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「オレ才能ないから」と言いたくなる気持ち

3年前に話題になった「GRIT」という
本を今読んでいる。

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まだ全体の20%くらいしか読んでないが、
その中で興味深い内容があったのでその話。


それは下記の内容。


表面上では才能より努力を評価するが、
心の中では努力よりも才能を評価する。


ある実験でプロの音楽家達に
「毎日練習すること」と
「才能に恵まれること」
どちらが重要かを聞いたところ、
「毎日練習すること」と大半が答えた。

しかし、その音楽家達に2つのピアノの
演奏を聴き比べてもらった

1人は
「幼少時から天賦の才能を示した音楽家」、
もう1人は
「幼少時から驚異的な努力をしてきた音楽家」
と紹介された。

その結果、"才能を持った音楽家"と
紹介された演奏の方が高い評価を得た。

実際は、同じ音楽家の演奏だったにも関わらず


つまり、、、

同じ能力ならば、努力よりも才能が評価される

ということである。
(表面的には努力の方を評価していても)


これはアメリカで行われた実験だが、
「勤勉さ」を重んじる日本でも
同じことがあてはまると思う。

例えば、今日本では彼らが話題になっている。

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左は15歳という若さで歴代最多連勝(29連勝)を記録した将棋の藤井四段。
右はバルセロナの下部組織で才能を発揮して、
今年名門レアル・マドリードに移籍したサッカー選手の久保建英である。

彼らの天性の才能はご存知の通りだろうが、
日々どれくらいの努力しているかは
焦点が当たらない。


才能を持った若者が大活躍している


視聴者はこれだけでお腹いっぱいだからである
むしろそれが努力のせいと言われると
興醒めしてしまうだろう。

なぜなのか?
私の考えでは
「才能」は他人事として楽しめるが、
「努力」だと自分事になるからだと思う。

地頭の良さで成績がいいと思っていた親友が、
実は陰で自分より遥かに努力しているのを
知った時のやり場のない気持ちに似ている。


何事も才能のせいにした方が楽なのだ。


僕も何かと才能のせいにしたがる人だ。

会社で圧倒的に営業成績がいい人を見ると、
この人は僕と違い「生まれながらの営業マン」
なんだと思って"神格化"してしまう。

そう思わないと、僕がその人より
努力をしていない事を認めなければ
いけなくなってしまうからである。


ただ、僕が色々考えて思ったことは、
才能は間違いなく存在するが、努力しても
覆せないくらいの才能の差は滅多にない。

もちろん僕は"松本人志"にはなれないが、
そこら辺の面白い奴にはなれるかもしれない。

彼らとの才能の違いはあっても
「軽自動車」と「フェラーリ」
くらいの差しかないだろう。

「軽自動車」と「飛行機」ほどの差はない。

そこで、軽自動車がフェラーリに
勝つための方法は1つだけ。


フェラーリより長い時間走り続ける。


フェラーリが1日8時間走るなら、軽自動車で
あれば1日16時間走らないといけない。

人はどうしても瞬間の"速さ"に
目を向けてしまうが人生において
重要なのは最終的に走った"距離"である。

そう考えると、才能の差に
悲観しなくなるではないだろうか。


僕は軽自動車くらいの速さしかなくても
誰よりも遠くまで走り続けたいです。


皆さんは、努力家と天才なら
どちらになりたいですか?


今日もお疲れ様でした!!!


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