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高1で不登校した僕が目をそらすように読書に没頭した理由(全文公開)

 「何か」から目をそらすように、読書に没頭したという古川寛太さん。高1で不登校となった古川さんにとって、本を読むことにはどのような意味があったのか。当時をふり返ってもらいました。(連載「前略、トンネルの底から 第7回」/写真は古川寛太さん)

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 小さいころから本を読むことが好きだった。というか、それくらいしかすることがなかった。

 前回書いたが、何かから目を逸らすように俺は物語の世界に没頭していた。挿絵のすくない本にはじめて手を伸ばしたのが、小学校2年生のころ。それが星新一のショートショート集だった。「悪魔のささやき」という巻に掲載されている「なんでもない」を、よく覚えている。主人公の周囲の人間がある電話を取ったあとから挙動不審になり、狂っていく話。文字だけで構成されていく世界観は、当時の自分にとってとても新鮮に感じられた。

 それからは、休み時間も放課後も休日も、ほとんど読書をしてすごした。日本の作品から海外の作品まで、有名どころからコアなものまで、おもしろそうと感じたものは時間の余すかぎり読んだ。先に「目を逸らすように」と書いたが、楽しかったのだろう。夢中で読み進めた。中学校にあがってからも、部活が忙しくなり以前よりは読書量が減ったものの、細々と読み進める。本はいつも生活の中にあった。

手応えなき高校生活

 そして不登校がやってくる。高校に入学してすぐに俺はつまづいてしまう。勉強はついていけていないし、春から始めた硬式テニス部は親の小言をきっかけに辞めてしまった。ポツポツと学校を休み始めた俺を、同級生は徐々に敬遠していく。家と高校を往復するだけの、ひたすらに手応えを感じない高校生活に、俺はあっという間にまいってしまった。16歳である。拗ねて、ふてくされるくらいならしかたない。けれどもそのあとに、自分を立たせる何かを見つけられなかったのが問題だった。結局それから本格的に学校へ行けなくなり、もともと消極的な性格がさらに内に閉じていくことになる。

 図書館や書店によく行く。距離はあるがかなり大きな市立図書館が地元にあったり、すこし歩けば大きな書店があったため、小学生のころからどちらもよく通っていた。学校へ行かない期間、スマートフォンもゲームも持たせてもらえなかった俺は、退屈をしのぐために「本を読む」という目的で外出する機会がしばしばあった。本のある空間はとても落ち着く。本が好きな人としてその場に紛れることができるし、自分の問題をすこし忘れることができたから。本来登校する道の正反対にある国道を通って、俺はそんな安息地へと足を運ぶ。

 しかし、空間はふわふわと落ち着く一方、目で追った文章は痛々しいほど自身の余裕のなさを示していた。(つづく)

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