」は核の核でないの?神の予定通りに歴史が進まなかったから現状になってる訳で。

統一教会信徒は、責任分担論が核の核らしいから、自己責任にヒジョーにキビシーのだろう。
しかし、自己責任論者というのは、たいがいにして自分の責任を棚に上げ、他人を責めるために自己責任という言葉を持ち出すものでなのある。

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