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【小説】無印現場監督セイスケくん~序章【ササハラセイスケ】

この物語は、東北の小さな村から集団就職で上京し、東京の建設現場で働く新米現場監督セイスケくんの波瀾万丈な人生を描いたドタバタ純情物語。
彼の青春は、ヤクザ系統の会社での過酷な労働、賭博、劣悪な食事環境など、困難に満ちています。この物語は、現場での危険な労働環境、労働者同士の複雑な人間関係、そして都会での生活の苦悩をリアルに描いており、主人公の成長と心の変化を感動的に描き出しています。読者は、彼の、泥臭いがしかし心温まる経験を通じて、人生の意味と困難を乗り越える強さを見出すことができるでしょう。


ポケットの中にいつも川砂~新米現場マンのドタバタ純情物語

俺は東北の寒村から集団就職で上京して、東京の土建屋で働いてた。いわゆる現場監督というやつだ。上司には三本の線が入っていたが、自分のヘルメットには線が入っていない。だから監督というのは名ばかりで、実際の仕事はドカタとほとんど変わりなかったよ。

いや別にドカタやるのは構わないんだ。ドカタだけやってられたらどれだけ楽かわかんないからな。やってることはドカタなんだが、現場で問題が起これば、監督として責任とらなきゃいけない。たまったもんじゃない。

俺は置き場の敷地の一角に立てられた、寮という名のタコ部屋みたような寝座で青春時代を過ごした。

会社自体がヤクザ系統で、社長自身も足を洗ったとはいえ、背中にクリカラモンモンを背負っているし、社員が社長のことを「おじさん」と呼ぶような、まるでヤクザ事務所のような会社だった。

休みは盆暮れしかなく、田舎から上京するとき親から買ってもらった一張羅の背広は殆ど着る機会がなかった。

上司はヤクザかぶれで、現場詰め所では仕事が終わると毎日花札やちんちろりんなど博打が繰り広げられていた。自分も付きあわされて一回の賭場で給料まるごと負けることもあった。

タコ部屋のような飯場暮らしだったから、朝食と晩飯は賄いのおばちゃんが作ってくれる。そのメシが本当にまずくて(なんでこんなにまずく作れるのか?というくらい)変な臭いがするし、ご飯は黄色いし、特に魚など生臭過ぎて食べられなかった。

食べ物の悪口をいうのはホントに申し訳なく忍びないのだが、それは犬や猫でもまず喰わないんじゃなかろうかというシロモノで……

まあ愚痴をいえばきりがないのだが、いまでも忘れられないメニューが『ライスカレー』だ。

黄色いご飯に黄色い汁をかけただけのビジュアル、具はじゃがいもとか人参のクズが入っているような具合で、カレー粉をだた薄めたような感じ、メシにかけるとスーッと下まで染みていく。

それにおばちゃん手作りだという福神漬にはビビったな。
ガラスの容器に入れてあるのだが、継ぎ足し継ぎ足しした感じで汁が濁っているような不潔な感じだった。

スプーンで取り分けようと思ったら蠢くものがあって、よくみたら蛆虫だった……という。とにかく悲惨な食事だった。

あまりにもひどかったので、ある時期からまったく手をつけずスルーしていたら、社長に報告されそれ以降飯場のメシはなくなった。ホッとしたことを今でも思い出す。その分、薄給の身で食費を捻出するのは大変だった。博打も負けが込んでたから、いつもひもじい思いをしていた。

で、ずいぶん後から知ったことなのだが、まかないのおばちゃんは精神的に病んでいたらしい。

夫が先代の社長から莫大な借金をして返せなかったということで人質に取られ、土木現場で働かせられていたようだ。いわばマグロ船に乗せられるとかソープに沈められるとかの現場奴隷労働版だな。

その賄いのおばちゃんも一緒にさらわれて?夫が働かされている現場でまかないをさせられていたそうだ。もともとがお嬢様育ちらしく、結婚後も食事を作ったことがなく、すべて家政婦に作らせていたそうだ。

青春は泥とコンクリにまみれて

現場ではヤクザかぶれの上司から毎日まいにちコキ使われてたよ。上司は、機嫌が悪いと怒鳴りちらし、言われたことをやらないとすぐ手を上げる人だった。

現場内の掃除をしてゴミを集めドラム缶を半分切ったものに入れて燃やしていた。あぁ上司がこっちに来るな…と思っていたら、いきなり殴られた。しかも、メガネの上から。
さんざん殴った後に小言をいう。

「おまいよぉ、アレ、やってねえじゃねぇか!」

「あわわわ、ああ、あれ、アレって、なんですか?」

「てめぇ!ふざけんなこのヤロー!」

バシッ💢!

とにかく、質問しても怒られるし、殴られる。反論しようものなら半殺しの目に遭う。だから、毎日上司から隠れるようにして、現場で仕事をしていた。

メガネを買うカネがなかったから、カネが貯まるまで大変だった。目の悪いやつが現場でメガネをかけないで歩いたり作業すると大変な目に遭う。俺は鉄板の入った安全靴なんて支給してもらえなかったから、地下足袋を履いていた。

一度、メガネをかけないで型枠バラシの手元をやってるとき、釘を踏み抜いてしまって往生した。

泣きべそをかいてると、型枠大工の親方が

「おう清助、消毒してやっから足みしてみろ」

というので地下足袋を脱いで親方に見せた。

すると、いきなり傷口を金槌でぶっ叩きだした。
まさか金槌で叩かれるとは思ってもいなかったので恐怖で青ざめていると

「ブルってんじゃねえよ(笑)こうやってな、血ぃ出してバイキン外に出さねえと破傷風になっちまうんだぞ」

と、ニヤリと笑った。

それから親方は、五円玉を傷穴にあて、マッチ棒の火薬をほぐしたものを五円玉の穴に詰め、それにライターで火をつけた。シュッ……という音とともに一瞬で傷口が焼かれた。(その後は化膿することもなく治った)

そんな経験をしてからは、以前使ってた度のあわないメガネをかけていた。目が見えないよりはマシだからな。

徹夜の突貫工事も経験した。

冬季になると青森や北海道から出稼ぎの職人を呼んで飯場をはる。竣工が四月の工事なので、仕上工らが入り出す頃だ。飯場をはったのは、左官工だったのだが、皆素行が悪く、夜飯場で酒を飲んでは騒いだり暴れたり、喧嘩をしたりと日常茶飯事だった。

その頃俺は夜の現場巡回を命じられていた。

ある夜、現場内の暗がりで何やら声がするので、行ってみると酒を飲んだ職人たちが血だらけになって喧嘩してたから、救急車を呼んだりしたこともある。
近隣の住民からも苦情があって、夜になると、警官が念入りにパトロールをする物騒な不法地帯のようになってたな。いわゆる流れ者という輩で、それらを仕切っていたのがヤクザだった。

いちおう監督として、いろいろ注意をしたことがあったのだが、若造のノウガキと受け止められたのか、彼らから目をツケられ、『殺すぞ』と脅かされたことも何度もあった。
足場の上から金槌や道具をわざと落とされたこともあった。のこぎりを首筋に突きつけられて凄まれたこともあった。

とにかく、荒くれ者たちと付き合っていくのが大変で、ストレスと緊張が重なって血尿が出た。便器が真っ赤になったときにはこの世の終わりかと思ったな。

つづく……


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